1-5 ゆう

  視界が揺れる。


 私の頭も揺れているし、身体も揺れている。


 ふらふらと、わたるの背におぶられながら揺れている。


 寝入りそうな時の振動に近いそれを、私は薄目を開けながら甘受する。


 二人で飲みに行った後、結局、私はうまく立つことができずこうしてわたるに送られている。


 うまく歩けない私にわたるはほら、とは何の気はなしというふうに背中を差し出したのだった。そういうとこだぞ、ばかやろう。


 そして、私もなんとなくその背に背負われ、夜の道を歩いている。見慣れた街をいつか好きだった人の背中に揺られながら進んでいく。


 その背中は暖かく、それはいつか近づいた背中でもあり、今は私のものではない背中だった。


 複雑な感情が溢れそうな気もしたが、そのほとんどがアルコールの高揚で誤魔化されていく。


 ただ、顔が熱いことと、頭がぼーっとすることだけを自覚して、夜の街を背負われながら進む。


 「この道、どっち?」


 「右」


 私の言葉に反応してわたるの足が右に向けられる。


 それ以外はただお互い黙々と進んでいく。


 ・・・・・いつか、これとおんなじようなことがなかったけ?




 ああ、そうだ。


 あれは確か、わたるに告白された時だった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 いじめの一件以来、私とわたるはそれとなく話すようになっていた。


 確かはじめは、私が話しかけたんだっけ。


 「結局、あれどういうつもりだったの?」


 確か、そんなことを問いただしたんだったか。あの時、私はあまりに不自然すぎる彼の行いを停学明けに真っ先に尋ねにいった。周囲の目が鬱陶しかったから、わたるがひとりになるタイミングを計るのに苦労したっけ。


 その時の光景をまだ不思議と覚えている。


 放課後、あらかた生徒が帰ったころ合いに、あいつは誰もいない美術室で一人で折り紙をしていた。折り紙って言っても、なんだか私の知っている折り紙とは全く違う、画用紙より二回りほど大きい紙に丁寧に折り目をつけていた。ただ、片腕をかばいながらしていたから幾分かやりにくそうに見えた。邪魔しちゃ悪い気もしたけれど、聞きたい気持ちの方が勝って私はそのまま声をかけた。


 わたるは最初、私が話しかけたことに少し驚いたような顔をしていた。手にはまだ包帯が巻かれていて、それをとればまだ痛ましい傷があったころだと思う。どことなくきょとんとした顔で、数度周りを振り返って自分に話しかけれているのかを確かめていた。今、あんたしかいないって、とか考えてたと思う。それから、わたるはしばらく黙って腕を組んでいた。この時は首を傾げたけれど、こいつは会話の答えを用意するのに時間がかかるやつで、まず私が何について問いただしているのかを考えいていいんだと思う。しばらくして、ようやく首を上げて口を開いた。


 それでわたるの返事は、そう。


 「痛そうだったから」


 「はあ?」


 それだけ、たったそれだけ。こいつは基本的に言葉が足りないのだと理解するのはもう少し先のお話。


 しかし、あの時から考えたら今のわたるはずいぶんと喋るようになったよね。私といる間にもだいぶ口数は増えていたけれど、その時とは比べものにならないほどよく喋るようになっている。これも大学で出会った人たちのおかげなのだろうか。喜ばしい反面、私といる間には起きなかった変化なのだと少し寂しくもあった。叶うなら、私の手でその変化が起きればよかったのに。


