1-4 まみる

 店のドアがからんと鳴って、目を向けるといつか見たことのあった女の先輩が来ていた。


 名前は・・・えーと、日下部先輩だっけ。


 素知らぬ顔をして、案内のために応対する。一度、盗聴がばれたときにかのんやみはるんとまとめて顔を合わせているはずだが、気づく様子はない。


 ちゃんと見てなかったのかね、それか、そこに気付くほどの余裕がないのか。居酒屋のかっぽう着を着て、伸ばした髪も結んでいるから印象が変わって見えるのもあるかもしれない。


 テーブル席に案内した後、メニューとお冷を渡して定型文を口にする。


 「あ、すいません。後でもう一人、来ます」


 知ってる、知ってる。そのためにわざわざテーブル席に通したんだから。


 私は、わかりました、また注文が決まったらお呼びください、と声掛けだけして、テーブルから離れた後に気づかれない程度に眺める。幸い今は比較的早い時間だから、あまり客の姿が見えなくて観察はしやすい。


 緊張・・・してるな。あまりよく知らない人がみてもわかる程度には。こんなんで、大丈夫かねえと、こっそりため息をついておいた。


 数日前、かのんの奴から私のバイト先に例の先輩たちが来るから、様子を見ていてほしいと頼まれた。


 「別にいいけど・・・盗聴器とか仕掛けんのは勘弁よ。ばれたとき私の店での立場が危ういし」


 「いや、盗聴器とかつけ方もしらないよ。まみるは私が重度のストーカーか何かと勘違いしてない?」


 「え?違ったの?その割にはこの前のスマホで盗聴の手際、異様に早くなかった?」


 「・・・・いや、あれもその場で思いついたから」


 「ふーん、まあいいよ。仕事に支障が出ない程度に様子みとく」


 「やった、ありがと。お礼何がいい?」


 「うーん、今度、土日になんかおごって」


 「おっけー、任せろ」


 そんなやり取りのもと、私は依頼を請け負ったわけだ。幸いお店はそんなに大きくないから、様子をうかがうのはたやすい。お礼は・・・何をおごってもらおうかな。本屋でほしいものをいくつか買ってもらおうか、それか駅にあるラーメン横丁みたいなところに行くのも悪くない。


 10分ほどして、またドアベルがからんと音を立てた。


 目を向けると、案の定、例の男の先輩だった。


 私は少し伏し目がちになって応対に出る。確か、美術部に顔を出したときにこの先輩にも顔を見られている。


 すいません、もう知り合いが入っていると思うんですけど。


 大丈夫、大丈夫。知ってるよ。


 私はわかりました、ご案内致しますと営業用の声で答えると、さっきの先輩がいた席まで案内した。


 二人を案内したのは、店の一番奥のテーブル席。ほかの人に話を聞かれづらく、キッチンの出入口が近いから私は通りすがりに自然と様子をうかがえる、そんなポジション。


 案内とお冷を出し終えて、私が厨房に戻ると店長が首をかしげていた。


 「あれ、はたちゃん。あんなとこにお客さん通したの?いっつも店の手前から座らせるのに」


 「はい、ちょっと知り合いなもんで。ダメでした?」


 「いんや、全然。そっか、知り合いならちょっとお通し豪華にしとこうか」


 「いや、そこまでする必要は・・・」


 「いいの、いいの。また使ってって言っといて」


 基本的にありとあらゆるところに気前がよく、そのせいで店の経営が若干危うい店長はお通しを通常の二倍くらい盛ると、お盆と一緒に渡してきた。あんまり不自然だと私だってばれるんじゃないかという危惧もあったけれど、まあ今更突き返せないので仕方なくそれを二人のところまで持っていく。


 どうぞと渡してから、飲み物を聞く。


 メモをしながらちらっと覗うけれど、二人の間にはなにやらぎこちない雰囲気があった。いや二人の間という感じじゃないな、男の先輩の方は比較的余裕がある感じがするが、女の先輩のほうががちがちに緊張しているのが傍目にも窺えた。ほんと大丈夫かね、これ。


 梅酒、ソーダ割、日本酒、豆腐、卵焼き、サラダ、煮物。


 あらかた注文を聞いて、引っ込む。ちなみに、二人とも多分、まだぎりぎり未成年だ、浪人してる私と同い年だし。まあ、余計な口をはさむもんじゃないね。


 そそくさと席を離れて、店長に注文を伝える。店長は注文をとるなり、せっせと料理を作り始める。・・・いつもより明らかに手が込んでいる。ほかの客に見られないかがいささか心配だったけれど、意気込んでいるんだから邪魔しちゃ悪い。


