1-2 ゆう
長く、長く息を吐く。
椅子を後ろに傾けて、虚脱感に近い何かに息を吐く。
まだ心の整理は追いついていない。今、起こったことを正しく認識できてはいない。
落ち着いて、今のやり取りを思い返す。
つながったのだ、いつか切れた糸が。
謝ってくれた。
謝ることもできた。
正直、糾弾されるのが怖かった。あの時から、罪悪感でつぶされそうだった。
逆に、また恨み言を言ってしまいそうなのも怖かった。でも、言わなかった。うまくコントロールできた。
抱えていた不安が、今、ようやく救われている。
後ろに傾いていた椅子ごと前に戻る。
まだ頭はぼーっとしている。全身にもわずかに力が入っていない。
そのままぼぅっとしてもよかったが、今日の夕食の準備もある、とりあえず帰らなきゃ。
ぶぶっと音がした。スマホがなったのかなと最初は思ったけれど、合唱部の全体メッセージが入っていただけだ。これの通知は頻繁になるので私はそもそも鳴らないようにしている。では、何が?そういえば、スマホがなったにしても変な音だ。まるで机に置いたスマホがなったようなーーー。
ふと思い立って、机の下を覗いた。
そういえば、すっかり失念していたけれど、今回の出会いは設定されたものだった。無理矢理、引き合わせられたものだった。
引き合わせた彼女は、加納さんはどこにいるのか?どこかで話を聞いているのか?
机の下にむき身のスマホが養生テープで張り付けられていた。
画面を覗くと通話中になっている。
通話時間を見るに、私たちが会話を始める少し前くらいからつなぎっぱなしらしい。
通話中になっているが、向こうの音声は聞こえない。ミュートにでもしているのだろう。
そして、さっきの振動は合唱部のメッセージの通知用だろう。ちなみに通話相手はみはるとなっていた。
軽く息を吸う、この一年で合唱で鍛えた喉を使って、可能な限り怒気を込める。
「聞いてるんでしょ?かのうさーん、
数秒遅れて、「はい・・・」という加納さんの声が響いてきた。
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「とりあえず、どういうつもりだったのかな?」
「いや、ほんと怒らせるつもりではなかったんです。私の個人的な趣味というか・・・、怒ってます・・・・?」
「怒ってないよ・・・・?」
「声が怒ってます・・・」
無理矢理、笑顔を作る。しかし、声にはどうしても怒気がこもる。加納さんは私の前に出頭したときからおびえた子猫のようになっており、恐怖で顔が引きつっていた。協力者の子があと二人ほどいたらしいが、とりあえず、加納さんが首謀者ということで加納さんにだけ話を聞くことにした。私たちは今、大学近くのカフェにいる。
少し吸って、息を吐く。怒っていることを伝えるつもりではいたが、これでは話にならない。声の怒気を抑える。気持ちも少し落ち着かせる。
「いや、本当に怒ってるだけじゃないから。感謝したい部分もあるし」
「じゃあ、引き合わせて・・・・よかったんですか?」
「まあ、結果オーライって感じだけどね・・・」
「よかった・・・・」
「黙って、盗み聞きしてたことは怒ってるけど」
「はい・・・」
加納さんはしょんぼりと肩を落とす、それを見ているとすこしばかり溜飲も下がった、怒っていることはちゃんと伝えたし。まあ、本人の言う通り悪意があってやったわけじゃないのだろう。深く、息を吐いて気持ちを落ち着ける。
「で、あらためて聞くけれど、どういうつもりでこんなことしたの」
「え・・・と、二人に幸せになってほしい・・・というか?そういう、感じの」
「そんな気をつかった感じじゃなくていいよ、面白そうだったとかでももう怒んないし。本心聞きたいだけ」
そう言うと、加納さんからおびえた表情がすっと消えた。
「お二人の関係が性的に興奮したので実行しました」
すすっていたお冷が噴き出た。
「大丈夫ですか!?日下部先輩!?」
「えっほ・・・・ぅん、ありがとう」
加納さんは私に布巾を差し出して、自分も拭いてくれた。心優しい対応である。気遣いもできている。それだけにさっきの発言のおかしさが際立つ。
「あの、聞き間違いだよね・・・こうふんって・・・・」
「あ、はい。私、恋愛的に尊い関係を見ると興奮する性癖でして」
聞き間違いじゃなかった。聞き間違いであってほしかった。
「そういう状態の男の人・・・とかじゃなく?」
「はい、そういう関係そのものに興奮します。偶に性的な絶頂を覚えます」
「そっか・・・・」
ふぅーと息を吐く。落ち着け、落ち着け。冷静になれ。深く、深く、息を吸う、深く、深く、息を吐く。
