屋上
凌田大堀
第1話
何で目を覚ましたか分からなかった。右側のスマホのボタンを押す。画面は大きく、八時十八分を表していた。視界がぼやけつつそれを確認すると、今度は左側に寝返った。顔に、乱雑に積まれた漫画がぶつかった。ここで寝落ち直前の行動を思い出した。
結局ベットから降りたのは、部屋のアナログ時計の長い針が、5を過ぎたのを確認してからだった。台所に置いてあるラスト一つのバナナをとって、端にあった椅子に座った。とても静かだった。この静けさが自分の状況を実感させる。バナナは少しいつもより甘かった。このまま座っているともう一眠り出来そうだったが、その気分になれず、ぼんやりして、冷蔵庫のチョコを一つ食べ、そしてから支度を始めた。荷物には、そのチョコも入れた。教科書よりも重要であった。
結局、家を出たのは九時半ぐらいだった。日光は、何の障害もなくのびのびとしている様だった。実際空には、あまり雲がなかった。部屋のカーテンを開けていなかった為か、少し応えた。ドラキュラの気持ちが分かった様な気がした。
イヤフォンをして、ネットで買った、中古のスニーカーを履く。黒を基調に紫のワンポイント。足が倍ぐらい大きくなった様な、ゴツゴツとしたもの。一目惚れで買ってしまった。スケートボードを蹴りだす。木目の至ってシンプルなものだ。過ぎる風が心地良い。自分しかいない空間であった。坂道なども、もう慣れた。遅刻する日にスケートボードに乗るのは、お決まりであった。学校に着くと、急いで校舎裏に回る。スケートボードでの登校など許されていない。カヌーやら、木材やらが積まれたそこの傍に、スケートボードを放った。
本来、生徒が廊下を歩かない時間帯。自分ですら、この違和感を感じられた。教室に入る。
「すみません。遅刻しましたー。」
ドアを開けてそう唱える。もはや意味を含んではいなかった。
「おお、来ましたね。」
現代文のおばさん教師はそう言うばかりで、深く言及はしなかった。そして、少し教卓を見てからまた、授業を続けた。黒板を見ると、評論文の様だった。教科書のそのページをを開いてはみる。しかし、読んでいてあまりに退屈だったので、適当な小説を読んで時間を凌いだ。
やる気が完全に削がれてしまい、昼までは屋上で過ごす事にした。元々やる気があったのかと訊かれると不安だが、今は意識してやる気がなかった。屋上は、明るかった。教室よりも明るかった。出入り口の横に出来た日陰の中に座る。父からのお下がりの古い携帯ゲームは、ここ最近の暇つぶしのマイブームであった。ふと、ポケットに仕舞っていたチョコの箱を取り出す。特に今は春の半ば、夏に差し掛かった頃。チョコは、触るとベタっとした。一気に五つ程食べてしまって、後は諦めようかと思った。意識を外に向けてみる。空のこの青を、嫌いな人などいないのではないだろうか。屋上が広く感じる。
「あー、夏か。」
独り言は、行き場なく消えていった。この頃、日の下に居続けるのも困難になりつつあった。本格的に夏に入れば、サボりの場所もここを変えなければならないだろう。
「これからどーしよ。」
それは、唯この場所の話のみではない様な気がした。時間を見ると、昼休みが近かった。下に下り始める事にした。
お昼ご飯は、購買で済ませる事が多かった。割と混んでいる事が多い為、いつも少し早く向かっていた。一番ではなかったものの、割と前に並ぶ事が出来た。これぐらいであれば、不自由なく選ぶ事ができる。前の人達の間から店員を見る。購買は、料理研究部が手伝いをしていた。あの子は見当たらない。見当たらないまま、順番がまわってくる。そこでやっと、奥で整理をしているのを見つけた。
「サンドウィッチとプリン下さい。」
物は日によるが、パンとデザートのコンビがお決まりであった。
「かしこまりましたー。」
別の店員が接客をしている。
「あープリンそれじゃないです。」
「え?」
店員が驚いて訊き返した。無理もない。
「そっちじゃなくてねー。あった、あった。奥の子、そこのプリンとってくれない?」