 そんな店長を眺めながら、私は氷と酒の瓶を出してグラスに注いでいく。そこでふと、思い立ったことがあった。


 梅酒の方は確か、女の先輩が頼んでいたはずだ。あのがちがちに緊張していた方の先輩。少し、ほんの少しだけ原液の方を濃くしておく。普通に飲んでいれば気づかない程度に。これでどれくらい変わるのかはわからないけれど、まあ、少しは面白くなるかもしれない。


 私はグラスを二つ持って席まで運ぶと、それぞれに出していく。


 二人の間はまだ緊張しているようで、あまり話は弾んでいない。


 そんな様子を見ながら、私は注文する人がいないか待つふりをしてキッチンの出入口の近く、二人の声が聞こえる範囲で立っていることにした。


 しばらくして、ぽつぽつと会話が聞こえてくる。


 あれ、わたるとこういう店はいるの初めてだっけ。


 そうだね。大学入って、どっか行くのも初めてだし。


 はは、そりゃそうよね。


 今日は、何話そうって言ってたっけ。


 ええと・・・なんだっけ。あ、そうよ、お互い昔思ってた愚痴とかそういうの。


 ああ、言ってたね。やってみる?


 せ、せっかくだしやりましょ。せっかくだし、ね。


 そっか、何があるかな・・・。


 あ、あんま酷いこと言わないでね。ちょっと引きずりそうだから・・・。


 はは、うん、わかった。そうだな、愚痴、じゃないけど落ち着かないと、足をこうくるくる回す癖あるよね。


 え・・・・?そんなのある?


 うん、今も回してる。


 ・・・・・・・あ。


 あとは、怒ってると俯いて髪をいじりだす。だからすっごいわかりやすかった。


 え、うん、えーと、そうだったけ。


 しかも、怒ってるのに怒ってないってずっと意地張ってた。


 し、仕方ないじゃん。結構、私が悪いことも多かったし、我慢しなきゃってなるの!


 はは、だね。でもその後、大体感情がパンクして泣いてたでしょ。


 うー・・・・。


 よく、それで喧嘩になった。


 ふーん、どうせ私が悪いですよーだ。


 でも、俺もそうは思ってもあんまり言わなかったからさ、それで誤解させてた。ごめんよ。


 ・・・・・思いついた。わたるは、すぐ謝る。


 ん?


 わたるはね、何思ってるか知らないけどすぐ謝るの。ごめん、俺が悪かったって。でもね、違うの別に謝ってほしかったわけじゃないの。ただ、聞いてほしかっただけ、ただわかってほしかっただけ。こう思ったんだって、こう感じたんだって。そりゃ慰めてほしくはあったけれど、謝ってほしかったわけじゃない。なのにすぐ謝っちゃう。そしたらね、こっちも罪悪感、感じるのだから、そこは嫌だった。つらそーな顔して謝るんだもん、私が悪いみたいじゃん。


 ・・・・俺、そんな顔してた?


 してた、してた。痛いの我慢してますって顔。そしたらさ、辛い時っておちついてないからさ、もう全部嫌になっちゃって、余計辛く当たって、そんな自分がまた嫌になって・・・・。


 ・・・・そっか。


 ・・・そりゃあさ、辛いのわかるよ。痛いのをぶつけられたら、それで痛いのもわかるよ。でもね、謝られたら、私が傷つけてるんだって思えちゃう。違ったの、そうじゃなかったの。私は、ただ何も言わなくて聞いてくれるだけでそれでよかったのに。勝手に怒って、勝手に振って、勝手に泣いて、勝手に傷ついて。


 ・・・ゆう?


 私、世界最高の馬鹿じゃんってなって、ずっと自滅してるだけじゃんって、そんな自分が嫌になって。うう・・ぉぇ。


 もう、泣かないでよ。どうしたらいいか、わかんないよ。


 どうもしなくていい!聞いといて!!慰めなくていいし、謝らなくてよかったの!!


 ・・・・ゆう、お酒、弱いね?


 弱いよ!いっつも薄いチューハイしか飲めない!でも今日は飲むの!


