第4章 貴族の道
第1話 ボッシュハ伯爵
「は? 王都に?」
商業組合で
「領主様からの使いが来てだな、君宛てにこれを置いていったんだ。」
組合の支部長が出してきたのは二通の封筒だ。一つは商業組合宛で封は既に開けられている。もう一つの宛名はヨシノと明記されており、当然、封はされたままだ。
手紙によると、国王陛下よりヨシノを王都へと招待するという連絡が入った。それに伴った転出を許可をするというものだった。
「これは拒否できないのですか?」
「こちらに何か言われても困る。どうしてもということがあるならば、領主様の方から掛け合ってもらってくれ。」
支部長は無理だと言っているのだが、裕はそうは受け止めない。
「ちょっと領主様のところに行ってきます。」
「おい、本当に行くのか?」
「春になってからで良いのか、確認は必要ですよ。」
手紙を手に踵を返し出口へと向かう裕に、支部長は大声を出して止める。
「待てヨシノ! 今からは無理だ、時間を考えろ。せめて明日の朝にしろ!」
「ううう。」
「うー、じゃない! 急ぐと言っても程があるだろう。」
むくれる裕に支部長は怒鳴りつける。裕宛ての手紙は商業組合経由で渡されているのだ。日暮れ間近に裕が領主邸に押しかければ、後で組合に苦情が来るのは間違いないだろう。
「今日のところは得意先の挨拶にでもしておきなさい。」
「はあい。」
気のない返事をし、裕は
裕のメイン商材である塩の納入時期について、早めに打ち合わせる必要がある。彼らだって裕の帰りを待っているのだ。日没ギリギリでも失礼と言うことはないだろう。
翌朝、裕は食事を摂ると貴族服へと着替える。
幸いと言うべきなのだろうか。裕は高級な服を手に入れたばかりだ。古着とはいえ、元は公爵家嫡子用に仕立てられた服である。一介の、しかも駆け出しの商人の裕には不釣り合いな超がつく高級品だが、みすぼらしい格好で領主に目通り願うわけにもいかない。
やたらと手触りの良い艶やかな布のシャツは薄紅に染められ、襟や裾には刺繍が施されている。
細身の革製のズボンに深い赤色の上着、足には濃い茶色の革靴を履く。
「そんな格好でどこに行くの?」
「領主邸に行ってきます。」
裕の服装を見て、エレアーネが目を丸くする。裕の貴族服姿は、思わず笑ってしまうほど場違いなのだ。
裕が住んでいるのは、なにをどう見ても裕福な一等地ではない。貧困街と言うほどではないが、どちらかというと下級市民の住む地域だ。物盗りや強盗が横行する場所ではないが、街並みは雑多で、薄汚れた町、と言われても反論はできないだろう。
「昼くらいには戻る予定ですが、もしかしたら長引くかもしれません。お昼は勝手に食べておいてください。」
「分かった。じゃあ、私は森に行ってくるね。」
二人そろって家を出ると、逆方向へと歩いて行く。
一人で貴族服を着て歩く子どもというのは、やたらと浮いて見えるが、裕はそんなことはお構いなしに、領主邸への道を急ぐ。
「領主様に目通り願いたいのです。取り次いでいただけますか?」
領主邸の門を守る衛兵に封書を示すと、衛兵は驚いた表情で裕を見るが、特に文句を言うでもなく「こちらで少々お待ちください」と、待合室へと案内された。
部屋に入るとすぐに使用人であろう年嵩の女性が来て、茶を淹れるとともに裕に用件を尋ねる。
「私はヨシノという商人でございます。先日、領主様よりお手紙を頂いたのですが、その件についてお話をしたく存じます。」
封書を差し出しながら、できるだけ丁寧な言葉遣いで簡単に説明する。
「拝見してもよろしくて?」
「どうぞ。」
他人に見られて困るようなことは何も書かれていない。というか、書かれていることが少なすぎてよく分からないというのが実情だ。
「なるほど、これではよく分かりませんね。
そう言って手紙を裕に返すと、使用人の女性は下がっていった。
お茶お飲みながら待つこと数分。先ほどの使用人が現れて、裕を応接室へと案内した。どこかの公爵のように、領主本人がいきなり待合室へと乗り込んできたりはしないようだ。
「失礼いたします、お客人をお連れいたしました。」
「どうぞ。」
