ヘンリー王子と笑顔のレイチェル

水棲サラマンダー

ヘンリーとレイチェル

 昔々あるところに、王子様がいました。白馬に乗ってお姫様に会いに行けるような年ではありません。十二歳です。


 今日は、大事な約束があります。女の子と会うのです。しかも、将来お嫁さんになるはずの女の子です。


 偉い人達は、親が勝手に結婚相手を決めていました。女の子はこの国で一番偉い家来の娘です。


 一番似合う服を選ぶのに時間がかかって王様に怒られたりしましたが、王子様は無事に準備ができました。


 ドキドキします。なぜかと言うと、王子様はその女の子に会ったことが無いのです。

 でも、まだましだと言えるでしょう。初めて顔を見る相手と結婚させられる人だっているのです。王子様の場合、結婚するのは5年後です。


 お城の食堂で、王子様は待っていました。長いテーブルに、椅子がズラーッと並んでいます。脇にはメイドがたくさん控えていました。

 この部屋は、王様が偉い家来と会議をする時に使う部屋です。


 ギィーと扉が開きました。王子様は、王様に言われた通り、スッと立ちます。そのつもりが、椅子がガタッと音を立てて倒れました。

 慌てて戻そうとすると、メイドが駆けつけてきて戻してくれました。


 ヤバい! 見られた!?


 そう思い、急いで扉を振り返ります。入ってきたのは、扉の前に立っていた兵士でした。


 ほっと安心したとたん、兵士が言いました。


「公爵様、ご令嬢レイチェル様、いらっしゃいました!」


 王様がスッと、椅子も倒さずに立ちました。

 扉から、髭を生やした男が入ってきます。一番偉い家来です。


 後ろから入ってきたのは、未来のお嫁さん――レイチェルでした。


 一面に咲いた花のようなピンクのドレス。髪飾りには、真紅のバラのようなルビー。エメラルドのネックレスは、瑞々しい葉に例えればいいでしょうか。

 でも、王子様の目は違うところを見ていました。


 その花畑の中にいる女の子に比べれば、ルビーだのエメラルドだのはそこら辺の石と変わりません。ドレスなんて、つぎはぎだらけのワンピースと同じです。


 それほど、レイチェルは魅力的でした。


 テーブルの近くまでやって来ると、家来の方が挨拶をしました。


「本日はウンタラカンタラ……」


 そして、王様から順番に、席に座ります。長いテーブルを挟んで、右側が王様と王子様、左側が家来とレイチェルです。

 王子様の真ん前に、レイチェルが座ります。


 レイチェルは、それまで緊張していましたが、少しだけ、緊張がほぐれました。

 その顔に、笑顔を咲かせます。


 王子様は、自分の胸がドキンと、そう鳴るのが聞こえました。顔が熱くなるのも感じました。


 その日、レイチェルと別れて自分の部屋に戻るまで、レイチェルのことしか頭にありませんでした。







「ヘンリー様、レイチェル様とのお食事、どうでしたか?」


 ヘンリーというのは、王子様の名前です。

 聞いたのは、王子様の部屋にやってきたメイドです。王子様が小さい頃からずっと側にいるメイドです。


「いや、味を覚えていない」


「お食事の方じゃなくて、レイチェル様ですよ」


 レイチェル。豪華なドレスに包まれ貴族的な美しさを持ちながら、花畑の中で遊ぶ乙女のような可愛らしさを兼ね備えている。そんな彼女に、僕は惚れてしまった――。


 王子様は、そう思いました。ですが、それをそのまま言うのも恥ずかしいと感じました。


「僕の嫁にふさわしい」


「ふふっ」


 メイドは微笑みました。王子様よりも長く生きている彼女にとって、王子様の気持ちなんて手にとるように分かりました。

 いいえ、彼女でなくても、五歳の子供でも分かるでしょう。王子様のほっぺたは真っ赤だったのですから。


 ですが、彼女でも分からなかったことがありました。

 王子様は、こうも考えていたのです。


『笑顔でさえ美しいのだから、涙を見せれば、なおさら美しくなるだろう』


 王子様がおかしいと責めないで下さい。一応、理由があるのです。


 それは、王子様が五歳の頃でした。


 王子様の周りにはたくさんの人がいました。可愛い可愛いと面倒を見てくれるメイド達。大きくなった時に利用しようとすり寄ってくる者達。


 近くにいる理由は様々でも、共通点がありました。


 いつも笑顔なのです。

 王子様が喜んでも、泣いても、悲しんでも、楽しんでも、怒っても、いたずらしても、常に笑顔でした。


 そんな時、メリー――今も隣にいるメイド――の大切な羽根ペンを折ってしまったのです。お城に働きに来る時、田舎のお父さんがくれた羽根ペンです。

 決していたずらした訳ではありません。たまたま、折ってしまったのです。


 そして、王子様がその場から動かないうちに、メリーは折れた羽根ペンを見つけました。

 ペンを見、王子様を見、ペンを見て、固まりました。


 メリーが大切にしていることを知っていた王子様は、素直に謝りました。

 メリーは、「わざと……じゃないなら……い、良いんですよ」と言いました。


 その時、王子様は見たのです。

 メリーの目に涙が浮かんでいたのを。


 いつも見る笑顔とは違うその表情は、王子様にとってとても新鮮でした。

 また見たいとさえ思いました。


 さすがにわざとメリーやその他のメイドを泣かすことはありませんでしたが、好きな女の子相手では別だったようです。


 メイドが部屋から出ると、王子様は机に向かいました。

 少なくとも、真面目な勉強ではなさそうです。







 翌朝早く、王子様は井戸から水を汲むと、庭園を通り抜けた先の塔の一番上まで運びました。桶いっぱいだった水は半分こぼれてしまったので、別の桶でもう一回運び、桶いっぱいにしました。


