第10話 理子のかけら




 理子が実家に帰った。

 出張先での業務が長引いて理子と沙織を見送ることは出来なかったが、帰郷後もLINEでのやり取りは続いていた。

 日中に送ったLINEメールは、夜になって電話で返ってきた。

「ごめんね、返事遅くなって。生徒にスマホ禁止している手前、学校ではスマホ使用できないのよ」

「そうだろうと思ったよ。これからも昼間にLINE送る時があるかもしれないけど、気にするなよな。出来る時に返信したくれたらいいから」

「分かったわ」

 明るい理子の声が聞けて慎司はほっとした。

「理子、あのさ……」

「ん? なに?」

「ああ、いや、何でもないよ。引っ越しの手伝いできなくて悪かったなと思ってね」

「なんだ、そんなこと、気にしないの。慎ちゃんの仕事が大事だよ」

 と理子は笑って返してきた。

 だが、慎司が今話そうとしたのはそんな事ではなかった。

 理子の婚礼の進捗しんちょくに触れようとして、途中で手を引いてしまったのだ。

 気になるのに、聞くのが怖かった。

 祝福しなければならないのに、祝福できないのだ。

(おれは勝手なヤツだ)

 自分は美穂と結婚を決めている。なのに理子の結婚にはわだかまりがあった。

(おれは理子に何を求めているんだ?)

 解明できずに胸の中にモヤモヤした物だけが渦巻いていた。



 美穂といる時は楽しかった。

 二人でいる時は美穂を愛していると確信できた。

(きっと気の迷いだよ)

 それでも一人になると理子からの電話を待ったし、こちらからも掛けた。

 LINEメールや通話に費やす時間は以前より多くなっていた。

 だが、慎司は理子の結婚に関する情報には触れないようにしていた。

 触れるのが怖かったのだ。



 夏休みに入った。

「産休の先生がね、産後に肥立ちが思わしくなくて、二学期も先生やることになったわ」

 と電話があった時、慎司はみずからタブーにしていた事を尋ねてしまった。 

「式の日取りとか大丈夫なのか?」

「えっ? ああ、結婚ね。うん…まあ…問題ないわ」

 奥歯に物が詰まったような返事だった。

「それよりも、そっちはどうなの?」

 と逆に聞かれた。

「結婚式の会場とか、日取りとか、決まったの?」

「ああ、来年の三月だよ」

「三月……。わたし、もういないかも…」

「えっ? どういうこと」

「あっ、あのね」

 と理子は慌てたように喋った。

「相手の人が転勤でニューヨークに行くの。式もそこで挙げて、それでそのまま永住ってことになりそうなのよ」

「………!!」

 一瞬だが慎司の胸が大きく鼓動した。

「……いつ日本を離れるの?」

「日時は、まだはっきりしてないけど、来年ね。遅くとも三月には、旅立つわ」

「そうなのか。……おめでとう…理子」

 絞り出すように、慎司は初めてその言葉が言えた。

 しかし、そこから先理子とどんな会話をしていたのか、慎司の記憶には残ってなかった。



 しばらくの間、理子とのLINEでのやり取りに変化はなかった。

 しかし、夏が過ぎ、紅葉落ちる晩秋の頃、理子とのLINEが通じなくなった。

『ゴメンね。彼の都合で急遽アメリカに行く事になったの』

 そのメッセージを最後に理子との通信は途絶えた。

 通話も「お掛けになった電話番号は、現在使われておりません……」と繋がらなくなった。

 突然で何が起こったのか分からないまま、仕事や美穂との結婚の準備に追われる中で、慎司は不安を紛らわせていた。



 二年だけ住んでいた会社の独身寮を訪れる機会があったので、慎司は久しぶりに理子と過ごした商店街に足を踏み入れていた。

 年の瀬だというのに、商店街にはあの頃の活気がまるで見られなかった。

 あれから四年しか経っていないのに、閉まっている店の多さに慎司は驚いた。

 二年前に商店街の外れに出来た大型ショッピングモールの影響を受けてるようだ。

 慎司は完全に閉店した洋食店・田中食堂の前で立ち止まった。

『しあわせ!』

 とトロトロ卵のオムライスを頬張る理子の笑顔が、汚れたガラス越しに見えた気がした。

 更地になった洋服店跡で足を止めると、何種類か洋服を手にして『どれがいいかな?』

 と悩んだ挙句全部勝った理子がいた。

 『木原精肉店』は代替わりしたのか、カウンターには次男の姿があった。

 その向かいは、一番世話になった『野菜の佐々木』だが、昼間というのにシャッターが下りていた。

 と、二階の窓が開いた。

『慎ちゃん、おはよう』

 と声が聞こえた気がしたが、見知らぬ学生風の女性が慎司を一瞥して窓を閉めた。


    チリンチリン


 喫茶店『イノウエ』のドアベルが鳴った。

『わたしのおごりよ』

 手招きする理子がいた……が、オーナーの井上だった。

 慎司に気づいた井上は、懐かしそうな笑みを浮かべて深くお辞儀をした。

「お久しぶりです。元気そうですね、慎司君。お仕事に就いて頑張っているみたいですね」

「ありがとうございます。井上さんこそ、大変だけど、頑張ってくださいね」

 慎司の言葉に井上は複雑な笑みを浮かべた。

「この店、来月で閉めることにしました。慎司君たちがいた頃は楽しかったなあ。ほんの四年前だというのに、ずいぶん昔に感じるのは何故でしょうね」

 そう言って井上はドアベルを鳴らしながら店に消えた。

 輝いていた青春時代が色あせていく思いだった。


 慎司が以前住んでいた独身寮が見えた時、

 

    カツ・カツ・カツ


 とパンプスの靴音が背後で聞こえ、慎司は思わず振り返ったが、見知らぬ女性だった。

 その女性は怪訝な顔をしながら慎司の横を駆け抜けていった。

 慎司は深いため息をついた。

(こんなところにいるはずないよな)

 胸が締め付けられた。

 切なくて苦しい。

(なんなんだこの思い!!)