 「それだけ?たったそれだけの理由で彫刻刀に刺されにいったの?」


 わたるはしばらく首を捻っていたけれど、やがてこくりと頷いた。私は呆れてため息をついていたと思う。


 「じゃあ、その後、自分のせいでついた傷だとか言ったのはなんだったのよ」


 「・・・・・・・・・・間違えてない、僕が手を出したから傷がついた」


 確か、最初は滅茶苦茶苛立った、なにせ会話があまりに遅い。しかもどことなく、要領を得ない。ため息をついて、足を揺らす。


 「いや、そんなの全員嘘だってわかってるわよ。あんたが怪我したのは、私が自分で刺そうとしたところに、あんたが手を出したからでしょうが」


 「・・・・・・・・・・そうじゃない」


 「・・・・・・話が進まないから、そこは仮でもいいから認めてくれる?」


 「・・・・・・・・・・そっか」


 ふうとため息をついた。こんなんでこいつ友達いるんだろうか、いやこいつがクラス内で誰かと絡んでいるところなんて見たことないな。今回の一件があるまで、正直ちゃんと認識していなかったけれど。


 「じゃあ、仮にあんたが手を出して、彫刻刀に刺されに行ったとして、なんでそんなことしたの?」


 しばらく考え込んだ。苛立ちで自分の身体が忙しなくなっていく。


 「・・・・痛そうだったから」


 「はあ?」


 「・・・・・・・・自分の腕を刺すのは何となくわかって、そのままだと痛そうだった。だから止めようと思った」


 ため息、今日何度目の溜息だこれ。ただただ、理解できない。


 「・・・・・なにそれ、あんたの手は痛いじゃない」


 再び、黙考。


 「・・・・・・・・僕は、昔からあんまり痛いのとか感じないんだ。痛いって思うけど、他の人みたいにあんまり痛がったりしなくて済む。だから、僕の手が痛い方が、なんというか・・・・・安あがり?ですむ」


 ・・・・キレそう。


 「・・・・キレそうなんだけど」


 思わず口に出た。


 「・・・・なんで?」


 「自分をないがしろにするやつ見ると、なんか腹がたってこない?」


 落ち着けようと吐いた息がそもそも震えている。おなかの奥が熱くなって、背筋が熱を帯びていくの感じる。わたるはしばし目を伏せ居ていてそれから立っている私を見上げて口を開いた。


 「・・・・・・・・・・多分、同族嫌悪だと思うよ」


 言葉が足りないくせに、的確に腹が立つことだけは言ってくる奴だと思った。


 「・・・・・うっさいわね」


 「・・・・・君も自分を大事にした方がいいよ」


 「・・・・余計なお世話よ」


 そのまま怒り散らしてやろうと思ったけれど、わたるの手にある包帯を見てとりあえず溜飲を無理矢理下げた。腹の奥は熱いままだけど。


 「まあ、でも、いいわ。今日は別に怒りに来たわけじゃないし」


 「・・・・・じゃあ、どうして?」


 「別に、お礼言おうと思ったのよ。一応、かばわれた感じになったし、あんたのおかげで謹慎も短かったしね」


 「・・・・・・そっか、よかったね」


 わたるはこの時、確か微笑んでいたと思う。本当によかったと、そう思ったんだろう。なんとなく、そんな顔を見ていると少し、恥ずかしくなった。つまらないことで怒っていた私が馬鹿みたいだった。


 「しかし、あんたいっつも一人でこんなことしてるの?」


 居心地が悪くなって話をそらそうと、私はわたるが折っていた折り紙に指を向けてそう言った。


 「・・・・・・・・うん、美術の先生と仲いいからたまに貸してもらってるんだ。うちは美術部ないし、静かだし」


 「ふーん、明日もいるわけ?」


 「・・・・・・多分、・・・・・それがどうしたの?」


 「・・・・別に?」


 「・・・・・・うん?」


 「じゃ、用は済んだからまたね」


 「・・・・・・・うん、さようなら」


 そういって、私はその日、美術室を後にした。


 後日、美術室に顔を出すと、わたるは確か目を丸くして驚いていたっけ。


 「・・・・・・・・・・・・・なんで来たの?」


 「別に?静かで気に入ったからよ」


 確か、私はそんな言い訳をしていたっけ。


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 「わたるは・・・・変わったね」


 彼の背に揺られながら、そんなことをつぶやいた。

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