天界人事部 転生管理所にようこそ!

蘆賀 鶴

第1話 転生のお時間です

「......こ....か? ......こえ....すか?」


 優しげな声に目を覚ますと、少年は一人、白で覆われた空間に立っていた。


 (あれ? 俺、車に撥ねられて......)


 ハッとした少年は焦った様子で体を見回す。


 腕が曲がって———ない。


 どっかから血が出て———ない。


 制服は———いつも通りだらしない。


 事故など無かったかのように無傷の体。しかし、少年の中にある最後の記憶は眼前に迫った大型トラックであった。


 撥ねられていたはずだ。超人でもなければあんな状態から避けられるはずがない。


「頭が痛くなってきた...」


 ボヤけた記憶を探ろうにも締め付けるような痛みが邪魔をする。やはり、体に傷はなくとも事故の衝撃で頭を打ったのかもしれない。




「聞こえていますか?」




 頭痛に耐える少年の脳内にまた、優しげな声が響く。柔らかいその声が痛みを飛ばしていく。あたりを見回しても、そこに人影はない。


「誰かいるのか?」


「よかった。聞こえているようですね」


 ふわりふわりと少年の目の前に光球が現れ、膨れ上がり少しづつ人の形をとってゆく。


 そうして光が収まった頃、少年の目の前には大きな羽と光輪を持つ天使がいた。






「あなたにはこれから転生していただきます」


「......へ?」


「行き先は剣と魔法の異世界」


「あなたはそこで80年生きるのです」


 彼女の羽が少年を部屋の中心、謎の紋様へと誘う。召喚陣だろうか。淡く光るそれを少年は夢見心地で見ていた。


 体と思考が鈍っていき、入眠時のような心地よい眠気が頭に広がっていく。


 少年はふと体が浮いているような感覚があることに気がついた。ゆっくりと視界に掲げた手のひらは透けていて、その先の天使を透過している。


 (やっぱり俺死んだのかな......)


 いつのまにか頭痛は消え、光を放つ天使は暖かな微笑みを浮かべている。それ以外は真っ白。


(じゃあ、ここは天国か)


 自らの死を理解した少年の頭に浮かぶのは遅すぎる走馬灯。それはそれはいろんなことがあった。


 両親と遊園地に行って遊んだ幼稚園の記憶。

 俺のことが大好きな可愛い義妹——いない。

 仲間といい感じの棒を使って勇者ごっこをしたこと。

 かわいい転校生が来たこと——ない。

 ゲームで見つけたバグ技を友達に自慢して周ったこと。

 告白——そんなもの無かった。


(......俺何もやれてない?)


 可愛い女の子と登下校する夢も、彼女を作ってイチャイチャする夢も、気になるあの子に告白する夢も。


 何一つ叶わなかった。何一つ実行できていなかった。夢見心地な彼の脳内温度がスッと下がっていく。


(そうだ...そうだよ! 俺の花の学生生活は何処行ったんだよ!)


 先ほどまでの微睡みはどこへやら。完全に目が覚めてしまった少年はやり残してきたことをどんどん思い出していく。


(まずい。あと数日でばあちゃんの誕生日だった。プレゼント用意してない! あと明日ゲームの発売日だ! 友達と一緒に買いに行く約束だってしてた。それに読みかけの漫画だって......)


(ん?)


(......漫画?)


 そう、漫画。


 読みかけの漫画。


 事故に遭った主人公。


 天使から授かった能力。


 ヒロイン達に迫られつつ、お人好しの主人公が魔王を倒すまでの物語。




 少年の脳内に閃きが走る。




 (これ、昨日読んでた『転生したら美少女達に愛されて夜も眠れない』と同じパターンだ)