 洋食屋の窓ガラスに……二階の窓に……喫茶店のドアベルの音に……パンプスの足音に……。

 笑顔の理子が飛び出してくる。

 いるはずもないのに、何処かに理子のかけらを探していた。

 胸がザワザワする。

 苦しくて叫びたかった。


 

 年が明けた。

「慎司さん。なんだか上の空よ」

 ウエディングホールのプランニング室で、式の段取りを話し合っていた。コンシェルジュが資料を取りにその場を離れたタイミングで、美穂がそう切り出した。

「そんなこと…」

「あるよ」

 と美穂は言い切った。

「どうかしちゃったの? 今日だけじゃないよ。最近ずっと変よ」 

「いやあ、仕事でいろいろあって…」

「うそよ」

 美穂らしく、竹を割るようにスパッと切り込んでくる。

「ねぇ、正直に言って」

「いや、本当に何もないって」

「理子さんでしょ?」

 美穂は勘がいい。

 そこへコンシェルジュが戻ってきた。

「お待たせしました。先ほどのことについてですが…」

 いきなり美穂が立ち上がった。

「ごめんなさい。また今度にして」

 美穂はそう言って慎司の手を取ると、唖然とするコンシェルジュを残して、ウエディングホールを後にした。


「隠しごとはイヤよ」

 ウエディングホールのエントランスに出ると美穂はそう言った。

「話して。何があったの?」

 こうなったら後に引かない美穂だ。

 慎司はすぐ近くの喫茶店に美穂を誘った。

 そして理子が渡米して結婚する話をした。

 美穂は顔色を変えないで最後まで静かに聞いていた。

「そう」

 しばらく俯いていた美穂がふいに顔を上げた。

「なんかおかしいわ、その話」

「ああ……おれもそう思う」 

「それに沙織からはそんな話聞いてないわ。よし、こうなったら調べてやる」

 言いながら美穂はカバンから小型のモバイルパソコンを取り出した。

「理子さんからの最後の連絡は、確か、十一月三十日だったわね」

「そうだ。……それ、何してるんだ?」

「スマホの位置情報管理システムよ」

 慎司がパソコンを覗こうとしたら、両手で隠された。

「会社の密情報なのよ、これ。おおやけにはされていない秘密アプリなの」

 美穂はパソコンを慎司の死角に向けながら、マウスを操作していた。

「分かったわ。これね」

「えッ? なに?」

「見ちゃダメよ」

 と釘を刺しておいて、

「確かにその日に、第一中学校近くのショップで携帯の契約を解除しているわ。でもね、その後すぐ、別の携帯会社に新規加入しているわ。おそらくこれがそうだと思う。もちろん電話番号もすべて新しくしているわ」

「どれ」

「だから見るなって言ってるでしょ? ともかく、位置情報履歴の動きがピッタリ当てはまるのよね。この二つスマホの行動パターンが全く同じなの。まさに同一人物ってことね」

 美穂は食い入るようにパソコンを覗き込んだ。

「週のうち五日間は第一中学校内にいるわね。そして土曜日の午前中は毎週、市の総合病院に通っている…。お見舞いかしら? それとも理子さん自身の診察かも……。そして、学校が冬休みに入った直後に、五日間同じ所に留まっているわ」

「何処?」

「総合病院よ。つまり入院していたってことね」

「理子は、どこか具合が悪いというのか?」

「それは分からない。でも、はっきりしたことがあるわね」

 美穂はそう言って慎司に視線を送った。

「美穂は……日本にいるということなのか?」

「しかも実家にいるわ」

「じゃあ、おれに嘘をついていたのか?」

 慎司は狐に化かされたような気分だった。

「どうして? ……なんのために?」

「それは慎司さんが一番よく分かっている筈よ」

 美穂は慎司を見据えた。

「理子さんが行動する時、いつも慎司さんを考えてのことだったでしょ? 理子さんはきっと、秘密にしなきゃいけない何かを抱えていると思うわ。それを知られたら、慎司さんの幸せを壊してしまうかもしれない、そんな何かを」

 総合病院に五日間入院していたのが事実なら、理子が隠そうとしているものが、きっとそこにある筈だ。

(もしかして、理子は重い病にかかっているのかもしれない…)

 だから慎司に心配かけまいと、そんな嘘をついているのではないか…。

(心配だ……おれはどうすればいい……理子に会いたい!)

 慎司は今すぐこの場を飛び出したい衝動に駆られていた。

 しかし目の前の美穂の気持ちを思うと、慎司は腰を上げる事が出来なかった。

「わたし、ウエディングホールに戻って、話してくるわね」

「えっ?」

 慎司は美穂を見た。

「行ってきなさいよ、理子さんの所に。式はキャンセルしとくから」

「いや、それは……」

「早く行ってって言ってるのよ!!」

「美穂……」

「お願い…早く行って。……泣き顔なんて見られたくないから……」

「美穂…」

 最早この場を取り繕う事は出来ないと慎司は悟った。

 少しためらったが、慎司は小さく「ゴメン」と告げる事しか出来なかった。

 慎司は美穂を残して席を立った。

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