68 火遊びの代償


「くっ、インキュバスである私に〝淫紋〟で対抗するなど……っ」



 ぎりっ、とヘスペリオスが悔しそうに唇を噛み締める。


 淫紋……? と俺が小首を傾げていると、ザナが鼻で笑いながら言った。



「残念だけれど、これは淫紋じゃないわ。あなたたちインキュバスの使う淫紋は、女性を心身ともに快楽で屈服させた隷属の証だけれど、私たちのこれは彼との愛と――そして絆の証。快楽だけの紛い物と一緒にしないでもらえるかしら?」



 なるほど、どうやら〝淫紋〟というのは性的奴隷につけられる印らしい。


 確かに俺の鳳凰紋章――〝フェニックスシール〟とはまったくの別物だ。


 何せ、



「お姫さまの意見に同感だ。てめえの淫紋とやらはこんな風に力を漲らせちゃくれねえだろ?」



 そう不敵に笑うオフィールの身体からは、まるで炎のようなオーラが揺らめいていたからだ。


 いや、オフィールだけではない。



「ふむ、フェニックスシールを通じて我らの力も《完全強化》されているというわけか。確かに愛の為せる技だな」



「ですね。神器だかなんだか知りませんが、今一度言います。――あなたが私を上回ることは断じてあり得ません」



「うん。だってわたしたちはイグザのお嫁さんだもの。イグザがいてくれれば、わたしたちは絶対に負けない」



「そういうことよ。ごめんなさいね。私たちには愛する彼がいるの。あなた如きの虜になるはずないでしょう?」



「皆……」



 アルカも、マグメルも、ティルナも、ザナも、皆色こそ違えど全員が同じオーラに包まれていたのだ。



「ぐっ、生意気な小娘どもが……っ」



 その美しい顔を怒りで歪ませるヘスペリオスに、俺もスザクフォームに変身して言う。



「その小娘たちにあんたは負けたんだ。そして今度は俺にも負ける」



 びゅっと片刃剣にしたヒノカグヅチを突きつけると、ヘスペリオスはククッと含み笑いを浮かべて言った。



「あまり調子に乗らないでもらえませんかね……っ? 私、今もの凄く虫の居所が悪いもので……っ」



「奇遇だな。俺もさっきからあんたをぶちのめしたくて堪らなかったんだ。悪いが手加減する気はないからな」



 と。



「――だから調子に乗るなと言っただろうがッ!」



 ごごうっ! とへスペリオスが杖から極大の青い炎を放ってくる。


 さすがは〝杖〟の聖者――無詠唱の術技だ。


 だが。



「それは――こっちの台詞だッ!」



 ――どばんっ!



 同時に俺は跳躍し、ヒノカグヅチでこれを受け止めながら女子たちに向けて声を張り上げた。



「こいつは俺が引き受ける! 皆は怪我人の救助と魅了されているドワーフたちの制圧を頼む! もちろん殺さないようにな!」



「「「「「了解!」」」」」



 全員が揃って頷いてくれたことを確認した俺は、へスペリオスとの決着をつけるべく力を解放したのだった。



      ◇



 ――馬鹿な!?


 ――馬鹿な!?


 ――馬鹿な!?


 ――馬鹿な!?


 燃え盛る炎の中、へスペリオスは苛立ち、そして困惑していた。


 最高位のインキュバスであり、かつ術技に特化した神器を備えた〝杖〟の聖者であるはずのへスペリオスの魅了が、たかが人間風情の愛や絆などというものの前に破られたのだ。


 今までそんなことはただの一度たりとてありはしなかった。


 人も、亜人も、魔物ですらも、〝雌〟であるならば必ずへスペリオスの前に陥落してきたからだ。


 なのに何故やつらには魅了が効かない!?


 何故自分のものにならない!?


 ――何故!?


 ――何故!?


 ――何故!?


 ――何故!?



「はああああああああああああああっ!」



 ――ごうっ!



「ぐうっ!? 舐め、るなああああああああああああああああああああああッッ!!」



 どひゅううううううううううっ! とへスペリオスは風の斬撃を無数に放つ。


 先ほどの蒼炎と同じく、風属性の中でも高位の術技だ。


 通常であれば触れただけで全てを斬り裂くはずの術技なのに、



「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」



 ――ごごうっ!



「――なっ!?」



 なのに何故こいつは肉片にならない!?


 まさかあの属性武器で全てを弾いているとでもいうのか!?


 いいや、そんなことが出来るはずがない!


 たとえ女神たちの力を借りていたとしても、同じ神より与えられた神器を持つへスペリオスの術技を、


《無杖》のレアスキルを持つ〝杖〟の聖者たるヘスペリオスの高位術技を、


 どこの鍛冶師が作ったかも分からないような剣で防ぐことなど絶対に出来るはずがない!



 ――ばきんっ!



「「――っ!?」」



 ほら見ろ、砕け散ったではないか。


 当然だ。


 何故ならへスペリオスは終焉の女神に選ばれし〝杖〟の聖者なのだから。



 ――どひゅううううううううううっ!



 まったく無様なものである。


 頼みの武器を失い、へスペリオスの風刃をまともに受けているではないか。


 とはいえ、あの男は不死身。


 ならばこのまま細切れにして、部位ごとに瓶にでも――。


 と。



 ――がしっ!



「――っ!?」



 突如伸びてきた手がへスペリオスの顔を鷲掴みにする。


 見れば斬り裂いたはずの部位が全て炎に包まれているではないか。


 そうか、こいつはもう……っ!?



「――なあ、インキュバス。人の女に手を出すことを〝火遊び〟って言うの知ってるか?」



「な、何を……っ!?」



「あんたは随分と火遊びが好きなようだな。ならお望み通り大好きな火遊びをさせてやるよ」



 ――ごうっ!



「――っ!?」



 その瞬間、ヘスペリオスの視界が真っ赤な炎で埋め尽くされる。



「ぐあああああああああああああああああああああああああああああああっっ!?」



 ――熱い!?


 ――熱い!?


 ――熱い!?


 ――熱……っ!?


 そうして襲いきた灼熱の嵐に、へスペリオスの意識は溶けるように消えていったのだった。

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