 今の状況が漫画の設定と似通っていることに気がついた少年の脳は天使の次の

 を導き出した。


「あなたは、死ぬ運命にありませんでした———慈悲深き神はあなたを哀れに思い、チャンスを与えたのです」


 。予想通りの言葉に歓喜する少年の脳裏に浮かんだ言葉はただ一つ。


 ———『異世界転生』


 気持ちの良い下剋上や豪快な化け物退治から欲望渦巻く宮廷での知略、悪役の生存戦略まで。多様な異世界生活が読者を楽しませる大人気ジャンル。


 彼の愛読書『転生したら美少女達に愛されて夜も眠れない』もこのジャンルであった。


 そしてこのジャンルを語る上で外せない要素。



 それこそが『転生特典』である。



「ということは......俺もチート能力が貰えるのか?」


「おや、話が早い。勿論、転生後も不便のない能力を与えましょう」


 微笑みかける天使を横目に少年は心の底からガッツポーズをした。


(そうか...俺もついに選ばれし者っていうことか)


 まだ見ぬ美少女を夢想する。美人エルフ、おっぱいの大きい魔法使い、俺のことが大好きなヒロイン。存外少年の脳内は煩悩まみれだった。


 これは、冴えない自分への贈り物なのかもしれない。薔薇色の転生ライフが待っているのだと。

 

「よっしゃあ、やってやるよ異世界転生! 待ってろ俺のハーレムライフ!」


 威勢の良い声が響く。


「あなたの勇気に感謝いたします。では、能力の付与を行いましょう」


 天使と少年の間に大きなタロットカードが浮かぶ。


「一つだけ、選んでください」


 不思議な光を放つカードは、右から赤、白、緑、青、橙。


 彼はじっくりと悩んだ後、赤色に光るタロットカードを手に取った。


「あなたの運命たる能力が決まりました」


 タロットカードが吸い込まれるように消え、少年の体が淡い光を放つ。


 瞬間、彼の足元に底の見えない大穴があき、天使はドンっと乱暴に少年を突き落とした。


「え゛?」


「それでは良い旅を」


「嘘だろおおおおお!」








 少年の声が次第に聞こえなくなっていく。


 パタリ


 穴が閉じられると天使は自らの羽と輪をポイと放り投げ、大きなため息をついた。


「ようやく終わった〜」


 ぐったりとしながら席についた彼女。デスクには一枚の紙が置かれている。



 ———先ほどの少年の生前の記録。残りの寿命、転生歴が書き連ねられている資料だ



「可哀想にね。死因:コーヒーかぁ〜」


 少年の死因。それは管理者が彼の書類に飲み物をこぼしてしまったこと。その飲み物がよりにもよってコーヒーだったことだ。


 溢された書類はすっかりしわくちゃ。字は滲み、紙は変色し、とても資料として扱えない。


 書類を汚したらどうなるか? 