 濡れてしまった服を着替えると、再び塔に登ります。外を覗くと、庭園がよく見えます。

 今日、レイチェルが庭園を一人で散歩すると聞きました。だったら、この塔の下を通るはずです。


 一時間ほど待つと、レイチェルの姿が見えました。


 王子様は桶を持ち上げ、窓の外に向けて、倒しました。


 バシャーッと、水は地面に向かって落ちていきました。その下には……レイチェル。


 王子様が再び下を見ると、ずぶ濡れのドレスを引きずりながら去っていく後ろ姿が見えました。


 これでは、レイチェルの涙は見えません。


 王子様のいじわるは失敗しました。







 次の日、王子様は急に降ってきた激しい雨のせいで、七回も着替えるはめになりました。

 七回も降ったのに、メリーは気づかなかったと言います。


 ちょっとイライラしながら、王子様は次の計画を立てました。


 さらに次の日、お城の裏にある森で、十二匹のカエルを集めました。

 それを箱に入れて、また庭園を散歩していたレイチェルの通り道に置いたのです。


 そしてレイチェルは、その箱を開けてしまったのです。


 それを少し離れたところから見ていた王子様は、早速かけつけました。

 たまたま自分も散歩していたことにするつもりです。


 箱にたどり着くと、カエルが跳ねているだけで、既にレイチェルはいませんでした。


 これでは、レイチェルの涙を見ることはできません。


 王子様の計画は失敗しました。

 






 次の日、プレゼントらしき大きな箱が届けられました。

 どうせすり寄ってくる連中だと思った王子様は、メリーに開けさせました。


 中に入っていたダンゴムシとミミズとヤスデとその他のよく分からない虫のせいで、王子様は大パニックになりました。


 メリーが特にビビることもなく森に虫を捨ててきたことに驚きながら、新しい計画を練りました。


 さらに次の日、王子様はレイチェルがそれはそれは大事にしている、うさぎのぬいぐるみを盗みました。

 庭園の真ん中にあるベンチで、レイチェルがお弁当を食べている隙に取ってきたのです。

 なぜか水をかけた時には持っていませんでしたが、今日はちゃんと一緒にいました。


 王子様は少し離れた所で待っていましたが、レイチェルは何も言わず、黙々とお弁当を食べていました。

 そしてそのまま帰りました。


 レイチェルは泣きませんでした。


 王子様の計画は失敗しました。







 次の日、レイチェルは何事も無かったかのように、うさぎのぬいぐるみを抱いていました。

 メリーすらも開け方を知らない宝箱に入れておいたのにも関わらず、です。


 王子様は驚いて自分の部屋に帰ります。すると、部屋の家具が全て無くなっていました。

 へたり込むメリーの隣で王子様は呆然としました。


 さらに次の日、なぜか元通りになっていた部屋の真ん中で、王子様はいたずらの本を読みながら計画を立てました。


 王子様は、庭園を散歩していたレイチェルの背中を叩きました。けれども、レイチェルは何も反応しません。

 そのまま散歩を続けました。


 王子様はニヤリと笑いました。

 なぜなら、王子様のいじわるは叩くことではないからです。

 レイチェルの背中に、「タッチして!」と書かれた紙を貼ったのです。


 王子様は、家来にすらツンツンされ続けるレイチェルをひたすら見ていましたが、泣くことはありませんでした。


 王子様の計画は失敗しました。







 次の日、王子様は出会う家来全員にくすぐられました。

 あまりにもこちょこちょされるので、息ができなくなって、メリーに背中を叩いてもらう羽目になりました。

 あと、メリーにもくすぐられて、もはや誰を信じればいいのか分からなくなりました。


 仕方がないので、城を出て城下町に行きました。

 そちらでもこちょこちょされたので、王子様は泣きたくなりました。


 すると、隣にレイチェルがいました。


「泣かないで」


「泣いてないもん」


 レイチェルだけは、王子様をくすぐろうとはしませんでした。

 それどころか、優しく背中を撫でてくれました。


「これのせいだよ」


 レイチェルは紙を見せました。

 紙には、「こちょこちょしてくれないと父上に言いつけるぞ!」と書いてありました。


「背中に貼ってあったよ」


 王子様は、昨日の仕返しなのでは、と思いつきましたが、仕返しをするならレイチェルです。

 仕返しした本人が助けるなんてあり得ませんから、王子様はやはり誰かのいたずらだろうと結論を出しました。


「これからは仲良くしようね」


 レイチェルは笑顔で話しかけます。


 王子様はドキッとしました。


「……うん」







 王子様の計画は失敗しました。


「レイチェルの笑顔、とっても素敵だったなあ……」


 王子様はそう思いました。


「声に出てますよ。それなら、もういじわるは止めますか?」


 メリーに隠れて行っていたいじわるですが、どうやらバレていたようです。

 王子様は恥ずかしくなりました。


「もちろん、続けるに決まってるじゃないか」


 メリーは呆れました。


 王子様は店主にこちょこちょされながら、本屋で必死に買った、いたずら図鑑を開きます。

 町で聞いた、「王子様はいじわるらしいぞ」「王様はあんなに立派なのに」「将来が不安だなぁ」「レイチェル様が女王様になってくれたらな」「あの方は頭も良いし可愛いし」「その上足さばきが凄いし」「全然タッチできなかった」なんて噂は頭から追い出します。


 いたずら図鑑には、大したいたずらは載っていませんでした。

 座ったらおならの音がするとか、そんなのばかりです。


 王子様は本を放り投げました。


 窓の外を見た王子様は、名案を思いつきました。

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