1-1 わたる

 ある日、後輩に要件も告げられずに呼び出された。


 待ってるようにといわれたのは学部棟の最上階の一番奥の空き教室で、丸一年ここの大学にいるが一度も利用したことのない場所だった。ついても誰もいなかったので、本当にここでよかったのかなとメッセージを飛ばすけれど、どうやらここでいいらしい。もう少し、そこで待つように返信が来た。


 そこは10人ほどが利用できる小教室で、大分こじんまりとしている。授業もあらかた終わった時間だったのでこの階自体が静かで、言われるまま到着した僕は暇を持て余してスマホを触っていた。次は何の作品にしようか、高校の頃明確に具体的なモチーフを持っていた僕の折り紙は、大学に入って徐々に曖昧な人型や想像上の存在に成り代わっていた。しばくらモチーフになりそうなものをスマホで探すけれど、いまいち集中が続かなかったので、スマホから手を離す。


 しかし、なんの要件だろう。さっぱり見当もつかないが、肝心の呼び出した後輩も未だに現れない。


 しばらく首を捻っていたら、足音がした。カツンカツン、と硬質な音が廊下に響いている。無人に近いこの階は足音の主が徐々に近づいてくることがよく分かった。


 足音はこの教室のすぐ近くに来て止まった。


 ようやく来たかなと顔を上げる。当然、件の後輩が来るものと思っていた。


 お互い、眼を見開いた。


 それと同時に呼び出した後輩の言葉が脳内で反芻される。


 「まだ会いたいですか?」


 あの時、僕は、確か。会いたいってそう、答えたんだっけ。


 彼女が、日下部が、ゆうが。そこにいた。


 私服は高校の頃はあまり見る機会のなかった。髪色は卒業後に変えたみたいだ、見た目は大きく変わっていた。


 でも、間違いなく僕が昔付き合っていた女性である。日下部 ゆう その人だった。


 唇が、喉が、指先が震えた。胃が縮こまるような感覚に襲われる。


 「ゆ・・・・、日下部?」


 喉がうまく機能しないのを感じながら、名前で呼んでいいのか、判断がつかなくて反射的に呼び慣れていた苗字が口から出てきた。


 「山崎・・・・」


 名前を呼ばれ、数瞬して我に返る。同時に、ここに呼び出した後輩の意図にようやく思い至る。なるほど、そういうことか。だからあんな質問をしたのだ。


 「え・・・・どういうこと?」


 対する、ゆうはまだ整理がついていないのか、困惑した表情をしている。僕は緊張をほぐすために軽く息を吐いた。さあ、引き合わせられたのはいいけれど、何を話せばいいんだろうね。あの後輩たちはいったい何を望んでいるのだろう。


 「なんで、あんたがここにいるの?」


 「後輩に呼び出されたんだ、この教室で待っていてくれって」


 「私も・・・・」


 ゆうはしばらく停止して、少し目線を落とすとふぅと息を吐いた。どうやら状況の整理はできたらしい。


 「はめられたってこと?」


 「そう、らしい」


 そのままゆうは少し、逡巡するように足を動かしていた。よく対応に困ると、目を伏せて片足をああやって地面にこすりつけるような癖があった。そんな、ともすればくだらない記憶も簡単に思い出された。もう、一年半も前のことなのに。


 「とりあえず、座ればいいと思う」


 僕がそういうと、ゆうははあ、と軽く息を吐いて、まだ少し足をこすりつけた後、僕から一つ離れた席に腰を下ろした。隣に座ることはしない、席一つ分だけ空いた空白がじわりと僕の胃に染みしていた。


 「あの子、・・・うちの後輩の加納さんって子なんだけど、どういうつもりなのかしら」


 「わからない、僕の方は悪い子ではなかったと思うけれど」


 加納、という名前には聞き覚えがあった。一度いや二度か、美術部の部室に遊びに来たことがあった。そうえいば、あの子にも僕達の昔の話をしていたっけ。うちの後輩、みはさんと友達だったようだし、そこから二人の間でなにやら計画が練られたのだろう。僕らを引き合わせるという計画が。


  しばらく、沈黙が続く。居心地の悪さというか、苛立ちのようなものがゆうから感じられる。ゆうはわかりやすいから、割合、そういうのが簡単に感じ取られた。何か、喋った方がいいのだろうな。でも、何を喋ればいいのだろう。今更、僕たちは何を喋るべきなのだろう。わからなかった。わからなかったから、そのまま口に出した。いつか、絵を描けなかった子に伝えたことをそのまま口にするみたいに。喋れないということを喋ろう。