 ......勿論、寿命はぐちゃぐちゃ。


 哀れ、少年は一杯のコーヒーに殺されてしまった。


 管理者がやらかしたのは5徹目の夜。転生権限はベッドで強制的に休まされている彼からのお詫びであった。


「未だに紙でやってるんだもんなぁ......」


 そう呟く彼女、ナナミの首には【管理番号A-773】と書かれた新品のネームプレート。


 本日3回目の仕事を終えたばかりな転生管理所の新人職員である。


「はぁ......紋様も毎回描き直さなきゃだし、羽動かすの難しいし」


「そういえば、あの子受け答えが少しふわふわしてたけど、催眠強すぎたかな? バレたら怒られる?」


 羽の動作確認と紋様の確認をしながらも一つ、また一つと不満が溢れていく。


 カチャリ


 ドアノブを回す音が鳴り、真っ白な空間に突如出現したドアから一人の女性が入ってきた。


「ナナミ、聞こえてるわよ。」


「あ゛! 先輩! 違いますよ!?」


「わかってるわよ。特別あの子が効きやすかっただけね」


「ミスったかと思いました〜。ただでさえ難しいことばっかりなのに〜」


「そういうぐちぐち言わないの。これが仕事なんだから仕方ないでしょう?」


「ならフタバ先輩手伝ってくださいよぉ〜!」


 フタバ先輩と呼ばれた女性【管理番号A-28】

 は、だらけてしまったナナミに呆れ顔だ。


「私だってまだ新米天使なんですよ〜」


「あなた自分で天使っていうのね...。あくまでもここは『転生管理所』。私たちは職員」


「天使の方が印象が良いじゃないですか〜」


「まさか。この前辞めた子は「オレらは死神みたいなもんだ」って言ってたわよ?」


「魂を別世界に連れていくんだから同じじゃないですか〜」


「そんなお綺麗な仕事じゃないもの。はいこれ」


 ポイっと投げられたチョークが手をすり抜けて額に当たる。粉まみれのナナミに先ほどの天使の面影はなく、ぶすくれた顔で床の紋様を描き直している。


「というか、またタロットカード使ったわね。仕事をサボるなとあれ程......」


「サボりじゃなくて効率化ですよ。効率化」


「確認作業をしないと、いつか痛い目を見るわよ」


「大丈夫です。それに今回はスキルがいい出来なんですよ! すごく強いんです」


 自慢げに鼻を鳴らすナナミは今回の仕事に随分と自信があるようで、気分よく近況報告を続けた。


「最近は調子が良くって、ついにどの世界でも通用する最上級のスキルが作れるようになったんですよ!」


 ナナミの自慢を聞いてフタバの顔がわずかに強張る。続けて話そうとするナナミの言葉をフタバは遮った。


「ちょっと待って。......何を入れたの?」


「何ってそりゃ、最上級の魔力量とかハーレム適正とか能力コピーとかですよ。よくあるでしょ?」


 あっけらかんと返すナナミ。


 少年に選ばせた計5枚のタロットカード。実はそれら全てにチート級能力が入っており、どれを選んでもSSR。人生何周しても得られないほどの贅沢なガチャであった。


「特に魔力量。あれは最高に出来が良いんです! やろうと思えば上位のドラゴンレベルの出力はいけますね〜」


 誇らしげなナナミと対照的にフタバの顔は般若のように歪んでいく。


 ゆらりとナナミに近づき、自慢話をやめない彼女を見つめて拳を振り上げる。



「ふんっ!」



 スパンといい音を立てて、フタバのチョップがつむじに直撃する。


「あだぁ!? な、なんですか! 何もおかしなところはないじゃないですか!」


 なぜ叩かれたのかと文句を言うナナミ。頭を押さえて涙目の彼女を見ても、フタバの怒りは治らない。


「今回はイレギュラーだから、消費魔力は少なめでって話したでしょう!?」


「...言ってましたっけ?」


「言いました。最初の研修の重要事項として言いました!」


 最初の研修、最初の研修と頭の中を捜索するが眠気に包まれていたことしか出て来ず、押し黙る。そんなナナミの様子を見て、フタバはまた深く、深ーくため息をついた。


「ある程度の失敗は流すつもりだったのよ。まだ数回しかやっていないもの」


「失敗なんてそんな......ありえますね私なら」


「でも!想像できないわよ!よりにもよってあんなに強い能力を渡すなんて!」


「でも......可哀想じゃないですか〜。あの世界であと80年は生きなきゃなんですから」


 頭を抑えて抗議するナナミ。少年を案じる優しさは美しいものだが、そんな様子では仕事にならない。


