冒険家花見桜

綱渡きな粉

禁断の人喰い村編

ハイルベカラズ

 日本の国土の七割は山地という話だが、それはつまり日本にも前人未踏の領域、あるいは未知の集落や遺跡などがあるのではないか。


 生い茂る雑草と前々日の大雨でぬかるんだ斜面に足を取られながら、その男は慎重に獣道を登っていた。


 男は無名の動画投稿者だった。およそ二年前から動画投稿を始めたのだが、これが一向に視聴回数が増えず、批判的なコメントばかりでとても苛立っていた。動画の内容は全くと言っていいほど面白みのない自慢話や下手すぎるくせにミスを他者のせいにするゲーム実況ばかりをだらだらとしており、そこから理解できる通りプライドだけは人一倍高い。


 そんな男が汗水流して登山をしている理由は、とある小さなサイトに書かれていた記事を読んだからであった。



『恐怖! 東北の山中に生きる人喰い達の村!』



 これは面白い動画が撮れそうだ。安直にそう考えた男はビデオカメラ片手に軽装でめぼしい場所へ来ていたというわけだ。


 しかし、かれこれ六時間は山中を歩き続けているが、集落らしきものが現れそうな気配すらない。


 あれはデマだったのか。もし集落が見つからなかったらあのサイトを炎上させて運営者を徹底的に攻撃してやる。そんな呪詛を吐き出しながら登り続けていると、数十メートル先が妙に開けた広場のようになっていることに男は気づいた。


 もしかしてと思い早足でそこへ向かうと、やはり人工的な広場がそこにはあった。


 意図的に草が刈られ、樹木は生えておらず、広場の中央には岩石を削って作り出したような野性味溢れる縦横三メートルほどの台座が設置されていた。


 男は急いでリュックサックの中からビデオカメラを取り出して撮影する。


「ふぅ……ふぅ……、皆さん見てください! 何かがあります! これは何でしょうか⁉︎ 台座のように見えます! それにしても大きなな岩です! ここがあの人喰い村なのでしょうか⁉︎ まだまだ調査が必要なようですが、それよりも早く村人に会って話を聞いてみたいですね!」


 ……男の動画の視聴回数が全く伸びない原因の一つとして生来の話下手もあるのだが、プライドだけは高い彼が気づくことは一生ないだろう。


 ビデオカメラで撮影しながら台座周辺を散策していると、不意に視界の隅の台座に赤黒いナニカが映った。


 普段なら気にも留めない些事だが、今日はそんな些事をも見逃せない。男は嬉々としてビデオカメラを向ける。


「これは…………血、でしょうか? かなり古いのかにおいはしませんが、やはり血っぽい感じがします。台座の端にある血痕……これが拭き残した血だとすれば、ここに置かれた台座は捕らえた獲物を捌く為のもの……?」


 少し寒気がした。登山で流した汗が身体を冷やしているのだろうと自分を騙して静かにその場を立ち去ろうとする。しかし、顔を上げた先に女性が立っていた。見目麗しい二十代くらいの女性が広場の端から無表情で中央の台座に屈む男を見つめていた。


「あの、ここら辺に住んでいる方ですか? 少しお話を伺いたいのですが……。それと、この台座についても教えていただけると嬉しいです」


 女性は無言で男を凝視する。


 ——刹那、男は女性に見つかってしまったことを心から後悔し、恐怖した。


「その台座の使い方、教えてあげるッ!」


「うっ、うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ⁉︎」


 女は口角を三日月のように上げた狂気的な笑みで駆け寄ってくる。その手には鈍く光る鉈があった。


 早く逃げなければ。そう思って無意識に振り返ると、背後にはすでに鉈を振り上げて笑う女が迫っていた。


 一か八か、男は右手に持っていたビデオカメラを投擲した。


「ギャッ!」


 比較的大きなビデオカメラが女の顔面に命中し、僅かな隙が出来る。男は駆けた。今のうちに離れなければ絶対に殺される。そう思って両脚をフル回転させていたのだが、急に左脚が動かなくなって顔面から地面に激突する。鼻の中を濃厚な鉄臭さが回っているので鼻血が出たのだろう。しかしなぜ自分の左脚は動かなくなってしまったのか。男は何気なく自身の左脚を見て後悔した。


「ぅあ……俺の、脚が……アアアァァァァァァァァァァァァァ‼︎‼︎‼︎⁉︎」


 ——左脚のふくらはぎに先ほど女が握っていた鉈が食い込んでいた。


 一度ひとたび認識してしまうと、それは激痛を走らせて思考を停止させる。嫌だ、誰か助けて。


 ……ここは誰も知らず、立ち入らぬ邪悪の集落。


 男の悲鳴を聞いて助ける者は存在せず、むしろこれは久々に活きの良い獲物が来たなと舌舐めずりする外道ばかり。


 男の最期の記憶は、その身を台座に投げ出され、自分の首へと鉈を振り下ろされる場面だった。

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