《追章》その32:愛しき我が子の名前
アルカが臨月に入り、そろそろ出産時期を迎えようとしていたある日のこと。
子どもの名前をどうしようかと未だ頭を悩ませていた俺に、ふとアルカが椅子に腰掛けながらこんなことを言ってきた。
「実はな、この子にはどうしてもつけたい名があるんだ」
「そうなのか? 俺もいくつか女の子用の名前を考えてはいたんだけど……」
アルカが〝女性しか産まれない〟里出身ゆえ、女の子の名前を色々と考えていたのだが、彼女は「すまないな」と微笑んで言った。
「この子は、たぶん男の子のような気がしていてな。いや、男の子なのだと私は思う」
「そっか。アルカがそう言うんならきっとそうなんだろうな。でも子どもかあ……。なんか未だに実感が湧かないんだよな……」
「ふふ、まあ父とはそういうものだろうさ。我らのような母となる者たちは、皆ずっと我が子とともに在るからな。次第に膨れていく腹もさることながら、ある日突然蹴られたりすると、ああここに我が子がいるのだなと実感も湧くというものだ」
「そうだよな。俺も結構おなかに耳をあてさせてもらってるけど、めちゃくちゃ元気に動いてるもんな」
俺がそう笑いかけると、アルカは「うむ」と嬉しそうにおなかを撫でていた。
そんな彼女に、俺は問いかける。
「それで、この子にはなんて名前をつけたいんだ?」
その問いを聞いたアルカは、優しくおなかを撫でたまま言った。
「――〝アグニ〟。イグザとアルカディアの子。強き子――〝アグニ〟だ」
「アグニ……」
なんだろう。
なんか凄く心に響くいい名前だ。
二人の頭文字も入ってるし、この子につけるのならきっとこれ以上の名前はないと思う。
ゆえに俺は胸を熱くさせて言った。
「うん、凄くいい名前だと俺も思う。そうか、アグニか。よろしくな、アグ――」
が。
「――ちょっと待てえええええええええいッッ!!」
――ごごうっ!
「「――っ!?」」
突如噴き上がった火柱に俺たちが揃って目を丸くしていると、どばんっとそれを弾き飛ばし、中から全裸の美女が仁王立ちで姿を現した。
そう、イグニフェルさまである。
言わずもがな、彼女もがっつり妊婦さんだ。
「ちょ、なんで全裸なんですか!? せめて何か羽織ってください!?」
当然、慌ててブランケットをかけようとする俺だが、そんな俺には目もくれず、イグニフェルさまはアルカを見下ろして言った。
「その名はここにいる我が子につけようと思っていたもの! ゆえにそなたに渡すわけにはいかぬ!」
「なん、だと……っ!?」
アルカが驚愕に目を見開く中、イグニフェルさまは腕を組んで言った。
「そも〝アグニ〟とは〝
「くっ……」
確かにイグニフェルさまの気持ちもよくわかる。
もし〝アグニ〟が本当に〝
だが……。
「アルカ……」
「なるほど。あなたの言い分は理解した。ゆえに教えて欲しい、火の女神よ。アグニのほかに火に纏わる言葉はもうないのか? できればあなたの好きな言葉がいい」
「ほう? それを我が子につけると言うか。……ふむ、であればそなたのその殊勝な心がけに報いてやらねば火の神の名が廃るというもの。――よかろう! ならばよく胸に刻むがよい、アルカディアよ! そなたの子の名は――〝ホムスビ〟だ!」
「ホムスビ……」と俺。
恐らくは〝火を結ぶ〟的な意味合いがあるのだろう。
いい名前だと思う。
問題はアルカが納得するかどうかだが……。
ちらり、とアルカを見やると、彼女は「なるほど、承知した」と頷き、再び自身のおなかを撫でながら言った。
「だそうだ、アグニぃ~。あそこにいるおむすびちゃんと仲良くしてあげるんでちゅよ~」
「おい、ちょっと待て。誰の子が〝おむすびちゃん〟だ。おい」
びきっと珍しく額に青筋を浮かべるイグニフェルさまを、当然俺はどうどうと宥めに入ったのだった。
ちなみにその後の話し合いの結果、アルカの子は当初の予定通り〝アグニ〟と名付けられることになった。
そのためならば正妻の座も捨ててやるという彼女の覚悟に、イグニフェルさまの方が折れたからだ。
ゆえにイグニフェルさまの子には〝ホムスビ〟の名がつけられることになったのだが、先ほどのように〝おむすび〟呼ばわりされるのは勘弁だということで、〝ムスビ〟と名付けられることになった。
まあ親しみを込めて結局皆から〝おむすびちゃん〟と呼ばれることになるのだが、それはまたもう少しあとの話である。
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