「その優しさが世界を滅ぼすことを知らないのかしら?」


「まさか〜」


「...最初に話したことすっかり忘れてるわね」


 最近ここにきたばかりのナナミは知らない、先輩達のやっている仕事の難しさを。


「はぁ......まあいいわ、これは勉強が必要みたい。今日はもう仕事がなかったはずよね」


「は、はい。あの子で最後でした!」


 新入職員のナナミは知らない。すでに担当1人目の転生者が与えられたスキルによって魔王の地位を得ていることを。


「じゃあ、資料もってくるからソファーに座って待っていなさい」


「う゛ぁ〜、補修だぁ〜」


「返事は?」


「...うぅ〜」


「返事」


「わっかりましたぁー!」


 勉強嫌いのナナミは知らない。これから始まる地獄の補修授業で一から知識を叩き込まれることを。


 転生管理所は今日も忙しい。


 —————————————————————


 一方その頃転生者は。


「これ...いつまで...続けるんだよ......」


 斬撃魔法で魔獣をちぎっては投げていた。


 山よりもずっと高く積み上がる死骸が彼の努力を物語っている。


 ザシュッ


 ようやく50万回目の斬撃魔法を使用したところで、魔力が切れた少年はヘロヘロと座り込んだ。


「お...終わった...死ぬかと思った......」


「ほらほら弟子、そんな様子では一流魔導士など夢のまた夢だぞ〜」


 そう声をかけたのは美しい1人の女性。


 スラリと高く伸びた背に白魚の様な手、鋭く尖った耳が彼女にエルフの血が流れることを表している。


 麗しの大魔導士。彼の師であった。


 少年が彼女の弟子となったのは転生してから5日目のこと。


 件のタロットにより膨大な魔力を得た少年はとある森へと落とされた。武器も持たぬただの少年が高ランク地帯にぽつり。溢れ出る魔力のせいで魔獣ホイホイと化し、追われては逃げる日々。


 その日は運悪く出会ってしまった巨大魔獣に抵抗すべく、持っていた魔力で応戦しようとしていた。


 そんな所に通りかかったのが彼女。自身の庭とも言える森に久しぶりに響いた人間の悲鳴であった。


(魔力をそのままぶつけるつもりか。......馬鹿なことを)


 彼が戦う様を大魔導士は遠くから見ていた。


 その視線に乗った感情は少しの興味と憐憫。蔑みも入っていたかもしれない。


 ろくに魔法も使えない馬鹿者が庭に入って来ただけだと、獣の餌か野垂れ死にだと思っていたのだ。


 しかし、想定外のことが起こった。


 小さな魔力の塊をぶつけるという戦法をとっていた少年が手元に魔力を溜め始めたのだ。


 それも


 山を抉る竜の咆哮や地を平す怪鳥の飛翔と同じ予備動作であった。


 そうして溜められた魔力は巨大魔獣の心臓を撃ち抜き、風穴を開けた。


 ついに少年は膨大な魔力で巨大魔獣を討伐してみせたのだ。


 彼女は歓喜した。


(暴力的なまでの魔力、竜の咆哮の様な破壊力。今の世にこんな膨大な魔力を持つ者がいたとは! )


 彼女は次世代の最強を彼の魔力に見出した。これが今に至る経緯であった。


「ようやく終わったらしいな。次は大型魔獣で実践といこう!」


「鬼! 悪魔! 鬼畜ババア!」


「ババアだと〜! この豊満な肉体が目に入らないのか馬鹿たれ!」


 このこの〜、と上機嫌に抱きつく彼女。


 第一線を退いた大魔導士様は久々の育成が楽しくて仕方がない様子。しかし、少年の脳内は危機に瀕していた。


(近い近い近い! いい匂いする......)


 たわわな肉体が修行の度に押し付けられ、師が喜べばその柔らかな胸に抱かれる。


 ハーレムを目指していた少年は思いの外、女体に弱かった。


 出会った当初の少年は胸を躍らせていた。このまま仲良くなればエッチなことができるのではと。


 しかし、師は強かった。今の少年では勝つことはおろか戦いの舞台に立つことすら難しい程に。


 それに加え、少年側が下心を出すと雷を落とす始末。百年早い!と言われ続けて現在137敗中の彼は今日も悶々と過ごしていた。


 少年には実力がつかなければ修行で死ぬか、欲望に負けて師に殺される未来しか見えなかった。


(見てろよ。強くなって次こそ絶対に......!)


 少年は生存と自身の理性のため、今日も修行を続けるのであった。


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