で、冷静になってどうしたらいい。心を落ち着けようとした深呼吸がこれほどまでに困惑を産むことが今まであっただろうか。つまり、あれだよね、この子は私とわたるの関係がその、尊い?と思って、そこに性的な興奮を覚えたから・・・。
「だから、私たちをひっつけようとした・・・?」
「はい!!」
いい笑顔で返答を頂いた。いい笑顔すぎて、どう返したらいいかわかんない。何なんだろう、この子。今までの私の人間辞典にはさっぱり載ってないよこんな人種。当然、対応も未知数。どうしたらいいっていうんだ。
「あ、ご心配なく!二人のお邪魔はしません!!高校の頃はそういうふうに誤解した人達にいっぱいいましたけど、私は本当にこれっぽっちも邪魔する気なんてないので!!思う存分、愛を育んでください!それを見て、私は勝手に鼻血吹いているので!!」
「そっか・・・・」
いい笑顔だった、二週間ほど見ているが、加納さんのこんないい笑顔をみるのは初めてだった。言ってる内容は非常にあれだけど。
「あ、見られてるっていうのが嫌だったら、そこらへんも配慮しますんで!!可能な限り、伝聞に留めますんで!さすがに情事のシーンとか大事な場面まで覗くのもデリカシーにかけると思うので、そこらへんは妄想で補完します!」
大人しめで周りをよく観察して気遣いしてくれる非常にいい子。だけど、自己主張にちょっと乏しい、そんなのが加納さんの同回生内評価だった。
そんな評価を下していたやつらを一列に並べて、一斉にひっぱたきたい気分だった。その列には過去の私も並んでいるわけだけど。
「あ、うん、情事とか、そういうとこはさすがに気を遣って・・・、いやちょっとまって、私とわ・・・山崎がこれからそういう関係になるって思ってるの?」
「はい?ならないんですか?」
あっけらかんと尋ねてくる。言ってくれるよ、この後輩。
「いや、そもそも私たち一回別れてるからね」
「関係あるんですか?それ。まだ好きなんですよね?」
「・・・・ほんと、言ってくれるねえ」
「・・・・いや、すいません。私は完全に私のために動いているので、本当に間違ってたりまずかったらいってください」
加納さんは少し、殊勝な態度になって肩身を狭くする。うーん、根本的にはいい子?なんだろうな。多分だけど。
まだ困惑は多いけれど、大きくため息をついて加納さんを見据える。
「いや、まずくないよ。好きだし、今でも、うん。そこは間違ってない」
加納さんの顔が少し驚いたようになって、ぱっと明るくなる。そこまで露骨に喜ばれてもなあ。
「じゃあ!精一杯、応援しますね!!そして、目いっぱい幸せになってください!!じゃあ、次はデートの計画ですね!!どうやって誘いましょう!どこがいいですかね!水族館とか行っちゃいます!?」
「ははは、・・・そこも一緒に考えるんだね・・・、というか私は、飲みに誘っただけなんだけど」
「願わくば、お持ち帰りまで行きたいですよねー!!というか、一度くらいすでに致してるんですよね、じゃあ、そこのハードルは低めか・・・、意外とすぐくっつくのでは?」
「おーけー、わかった。はっきり言わないと通じないタイプだな。加納さん!気が早い!!あと、人の話聞いて!!」
「っは・・・すいません!つい、興奮して」
苦笑いでため息をつく。今日、何度目の溜息だろう。
でもまあ、胸が高鳴っているというのは、少し、私もわからないでもなかった。この先に、少しだけでも光明が見えている気がするから。
私と山崎がまた、恋人同士のようになる。そんなことあるのだろうか。いや、そこまでなくても、また仲良くなれたらとは思う。それだけのことをあいつとは話したし、それだけのことをあいつとは過ごしてきたと思う。
加納さんは目の前でぱらぱらとメモ帳をめくってデートプランのアイデアを話していく。
それにまあ、他人から応援されるというのも悪い気がしないものだ。
ところで、ふと思ったのだけれど、他人の幸せが幸せなんて、そんな人間本当にいるもんだろうか?人間って、そうは言っても自分の幸せを求めてるもんじゃないかな?
自己中心的と自分を語る彼女は、同時に献身的すぎるほど他者に尽くしているようにも、自分の幸せを度外視しているようにも見えた。
加納さんが妄想のあまり、鼻血を吹いた。
いや、気のせいだな、こりゃ。この子は己の欲望のためにやってるわ。
軽く息を吐いて、私もデートプランを考えることにした。
さあ、どうなるんだろうね、これ。
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