ノックをして声を掛けると、中から扉が明けられる。裕は使用人に促されるまま入室した。
部屋はあまり大きくはなく、正面に目つきのきつい女性がソファに腰掛けている。年齢は四十歳ほどだろうか、肌艶には衰えが見えるが、その分だけ積み重ねた貫禄を感じさせる。
その女性の背後と入口脇には帯剣した護衛が二人、直立姿勢を保っている。
間違いないだろう、彼女がこの領の主だ。
裕は
「失礼いたします。私、商人をしておりますヨシノと申します。この度は」
「そのような仰々しい挨拶は抜きで構いません。そこにお掛けください。私はエイトサト・ボッシュハです。早速ですが、何の用でございますか?」
言われるまま裕は領主に対面するソファに座り、話を始める。
「こちらの手紙の件でございます。昨夜、隊商から戻りまして、商業組合に行きましたところ、領主様よりこのような手紙が届いていたのですが、確認したところ、王都への呼び出しとなっているのですが、時期などどう考えればよろしいものかと相談したく参った次第でございます。」
テーブルに封筒を差し出すと、ボッシュハ伯爵は片眉を上げて、それを手に取る。
「ああ、この件か。むしろ、私が聞きたいのだ。其方、一体何をした?」
ボッシュハ伯爵は困ったような表情で手紙をひらひらと振る。
「陛下からの呼び出しとなると、竜退治の件かと思うのですが……」
「竜退治だと? それはあのゲフェリとコギシュが大層な被害を受けたという騒ぎのことか? それで其方は何をしたのだ?」
「コギシュ公爵様と共に、竜を退治してきました。」
「……は? 公爵閣下と共に、竜を退治してきたと聞こえたのだが?」
ボッシュハ伯爵は、おうむ返しに聞き直す。商人と名乗る子どもが竜退治をするとはにわかには信じられない様子だ。
「そう申しました。他に国王陛下に呼び出される理由など、全く思い当たりません。」
眉間に皺を寄せて考え込むが、伯爵は「そうか」と納得したように裕を指差す。
「其方、ヨシノと言ったな。思い出したぞ、そうか、其方が魔族の商人か。」
「何ですかそれは……」
知らぬ間によく分からない二つ名が付いていたようだ。変な呼び方をされて裕は困惑の表情を作る。
「違うのか? 恐るべき魔法で強力な魔物を一掃した商人とは其方ではないのか?」
「恐らく、私のことだと思いますが、私一人でやったわけではありません。少々大袈裟に伝わっているようです。」
「そうなのか? まあ良い、それは今問題にすべき事柄ではない。その竜退治に少なからず貢献した、ということで良いな? ならばその褒賞であろう。」
裕は既にゲフェリ公爵より褒賞を得ている。それに加えて国王からというのが解せないこと、そして何より転出の許可というのが非常に気になっている。
「御用商人としたいのではないか? 王都で商人になるには貴族や王族の後ろ盾が必要だ。この領では誰でも商人でも職人でも好きになれるがな。大きく商売するには良い機会だろう。」
「私は別に大商人になりたいわけではないですし、実のところ、時機として最悪なのです。」
裕の言葉に、伯爵は途端に顔を顰める。
「最悪とは随分な言い草であるな。」
「春になってから、ならばまだ良いのですが、今は正直申しまして、全く余裕がないのです。」
裕は、これから冬に向けての準備が本格化すること、そして今、町の物資が不足気味なことを挙げる。
「魔物騒ぎで、商人の動きが止まってしまっているんです。いくつかの隊商が来る予定だったのですが、一つも来ていないそうなのです。」
「なんだと? それは一体どういった理由だ?」
「魔物騒ぎの件です。私たちも行先や滞在時間を大幅に変更せざるを得なかったのです。他の方には影響が無かったなんてことはありません。」
裕の返答に、伯爵は苦々しい顔で
「それで、最大の問題は、塩なのです。」
「塩がどうした?」
「塩を取り扱えるのは、今この町に、いえ、この領に私しかいません。」
「……は?」
――――――――――
【
商業組合の略。組合と名がついていながら、行政の下部組織でもある。
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