ある日の朝食

@name4

第1話

ハルコは朝食を食べていた。今日の朝食はわかめとお豆腐の浮いた味噌汁に、白いご飯、目玉焼き、トマトの乗ったレタスサラダだった。

隣では妹のナツカがサラダを食べていた。赤いミニトマトが、持ち上げられたレタスの上を転がる。

「ナツちゃん、もっとゆっくり食べなくちゃだめよ」

せっかちな一つ下の妹は、のんびり屋のハルコと違い早食いだった。

「姉さんが遅すぎるんだわ。これくらいが普通よ。私、今日も部活の朝練があるの」

ナツカはバスケ部に入っている。運動が得意ではないハルコは、弾丸のように鋭いドリブルを繰り出す妹を静かに尊敬していた。けれど今は話が別だ。よく噛まなければ体に悪いと、おばあちゃんだって言っていた気がする。

「でも、そんなことではいつかのどを詰まらせてしまうわよ。オオカミだって子ヤギを食べるときはもう少しゆっくりだったと思うわよ」

ナツカは手を止め、呆れたような目でハルコを見た。

「……姉さん、そのオオカミは子ヤギを丸呑みにしてるわよ。いくら私でも、丸呑みにはしないわ」

「あら、そうだったかしら」

「オオカミが姉さんみたいに三十回なんて噛んでいたら、とても児童文学にはできない内容じゃない」

ハルコはオオカミが三十回噛んだ場合の子ヤギを想像してみた。頭の中で、ハサミを持った母ヤギが外科医よろしくオオカミのおなかを切る。出てきた一匹目は……。ハルコは顔を青くした。

「たしかにおぞましいことになるわ」

「そうでしょ?その話はオオカミが丸呑みするほど早食いだったからハッピーエンドなのよ。早食いを止めたいときに言う喩えじゃないわ。姉さんは喩えが下手ね」

ナツカはすこしだけおかしそうに目を細めた。

「じゃあナツちゃんはうまい喩えができるの?」

妹に馬鹿にされたハルコは口を尖らせる。妹は苦笑いした。

「喩え?そうね。トマトは信号機みたいだとは思うわ」

(信号?たしかに、トマトは赤信号みたいに赤いけれど)

「それって当たり前だわ。ナツちゃんも喩えが下手よ」

ナツカは涼しい顔で「そうね、私も下手だわ」といった。

ハルコは朝食に戻る。彼女はまだ温かい味噌汁のお椀を手に取った。

味噌汁には四角い豆腐とぬるりと光るわかめが浮いている。今日のお味噌汁は昨日の夕食の残りだ。調理が楽な具材ばかりなのは、調理したのが面倒くさがりの妹、アキナだからだろう。ナツカなどはアキナにそんな面倒くさがりではやっていけないと怒るだろうが、ハルコは彼女の味噌汁に文句を言ったりはしない。実をいうと、ハルコは味噌汁を作るのが苦手なのである。長女としてそれはどうかと思うから、よく妹と味噌汁づくりの練習をするのだが、どうも味噌の分量がわからない。

ハルコはお椀の底まで見通せる澄んだ味噌汁を眺めながらふうとため息をついた。

(この透明なお湯に、どうやってお味噌は溶けているのかしら?)

ハルコは首を傾げた。


ナツカはハルコと話し終えたとたん、アキナに話しかけられた。

「ねえねえ姉さん、いつになったら私は当たりの卵をたべられるんだろう?」

(もう、部活があるって言ってるのに、どうして私の姉妹は話しかけてくるのかしら)

おっとりしているハルコは、あれでもナツカのことを心配して話しかけてきたのだから、そこまで腹立たない。けれどこのアキナはこういうどうでもいいことを無神経に話してくるものだからだめなのだ。ナツカは少し乱暴に「いつか食べられるんじゃない?」と答えた。

「ねえさんなんだか話が適当だ!」

案の定アキナはナツカが本気にしないのを悟り、子供っぽい顔でむくれた。なにを卵ごときでそんなにムキになっているのかと思ったらけれど、そういえばアキナは小さい頃からずっと当たりの卵が食べたいと言っていた。

(あたりの卵って、たぶん黄身が二つある卵のことよね。まあ少しはレアかもしれないけれど、そんなに長年追い求めるものかしら?)

まん丸の黄身が一つ乗った卵を、アキナは恨めしそうにつついた。

「やっぱり特別な鶏からじゃないと当たりの卵はでてこないのかな」

「特別な鶏?」

「そうそう。豆の木を登った先の、巨人が持っている鶏とかさ。もうそれくらい冒険しないと食べられない気がするよ」

「そこまで大げさな卵じゃないわよ。あれは。まあ私も食べたことはないけれど。わざわざ空き巣殺人なんてしなくても、スーパーのやつを根気強く買ってればいつか食べられるわ」

そうかなあとアキナはぼやいた。

 時計の針を見ると、あと五分で出かけなければいけない時間だった。ナツカはぶすくれるアキナとの話を切り上げ、大急ぎで残りのサラダを平らげた。

最後のミニトマトをつまんだところで、ナツカは姉との会話を思い出す。

(信号機の青って、実際は緑なのに青っていうのよね)

だからナツカは、トマトは信号機みたいだと思う。

(だって、こんなに紫色をしたトマトを、みんなは赤っていうんだもの)