 いくつか、料理を出した後に、注文に呼ばれたので席に向かうと女の先輩は明らかにでろんでろんに酔っていた。顔は真っ赤で、肩は不定期に揺れて、目も据わっている。これは、梅酒を濃くしたのは失敗だったな。先輩は揺れた頭でメニューを眺めてから、ゆっくりと私の方を向いた。


 ウイスキーのーロックー


 「いや、無理でしょ」


 思わずそう口に出た。店員としてまずいか、と思ったが無理そうなことに変わりはなかった。


 「ですよねえ、俺もそう思う」


 「うるへー、のーむーのー。いいたいことーぜーんーぶーいーうーのー」


 男の先輩も同意なようで、眼を軽く覗うと肩をすくめられた。


 「適当にチューハイ持ってきてあげてください。あと、お冷も」


 「りょーかいです」


 「うーわー、わたるがー、見知らぬ美人のていいんさんとなかよくなってるー。わたしがいっしょにのんでるのにー。はー、ほんとそういうとこ」


 「ゆう、本当に大丈夫?」


 「大丈夫じゃー、あーりーまーせん!わたしのー、じょうちょはー、高三のころからー、だいじょうぶじゃありません!!」


 私も思わず肩をすくめて引っ込んだ。チューハイは一応作るけれどぎりぎりまで薄めたやつを持っていこう。お冷はグラス限界までついでやろう。


 テーブル席にもっていくと、くだをまいていたのが一周回ったのか、今度は泣いて突っ伏している女の先輩がいた。情緒が不安定すぎてちょっとだけ、おかしい。


 「ほんと・・・ほんと、辛かったんだから。この一年半、自分が嫌いでどうしようもなくて。罪悪感ばっかで・・・。でも報われなくて」


 ちらりと男の先輩を窺うとどこか微笑ましく笑っていた。あまり無理のない、いい笑顔だと思った。


 「でもさ・・・頑張ったんだよ?大学入って、このままじゃだめだと思って。合唱初めて、コンクールも出て精いっぱいやって、部活やってようやく人とちゃんと関われるようになって。私、頑張ったんだよ?」


 「そっか」


 「うん、そうなの。いっぱい、いっぱい頑張ったの。あの時の失敗が無駄にならないように。いっぱい、いっぱい頑張ったんだよ?いつかわたると会った時、私はもう大丈夫だよって言えるようにさ、いっぱい・・・頑張ったの」


 「うん」


 「だから、褒めて、あと、ごめん、私の方こそいっぱい傷つけて、ごめん。許してなんて言えないけど、ごめん、ごめんね」


 「うん、頑張ったんだね。俺は、大丈夫」


 「ほんと?無理してない?私、いっつもわがままばっかだったから、わかんないよ?辛かったら言ってくれないと、わかんないよ?」


 「辛くは・・・・あったかな。俺も高三の頃は、うまく心が動かなかった。もっとゆうのこと気遣えたんじゃないかとか、自分に落ち度があったんじゃないかとか、そんなことばっか考えてた。でもさ、俺もちょっとは大学入って、前向きになれたんだ。最初、先輩達に見つけてもらってから、みんなで騒いで楽しいことして、色々作って。こんなうまいこと喋れない俺だけど、居場所があっていいんだって。そう、思えた。最近、後輩もできてさ、俺みたいなのが先輩になるなんて信じられなかった。前向きになれた、言いたいこともちょっとは言えるようになったよ」


 「・・・・うん、よかった。それなら、・・・・よかった」


 「うん、そうだね。お互い、よかった」


 「ねえ・・・」


 「うん?」


 「頭・・・撫でて?いっぱい、頑張ったから」


 「うん、頑張ったね」


 「・・・うん」



ーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 煙を吐く。邪魔しちゃ悪いので、注文と伝票を置いた後、見えないところでこっそり話を聞いていた。


 収まるべきところに収まったの、かねえ。これから先どうなるかはわからないけれど、過去の清算というのは終わったのだろう。まあ、女の先輩の方が酔いすぎていて、記憶残っているか若干怪しいところはあるが。かのんの奴は喜びそうな結末・・・かな。


 微笑んでもう一度、煙を吐いた。


 「はたちゃん、次、仕事中に吸ったら減給って言ったよね?」


 「あ」


 時給が10円差っ引かれた。優しいととるか、厳しいととるか、悩ましいところだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る