 「喋ることがおもいつかないな」


 「私とは喋るようなこともないってこと?」


 つっけんどんで不機嫌な声が返ってくる。機嫌が悪くなると何事も悪く捉えるのは相変わらずだなあ、と軽く苦笑いして、話を続ける。


 「いや、多分、喋りたいことが多すぎて、でもそれを聞いてもいいかわからないんだと思う」


 「ふうん」


 「聞いてもいい?」


 「知らない」


 「じゃあ、とりあえず聞いてみるから、悪かったら言って」


 「・・・好きにしたら。止めても勝手にやるんでしょ」


 態度は変わらない。心に少し傷がつきそうになる、でもそのまま続ける。


 「今、何のサークル入ってる?」


 「合唱、ソプラノってやつやってるの」


 「友達出来た?」


 「馬鹿にしてんの?昔からいるわよ友達なんて」


 「そっか、よかった。ひねてるからさ、心配だった」


 「ふん、これでも後輩たちから見たら、優しくて頼もしい日下部先輩よ」


 「はは、そっか」


 「ていうか、他人の心配ばっかしてるけど、あんたの方がやばいでしょ。友達いるの?」


 「友達、って言っていいかはわからないけど、美術部の先輩たちとは仲良くしてる」


 「先輩なんて卒業したらいなくなっちゃうじゃん」


 「だね、後輩とも仲良くしとかないと。ああ、ゲーム友達なら何人かいる」


 「ふうん、よかったじゃん。変人のあんたと付き合ってくれてるんだから、感謝しときなさいよ」


 「うん、そうだね」


 「・・・・・」


 「・・・大学生活、楽しい?」


 「・・・それなり」


 「そっか」


 「あんたは?」


 「楽しい、かな。うん、先輩たちとバカみたいなことばかりしてるけど、楽しいよ」


 「ふうん」


 「・・・・・・」


 「・・・・・・」


 「・・・・彼氏、できた?」


 「・・・・・・・・・・・いないわよ、合唱で忙しいし、ゼミも」


 「そっか」


 「・・・・・あんたは?」


 「ん、いないよ。身の回りにあんまり女っけがなくてね」


 「なにそれ。まあ、あんたなんかに付き合えるのなんて・・・・」


 「ん?」


 「・・・なんでもない」


 「・・・・そういえば、ごめんね」


 「・・・何が」


 「・・・・あの時、ちゃんと気持ちがわからなかった。汲み取れなかった」


 「・・・・もう、いいわよ。私だってきつく当たったし。知らなかったんでしょ、仕方ないわよ」


 「ううん、それでも・・・・さ」

 

 「・・・・・」


 「ごめんね」


 「・・・・・謝んないで、別にあんたが悪かったわけじゃないでしょ」


 「・・・・・それでもさ、ごめん」


 「・・・・・私の方こそ、ごめん」


 「・・・・・うん、いいよ」


 「・・・・・・」


 「・・・・ねえ、ゆう」


 「・・・・なに」


 「今、やりたいこと、ある?」


 「・・・あるわよ。色々、合唱、ゼミの課題もそうだし、友達と旅行の計画もあるし」


 「そっか、いいね。俺もね、今の場所は心地いい。だから、大丈夫」


 「何それ、あんたの心配なんかしてないわよ」


 「どうかな、そういうとこ気にしいだったからさ」


 「・・・ふん」


 「俺も、ゆうが前向いて過ごしてるみたいで、安心した」


 「・・・・何それ」


 腰を上げた。荷物を持つ。


 「仲直り、できたかな?」


 「・・・・できたんじゃない、多分」


 「そっか、よかった」


 話すべきことは話した。後輩たちの思い通りかは知らないが。


 ふう、と息を吐くと胸のどこかに引っ付いていた取っ掛かりが取れたような感じがする。息を吸う。うん、今、思い出した。僕の元の身体はこんなに簡単に息ができたんだな。この一年半、ずっと何かが引っ付いていたのだ。ゆうとのわだかまりが、ずっと残っていたのだ。


 息を吐くと、長く長く溜めていたものがようやく外に出ていったような気がした。足取りが軽い。


 「ねえ」


 ゆうが声を上げた。うつむいたまま、表情は見えない。


 「ん?」


 「アドレスとか電話番号、変えてない?」


 心臓がドクンと脈を打った。


 「・・・・変えてないよ」


 「そっか・・・・あんた前に言ったわよね。別れても友達なことに変わりはないって」


 「・・・・うん」




 ゆうが顔を上げた。泣いているような顔だった。笑っているような顔だった。




 夕暮れの陽がとても映えて、僕は絵が描けないけれど、一枚の絵にしてみたいと思えるような笑顔だった。




 「今度、飲みに行きましょうよ。そんで、お互いの愚痴を言いあうの、思ってたこと全部。溜めてたこと全部、そしたら・・・きっと楽しいわよ」


 僕も笑った。

 

 「いいね、行こう」


 「じゃあ、また連絡するわ」


 「うん、待ってる」


 ゆうが手を振った。僕も手を振った。


 教室をあとにする。


 試しに一人でほくそ笑むと、気負いなく、笑うことができた。いつぶりだろうか。一年半ぶりか、もっと前か。


 これから起こることが楽しみになるなんて、本当にいつぶりなんだろうか。


 「頼むから、幸せになってくれよ」


 そう、一人呟いた。


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 「だめ・・・・鼻血吹くわ」


 「「・・・そんな、古典的な」」


 「・・・・・・・むり」


 「本当に吹いたよ・・・・」「吹いたね・・・・」

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