ナツカはすみれみたいな色のトマトを口に放り込む。もちろん丸呑みにはしなかった。


ナツカが朝食を食べ終え、席を立ってしまったので、アキナは別の話し相手を探した。姉妹は学校で話しかけるのを嫌がるし、放課後はアキナも部活で帰るのが遅いから、家族で食べる食事の時間は姉妹と話しがしたかった。ナツカの次にアキナが目を付けたのは、妹のフユミだった。

フユミは眉間にしわをよせて白いご飯を箸でつまんでいた。きびきびした一つ上の姉と違い、普段からにこにこしているフユミは、なぜだかご飯を食べるときだけ難しそうに顔をしかめるのだ。

「フっちゃん、そんなにご飯を睨みつけちゃだめだよ。可愛い顔が台無しだ」

そう声をかけると、フユミは困ったように笑った。

「私、怖い顔をしてました?」

「うんうん、正体がばれたときのお嫁さんみたいだった」

「お嫁さん?」

「ほら、昔絵本で見た、お米を食べないって嘯いた」

「ああ、あのお嫁さんですか。……それ、ずいぶんと怖いってことじゃないですか」

フユミは頬っぺたを両手でつつみ、むにゅむにゅと表情筋をほぐしだした。どうやら相当ショックだったらしい。

「大丈夫、あのお嫁さん一応美人だったから」

「正体がばれたときは山姥でしたよ……」

慌てて取り繕う。しかしフユミはしょげたままだった。

「私はあんなにばくばくお米を食べたりしませんよ。お茶碗一杯だって大変なのに。アキ姉さんはよく普通に食べられますね」

フユミはどうやらご飯が嫌いらしく、あののんびり屋のコハルよりご飯を食べるのが遅い。それでも律義に食べようとはするのだが、たまにあきらめてご飯粒がまばらに残ったままお茶碗を流し台に出したりする。

せっかく注意したのに、フユミはまた顔をしかめてご飯をつつきだした。また何か言ってしょんぼりさせるのも嫌だから、アキナも自分の食事に戻る。

 眼前の目玉焼きは、真っ白だった。

アキナは今まで、黄色い丸がある卵に出合ったことがない。目玉焼きの卵は白一色で、辛うじて真ん中の部分が膨らんで見えるような気がする。写真の卵も全部そうだ。ただ、絵本には真中が黄色い卵が描いてあるから、きっと真中が黄色い卵も存在すると思うのだ。

(いつか、黄色いやつがある当たりの卵をたべてみたいな)

きっとすごくおいしいはずだ、とアキナは当たりの卵の味を想像しながら、普通の卵を平らげた。


ご飯を食べることを一時中断して、フユミが食卓を見渡すと、テーブルにはハルコしかいなかった。真ん中の姉二人はとっくに食べ終えてしまったのだろう。後に残るのはいつもご飯が苦手なフユミと、全ての行動が遅いハルコだけだった。ハルコは味噌汁をのぞき込みながら首をかしげていた。姉はなぜかよく味噌汁を見ながら惚けている。けれど彼女の持っている味噌汁はいたって平凡な、味噌が溶けた茶色い液体に、定番の具が浮かんでいるだけのものだ。これでもしスイカでも浮かんでいたら首をかしげたくなるのもわかるが、不思議な顔をされるのは腑に落ちない。

「ハル姉さん、味噌汁をそんなに覗いてどうしたんですか?」

「ううん、アキちゃんはよく味噌汁がつくれるなあって思ったの」

「そんなの私でも作れますよ。作れないのは姉さんだけです」

姉が作るみそ汁の味を思い出してフユミは苦く笑った。彼女の味噌汁は、舌が焼けそうなほど濃かったり、はたまた白湯と変わらぬ味だったり非常に極端なのだ。何度教えても彼女は味噌の分量を理解しないから、ナツカなどはこの前匙を投げた。

「お味噌って本当に魔法みたいよね。作る人も使う人もすごいと思うの。私、カボチャの馬車を出す魔法使いよりもお味噌使いを尊敬するわ」

(お味噌使いってなんですか)

フユミは姉の突飛な発想に呆れた。スローな姉の脳内はいったいどんな回路がつながっているのか、たまにおかしなことを言いだすのだ。

「味噌を出されてもお城には行けませんよ」

「確かに、お味噌は乗りずらい気がするわね」

「味噌に乗せる気だったんですか。味噌の香りがするお姫様なんて、いくら美人でも恋には落ちませんよ」

「カボチャの匂いがするお姫様がいいならお味噌でもいいと思うのだけれど」

香りはわかるのにね、とハルコは呟いて、茶碗をゆっくり回した。

フユミはあらためて忌々しいご飯に向き直る。向き直るといっても、フユミはご飯なるものをこの目で見たことはなかった。お茶碗にもられたそれは透明で、箸でつつけば一応柔らかい感触がわかる程度のものだ。

(味はまあおいしいからいいんですけど、見えないからどこにあるのかわかんないんですよね。感触からたぶん粒状のものだと思うんですけど。姉さんはどうしてこんなものをスイスイ食べれるんでしょう。お味噌使いよりお米使いのほうが私はすごいと思います)

別にお姫様を米に乗せる気はないけれど。そもそも見えない米に乗るのは難しいだろう。

フユミは顔をしかめながら、茶碗を箸でかき回し、透明なお米を探した。



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