昼時の話

凌田大堀

第1話

 私は昼が好きです。昼と言っても、平日の昼です。平日というのは、学生は勉学、大人は自らの職務の為、学舎やらビルやら、家やらに籠る、そんな日。平日の昼です。昼にも静けさがあります。静かでも、生きている音は、はっきり感じられます。白昼堂々とか白昼公然とか言われますが、私はこの時、何を犯しても誰も気付かないのではないかと感じます。又、この時を感じている事自体が罪でないかとも感じます。実際のところは、至って合法的で、曖昧な一片に過ぎない事も常々感じております。

 今朝、私は見慣れた道を歩いておりました。しかし、道の隅に、足元の方に緑が顔を覗かせているのに気が付きました。それは、アスファルトの隙間という空間の中で、十分に活きている様でした。こう言うと人間のエゴなのかも知れません。しかしながら私は、それ程の緑を見る事が出来たのです。そうして、私はこれを「雑草」と呼んで良いものなのか考えました。唯「雑草」とまとめるのは、どうも気の毒に感じたのです。今の心持ちを翻訳するには、余りに中途半端だったのです。私は度々そんな事を考えるので、見慣れたと言っても、心の半分以上はこの道に無いのです。

 私がつまずいておりますと、桜が降ってきました。出不精な私の春の訪れはすっかりテレビ任せでしたから、ここまで近く春が来ているとは思っておりませんでした。私は、私の行先について考えました。一つ実感を得ると、又別の実感が引き出されたのです。私はそれに恐怖しました。しかし、積極的でもありました。最も、積極的で有る必要がある事を理解していたのです。それより、何よりも、私はこの感覚の塩梅が、自らを狂わす事をよく知っていました。にも関わらずこれは、決して自ら操る事の出来ないものでもありました。ですから私は、これに一時的な解を出す他ありません。そしてそれを、数時後には後悔するのです。私は度々、理不尽なそれから、みぞおちを喰った気分になります。いたたまれない気分になるのです。

 廊下の中で、私の足音が響きました。しかし、他の足音や声もどこからか聞こえました。

 慣れた階段を上り、慣れない階に出ます。数字のみの変わった様な部屋が連続しております。私はその一つに入り、並ぶ机群の少し黒板から遠い方に荷物を置き、そこらの壁を観察しました。やはり、中から見ても、量産的でありました。唯違うのは、ゴミ箱の位置、壁の汚れ。私はたったそれだけを、とても大きな違いの様に捉えました。私は荷物を置いたまま、廊下に出ました。そして一階まで降りると、上履きのまま外を回って、特別棟へ入りました。特別棟の一階はとても静かでした。そのまま、階段を上りました。やはり、私の足音は響きました。しかし、一階の上の踊り場まで行ってみると、声が聞こえてくる様になりました。私は初め、渡り廊下からだと思っていました。しかし、二階を過ぎると、その声はどうやら、特別棟の三階からだと気付きました。私は二階の渡り廊下を通って、普通棟に戻りました。ここまでを、自らの無理のない範囲で行いました。私の中の静けさを保っておりました。

 教室に戻ると、二人の生徒がおりました。私は挨拶せずに、荷物から出した本に目を落としました。次に顔を上げたのは、教室が決められた数程で埋まった時でした。全員が着席した後、横目に隣の生徒を見ました。知らない顔でした。逆側を見ると、いつか廊下で見た事のある顔でした。私はそれを新鮮に思いましたが、生徒と椅子が一対となって並ぶこの様は、幾度となく見たものでありました。

 私はもう一度、教室を見ました。やはり、何か変な気持ちになりました。ばればれの嘘をつかれている様な、又それが嘘だと分かるような嘘であって、しかしそれを他は信じてやまない様な、そんな気持ちでした。私はとうとう、自らの机の先に動くのが困難になってしまいました。この理由を知らない事が、どれだけ幸せであるか。私は生徒を見て、想像しました。それと同時に、この事について無知である事が、どれだけ恥ずかしい事かと恐怖しました。私は、他人の無知を信頼出来ませんでした。しかしながら、この感覚は私の特許であるかの様に信じる時もありました。

 この教室には、数月前までは掲示があった筈で、又決まった数字を収めていた筈なのです。しかし今は、私の事を簡単に許容しています。端の壁の小さな誰かの落書きを、はっきりと残しておきながら、画鋲の穴を残しておきながら、今私の教室として、私を迎えているのです。そして又新たな掲示を受け取るのだと思うと、私は気の毒に思えて仕方がありませんでした。しかし、私が思うより単純に受け入れているところを見ると、その感情はそのまま、私に向けられるのです。無知の恐怖で、他人に優越する程に、私は他人以上の恐怖を感じたのです。

 昼、空の色の反射した道を歩きました。徐々に、来た道を帰ると、朝の事を思い出しました。そして、やはり後悔しました。数時前、昔の事を考えると可能性が溢れてくるのです。しかしそれは妄想でしかないと、私は空気と一緒に飲み込みました。一瞬に感じられる昼が、この恐怖を許してくれる気がしました。私も、静けさの一つとして歩きました。昼は必ず、私を照らしてくれます。側には誰かが生きています。

 日は傾き始めていました。私は夜を迎えなければならないのです。明日を迎えなければならないのです。

 

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昼時の話 凌田大堀 @Ohorishinoda

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