第7話 光陰矢の如し





「おれって背が低いし、ルックスも十人並みだし、モテる要素ないもんな」

 講義の間の休憩時間に、慎司は彼女がいない今の現状を嘆いた。

 すると、

「何言ってる? おまえ、彼女いるじゃないか」

 大学で知り合った田所があきれたように言った。 

「はあ?」

「なにが、はあ? だよ。おまえには春日がいるじゃないか。付き合ってるんだろ?」

「理子? まさか。あいつは幼馴染で、一番の親友なんだよ」

 慎司がそう答えると、田所は苦虫噛にがむしかんだ顔で頭を掻いた。

「おまえさ、同じ部屋で住んでるんだよな」

「ああ」

「それ、同棲って言うんだよ。知ってるよな?」

「はあ? 何言ってんだよ」

「まさか何もしてないなんて言わないだろうな」

「してないさ」

「アホか!」

 田所は再び、今度はさっきより激しく頭を掻いた。

「おまえら幼稚園児か! 年頃の男女が一緒に暮らしていて、何もないなんてありえないだろ!」

「いやいや、本当だって。理子はおれの親友だ。理子だっておれのこと弟みたいだって言ってるしな」

「それ、本当に? マジか?」

「ああ、マジだ。理子とはキスもしたことないし、する気もない」

 慎司がそう言い切ると、田所は溜息をついた。

「お前がモテない理由をはっきり教えてやろうか」

 慎司は大きく頷いた。

「おまえさぁ、リザーブされた席に強引に割り込めるか?」

「何だよ、それ」

「回りくどい言い回しだったかな? つまり恋人がいる相手に、おまえはアタックできるかって聞いているんだよ」

「ああ、そういうことか」

「要するに、お前がモテないんじゃなくて、誰が見ても春日と付き合っていると思われているんだよ」

 確かに、田所の指摘には思う当たる節があった。

 つい最近、同期の女学生に理子との二股疑惑を掛けられ、振られた事を思い出した。

「おまえと春日にその気がなくても、周りはそうは見てないんだよ」

 だからと言って今の理子との関係を壊すつもりは、慎司にはなかった。

「おまえ、いっそ春日と付き合ったらどうだ?」

「それは無理だ。理子は誰よりも信頼できる、おれの親友だけど、なんて言うのかな? 女を感じないんだよ」

「まあ、分からんでもないよ」

 と田所はスマホを取り出して何やら操作しながら言葉を続けた。

「おれには二つ年上の姉がいるんだけど、周りの男どもはメチャ美人って言うが、弟のおれからは何の興味も湧かないわけだ。見てみろよ」

 田所がスマホを慎司にかざした。

 そこにはかなり目を引く美人が写っていた。

「おれの姉貴だ」

「嘘だろ。美人過ぎるぞ」

 慎司は本当にそう思った。

「まあ、みんなそうが言うんだからかなり美形なんだろうけど、弟からはなんも感じないわけだ。つまり、お前から見た春日みたいなもんだろ?」

「理子はこんなに美人じゃないぞ。いやあ、冗談抜きに、お前の姉ちゃん紹介して欲しいよ」

 田所は苦笑した。

「要するにだ。おまえからすれば、幼馴染という近過ぎる存在だから気に入らないんだ。どこかで出会い、心臓がドキドキして、胸がときめく、そんな恋を望んでいるんだろ? 違うか?」

「まあ…違わくはないな」

「おれにはもう一人、七つ年上の兄貴もいるんだ」

「えっ?」

(急に何言いだすんだろう? 違う話をするつもりか?)

 慎司はそう思いつつも田所の話に耳を傾けた。

「兄貴は結婚して四年になる。相手の親の大反対を押し切っての大恋愛の末のゴールインってやつだ。運命の出会いだって彼女のことを話していたのを覚えているよ」

 でも今は、と田所は言葉を続けた。

「兄貴はほとんど実家で過ごしているよ。家に帰っても会話がないらしいんだ。三つになったばかりの女の子がいるのに、顔を合わせば、別居だの離婚だの……そんな話ばかりだ…」

 田所は残っていた紙コップのコーヒーを飲みほした。

「ときめきとかドキドキとか運命の出会いとか、そんなもんはすぐに冷めるもんじゃないのか? 大事なのはきっと、お前と春日のような、地味だけど本当に信頼できる関係だと思うぜ」

 田所の話は妙に説得力があった。 



 三年生になった時、沙織が理子を追いかけて同じ大学に合格したのを機に、慎司は部屋を二人に譲った。

 それでも理子とは距離を置きたくなかった。

 慎司は『野菜の佐々木』の真向かいにある『木原精肉店』の二階にあるワンルームアパートを借りた。

「慎ちゃん、おはよう」

 慎司を呼ぶ声がする。

 通りに面した窓を開くと、理子が笑顔で手を振っていた。

 目の前が理子の部屋だ。

「朝ごはん出来たよ」

「分かった。今行く」

 住処すみかは替わったが、『野菜の佐々木』のアルバイトは続けていた。

 『木原精肉店』の二階・三階は学生専用の賃貸アパートなので格安だったが、今まで無料で暮らしていた慎司にとっては、手痛い出費だった。


「はい、これわたし達から」

 ある時、理子と沙織が茶色い封筒を慎司に手渡した。

 開けて見ると二万円入っていた。

「なに、これ」

「慎ちゃんのお部屋代三万円なんでしょ? 三人で割りましょうよ」

「いや、それはないだろ? おれが住んでるんだから、おれが払うのは当たり前だよ」

 慎司が部屋を開けた事を気にしての事だろうが、そんな気遣いはして欲しくなかったのだ。

 だけど理子も譲らなかった。

「これ受け取ってくれないんだったら、沙織は今の部屋に居辛いづらくなるのよ。分かってあげてね」

 一歩も引かない理子の目力めぢからに押され、慎司は頷かざる得なかった。

 慎司のアパートには共同だが、浴場とトイレが家賃の中に含まれていた。

 そして三食は『野菜の佐々木』で食べていたので、光熱費は基本料金をそれほど出なかったから、慎司は以前と然程さほど変わらない生活が出来た。



 光陰こういん矢の如しというが、楽しい四年間の大学生活は、風のように駆け抜けていった。

 教育学部を専攻していた理子は、商店街に近い市立中学の教師に就いたので、『野菜の佐々木』の二階に引き続き沙織と暮らす事になった。

 大手商社マンとなった慎司は、半ば強引に会社の独身寮に放り込まれた。

 会社の寮は理子が勤務する中学校の通勤路にあった。


    カツ・カツ・カツ


 駆けてくる独特のパンプスの靴音で理子だと分かる。

「慎ちゃんおはよう」

「理子、おはよう。今日も元気だな」

「慎ちゃんも体に気を付けてね。何かあったら連絡ちょうだいね」

 と言って理子はスマホをかざした。

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