急に声をかけられて、良く分かっていない様子だったが、「そこのプリン」ともう一度指を差すと、素早く持ってきてくれた。同時に、サンドウィッチも同じ様に並べられた。どうやら、私の接客はこの子に任せられたらしい。さっきまでの人は、後ろに並んでいた人の接客を始めていた。
「ゴメンね。こっちのプリンじゃないと嫌なんだよね。」
「そうなんですね。えっと、お会計三百円です。」
五百円玉を手渡す。
「二百円のお返しです。」
お釣りもしっかりと手渡して貰う。ギリギリまで近く。
「ありがとね。」
そうして購買を後にした。自販機でコーヒーを買って、もう一度屋上の方まで行く。流石に外には出ず、階段に腰掛けた。卵のサンドウィッチをかじりながら、スマホを見る。昼休みの騒がしい話し声。一階したに通じる階段は、思ったよりも長い様だ。
お菓子もそろそろ変えよう。チョコももう持ち運び出来そうにない。グミなら溶けないだろうか。サンドウィッチを食べ切って、考えた。そして、プリンを開ける。フタの裏にはおみくじはおみくじになっているらしい。見ると「大吉」と大きく、可愛らしいフォントで書いてあった。ラッキープレイスは屋上らしい。「じゃあ今日運勢良いな。」と思いながら、それを他のゴミと重ね、食べ始める。やっぱり、甘いものはどれも美味しいと思った。昼ご飯を一通り食べ終わって、また購買にお菓子でも買いに行こうかと思った。ゴミを捨てるついでにと、階段を下りる。一階程下りた辺りで、下から上ってくる人が見えた。あの子であった。友達と話しているのを、横目で見ながらすれ違う。溜息は、口を抜けるまで気付かなかった。
「もしこの人と同じ状況になったら、貴方はどうしますか?」
午後の授業で質問された。分からないと答えた。「この人は凄いんだよ。貴方達とは違うんだよ。」と言われている気がした。だから、問いでも無いものに、解を求められている様に感じたのだ。
「そうですか。」
先生は少し笑っていた。それがどういう意味か、二択に思った。
「まぁそうですね、他の人だと・・・ああ、諦めるだろうとか大変に思うとかが多いですかねぇ」
そう言って授業を進める。国語の問題、「心情を答えなさい」に文句を言ってる理系の人達は、人と話す時、何を考えるのだろう。この先生は、どんな気持ちで問題を出したのだろう。そっちの方が難問に思えた。結局どれも、言葉と違う意味があって、それには決まった答え方があって。相槌の方が正しいかもしれない。そしてそれを、皆やましさなく話し、疑いなく聞いている。分かっていながら問いかけて、知らない振りして答えてる。
最後の授業は、外階段の踊り場で過ごした。何度かサボリに使った事のある場所で、木が茂っていて比較的涼しかった。目を開くと、もう放課後だった。すぐに帰ろうかとも思ったが、最後に屋上に行く事にした。そのまま外階段で最上階に上がり、中に入ろうとしたが、鍵がかかっていた。仕方なく、一階下りて中に入った。一番近くの階段を上る。こっちはサボっている方の階段ではない。屋上のドアを開ける。さっきまで外にいて、一瞬中に居ただけなのに、体は外の感覚をすぐ忘れた。
日は傾きつつある。日中の青にオレンジが侵食を始めていた。ふと横を見て、先客がいた事に気が付いた。心臓が跳ね、その余波は体に伝わっていく。男子もこっちに気付いた様だった。
「貴女も見に来たんですか?」
「え?」
何の事を言っているのか分からなかった。
「いや、この空」
「あ、ああ、綺麗ですよね。」
大して眺めの良い訳でもない、学校の屋上。見ると言えば、確かにこの空しかない様な気がする。
「可笑しいですよね。この空とか、自然現象とか、今の時代何でも科学的な仕組みが分かるのに、何で綺麗に思ったり、意味を作ったりするんでしょう。」
男子の横に並んで、同じ様に外を見る。この子は、この景色のどこを見ているのだろう。
「科学的な根拠があったら感動しちゃいけないの?」
「じゃあ貴女、」
彼はこっちを向いて、胸ポケットからペンを取り出すと、それを下に落とした。
「これ感動します?」
「極端だなあ」
「感動しないでしょ。重力でペンが、ここからここに落ちただけです。ニュートンかって感じでしょ。」
もう一度落としたところに手を上げてから、下に落ちたペンを拾う。
「一緒じゃないですか。地球が同じテンポで回って、だから暗い時間と明るい時間があって。全部決まった通り動いてるだけなんですよね。」
「てか、何で私にこんな話すんの?会ったことないよね?今凄い変な人だよ。」
笑って言った。別に話している内容を笑った訳ではない。唯、生徒がこの類の話をここまで話す事が、ナンセンスに感じたのだ。
「いや、貴女こそ、こんな時間にこんなとこいて、普通の人じゃないでしょ。」
その通りであった。それと同時に、この人も、真剣なんだと思った。一つ息を吐く。
「よく分かんないけど、みんな正しくありたいんじゃない?嵐が起きても、試練だと思えば耐えられて、勇気出てきて、追い風吹いたら背中押された気がして。虹が見れたら何かいい事ある気がして。自分が納得できれば良いんだと思うよ。君も。」
「じゃあ、貴女は何で空綺麗だって思ったんですか?」
その言葉が、脳を突き刺す。頭の、ノーマークだったところが、急に主張を始める。
「言いましたよね。綺麗ですよねって。貴女はこの空に何を思ったんですか?」
言葉が出なかった。頭にはいくつも浮かんでいるのに、一つも喉を通らない。考えれば考えるほど、口をどう動かしたら良いか分からなくなる。
「虚しくなりません?」
グチャグチャになった頭が急に静かになる。しかしそれは一時でしかない。
「虚しく?」
「悲しくって雨が降るのは、フィクションだけですよ。結局、よくわからないまま自分には関係なく起こる現象にすがり付くって。それこそ孤独でしかない。」
「じゃあ、君が読んできた本は、その科学は何かしてくれたの?」
確かに、言う通りなのかもしれない。しかし、それを認める事はまだ難しかった。
「君、周りの人の事見下してるでしょ。自分は全部分かってるって思ってるでしょ。」
「は?」
彼から荒い声が漏れる。
「こうやって、自分は人より多い事考えてるって、自分の不幸他人のせいにしてるでしょ。本当は、そうやって前向きになって、上手くいってるのが羨ましいだけなんだよ。君だって理由見つけてすがってるんだよ。」
「虚しくならない?」
さっき彼が言った言葉である。
「虚しいに決まってるじゃないですか。」
意外な言葉が返ったきた。彼は淡々と続ける。
「僕ね、前にここに死にに来たんですよ。でも死のうと思って下見たら、人いてね。駐車場だったから。それ見た瞬間、さっきまでの勇気とかなくなっちゃって。」
気付くと、空の色は濃くなっていた。
「動物って自殺する様に出来てないじゃないですか。山月記でも書いてるでしょ。僕ね、もう考えるしか無いんですよ。だって自分しか信じられないじゃないですか。でも矛盾してる事も分かってるんですよ。」
「あんなに散々言ってもね。あの日あそこに人がいたのには理由があるんじゃないかって思っちゃうんですよ。」
「可笑しいですよね。それで思うんです。知らなければどんなに楽かって。正しいと思ってた事に追い詰められて、恐れたものに生かされたんです。」
彼から深く息が漏れる。
「すみません、変な事言ってますよね。今更ですけど。」
「一つアドバイスしてあげる。大人になる事って、色んな知識とか考えを持つ事じゃないんだよ。」
彼が言葉に反応してこちらを向く。
「知ってる事を知らない振り出来る様になる事なんだよ。」
彼は咀嚼しきれずにいる様だった。
「よく、分からないです。」
彼は唯そう言った。
「君なら分かるよ。」
そう言って踵を返す。
「何でここに来たんですか?」
ドアノブに手をかけた辺りで訊かれた。
「偶々、かな。」
そのまま屋上を後にする。答えになっていないのは百も承知であった。
階段を下りながら、彼の事を思い出す。彼は青年であった。あそこまでを語る青年を前に自分の答えが、ふわふわとしていた。
「あー見つけた。」
声が大きく響く。ふと見ると、声の主は担任である様だった。
「下駄箱に靴残ってたから、凄い探しましたよ。」
そう言ってこちらにどんどん迫ってくる。
「すみません。遅刻の事ですよね。次から気をつけるんで」
その担任にすれ違うの如く、相手にしないまま行こうとした。気分的にも、いやそもそも、あまり話したくなかった。しかし、ふと腕が華奢な手に捕らえられる。
「少し、お話しましょう。」
我々の教室は、すぐ近くであった。
「で、何で遅刻したの?」
彼女は椅子と机を二つ揃えると、そこに座らせた。向かい合う形で話をする。
「今日朝ごはんバナナで。」
「バナナで遅刻はしないでしょう。」
彼女が溜息を漏らす。
「別にそこまで答えないなら良いですけど、来てもいくつか授業休んでるでしょ。体調悪いんだったら無理しなくて良いけど。あんまりダラダラで学校生活送ってはいけませんからね。」
怒っている様ではないものの、重量はしっかりとしていた。
「後、お化粧。そういうの気になり出すのはわかるけど、うちは化粧禁止なんだから、やめて下さいね。」
何も答えなかった。
「そう言えば、またスケボーで学校来てませんよね。危険だ」
「先生」
話を遮る様に言う。
「先生今すっぴんですか?」
「私は化粧してるけど。こういうのは、世間的にどうこうじゃないんです。決まりを守れるかどうかなんですよ。」
「先生この前駅前でながらスマホしてましたよね。あと廊下走ってましたよね。」
「そういう話してるんじゃないんですよ。」
「別にそれをあーだこーだいうつもりじゃないんですけどね。今どんなつもりで話してるのかなあって思って。」
「それは」
その先がワンテンポ遅れている。
「化粧だって先生みんな黙認してるじゃないですか。遅刻も、理由訊いてきたの先生だけですよ。本当は誰も興味ないじゃないですか。」
「教えて下さいよ。『大人』の職務として大真面目に人に説教するのってどんな気持ちなんですか?何考えて話してるんですか?」
「高校生とは言え、あなた達はまだ子供です。それでもここに、自ら選択して来ました。高校は子供から大人へ変化の時期だと思ってます。大人になって自由に選択出来るようになる準備の為に、私たちはサポートしてるんです。」
「自由って何ですか?大人って自由って言いながら、決められた模範解答答えてるだけじゃないですか。しかも大人ってそれ分かってますよね。何でそんなに知らん顔出来るんですか?私は子供でいいです。」
彼女は、顔を見て聞いていた。そして、
「あなたは大人なんですね。」
そう言った。
「え?」
「子供は、子供だから大人になろうとします。あなたは大人だから、嫌なんでしょう。あなたは大人を分かっているから、子供でいたいんでしょう。子供が早く大人になりたくて、大人が子供に戻りたいのと一緒ですよ。」
言葉の出るテンポが、遅くなる。
「でもね、あなたが思ってるほど、大人って悪いものじゃないですよ。私は高校生の時に教師になろうと思いました。人と話すのと勉強するのが好きだったからです。それが決まった答えだったとは思いません。自分が好きな事だったら、自然とそっちに足は進みます。確かに、したくない事をしなければならない時もあります。けど、自分を持っていれば、最後の答えはきっと自分の解答ですよ。」
彼女は優しかった。そしてその優しさには、頭の中をひっくり返すぐらいの力があった。
「そう、ですか。」
荷物を持って立ち上がる。
「また何かあったら話聞くよ。」
それもお決まりだと思いつつも、疑う事は出来なかった。
「さようなら、気をつけて帰ってねー。」
その言葉を背に、教室を出た。
もう、六時をまわっていた。終わる部活はそろそろ帰り出す頃だろう。暗い中、校舎裏からスケートボードを取り出す。さっさと出ないと、また面倒な事になる。スケートボードを脇に抱え、校門に急いだ。ふと、グラウンドに続く道を見る。帰るのだろうか。あの子であった。横には、昼とは違う。男子が楽しそうに話している。
「何だ、男いるんじゃん。」
その言葉は、どこにも行かずに消えた。
フタの裏なんか信じなければ、こんな日にはならなかったのだろうか。スケートボードを蹴り出した。
屋上 凌田大堀 @Ohorishinoda
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