美しき魔女.
「メイナードヘックス?」
「そう。美の女神で魔女って意味らしいんだけど。名前がうざったいから。これを保護してほしい」
「美魔女を捕獲って」
監察。県警本部の実質のトップ。これより上は、天下り先と政治家のいいなりだった。
「俺たちふたりで、ですか?」
「戌子も付けるわ」
「まあ、あいつ使えるからな」
「今回も戌子以外に、戌子の恋人に協力を頼むことになる。くれぐれも、粗相のないように」
「粗相ねえ」
そういえば前回ヘリを運転していたのも、戌子の恋人だったか。
本部長室を出た。
本部長は、不在。どうせまた、政治家にごますりだろう。
「戌子はいるか?」
一課の執務室に戻って、声をかける。返事はない。
「行きつけのバーじゃないですか?」
「バーか。場所分かる?」
「行きましょうか」
「ああ」
この街は、平和だった。殺人事件どころか、傷害すらほとんど起こらない。一課は、まあいっかの一課とか、とりあえず一課とか呼ばれていた。
県警で最強の人材が集められているわりに、ハードな事件は起こらない。
二の車の助手席に入る。
「バーまで。俺はメイナードヘックスとやらの情報を検索してみる」
「お得意のSNSですか?」
「お得意の、な」
端末を動かして、検索をかける。メイナード、ヘックス。
「おもしろいな」
「何か見つかりました?」
「何人か。メイナードヘックスに会った、という投稿を最後に更新が途切れてるやつらがいる」
「へえ」
「毎日更新してるやつの更新が途切れるってことは」
「死んでるかもしれないですね」
「いや、そうとも限らん」
現実世界で忙しくなれば、バーチャルへの没入時間は減る。単に忙しくなっただけという考え方も、できなくはない。
「着きましたよ。バーです」
「近いな」
五分もかかっていない。
「戌子も入り浸る、近場のバーね」
銃を、素早く確認する。弾倉。グリップ。安全装置。マズル。
「よし。俺が行く。ここで待て。扉を開けて手を上げたら、裏口へ。何もなければ後から入ってこい」
「ここで待ち、手を上げたら裏口、何もなければ後ろに」
二が復唱する。
十段もない階段を降り、扉を、開けた。
「いらっしゃいませ」
バーテンダーがひとり。男性。昼間から酒を呑んでいる、だめな女性警察官が1名。
そのまま扉を閉めずに、店内に入った。少しして、二が入ってくる。
「ほら。起きろ、だめ警官。仕事だ」
「おきてますけど?」
「ならいい。魔女狩りだ」
「魔女?」
バーテンダー。反応がある。
「メイナードヘックスの、ことですか?」
「おっ」
このバーテンダー。メイナードヘックスを、知っている。
「あっ、野山を駆け回る聖霊のときに会わなかったですもんね。紹介します。こちら私の恋人、アルコールのアルさんです」
「どうも」
「どうもどうも。この呑兵衛の同僚の一です」
「二です」
「はじめと、ふたつ。一と二、ですか」
「ええまあ。戌子と同じような感じです」
「で、メイナードヘックスって、誰?」
「それは俺たちも知りたい」
バーテンダー。カウンターから、こちらに。
「ソファへどうぞ」
言われるがまま、ソファに座る。二は周囲警戒で、立ったまま。
「いや、いらないですよにいさん。私の恋人のバーだから」
二だから、にいさん。
「メイナードヘックスは、おそらく街の勢力図を塗り替えようとしている、何者かです」
「街の勢力図」
この街は、簡単な勢力図だった。AR3という謎の何かが、警察よりも深いところまで街に根付いている。それは街の治安を守り、人々の安全を警察以上に守っていた。一課の性質上、AR3の事後処理を行うことも多い。戌子なんかは、内偵先が内偵前につぶれることもしょっちゅうだった。延々と事務作業をしていたのが、最近は解放されつつあるらしい。
「AR3絡みですか?」
「いえ。政治の話なので、AR3は絡んでいません」
AR3は、街の市民の安全にしか絡まない。経済には介入するが、政治には、まったくといっていいほど興味を示していなかった。
だから、この街の政治家は腐っている。平和は、権力の賞味期限を早めていく。
「メイナードヘックスは、政治家絡み、と」
「高齢者に特化した予算が組まれることを、ご存じですか?」
「いえ。特には」
後ろから、二に叩かれる。
「高齢者特区制度、ですね?」
二は知っているらしい。
「この街には、若者が多いんです。高齢者の数は少ないし、社会保障のサービスも手厚い。それでも、政治家は更に操りやすい票田が欲しいということです」
「つまり、どういう?」
また、二に叩かれた。
「他の県から街に高齢者を移住させようっていう政策です。若者は選挙行かないですから。一さんは少し勉強してください」
「いやあ、すまん」
選挙には毎回、行っている。若者も投票に来ている気がしたけど、黙っておいた。また叩かれるといけない。
「本題に戻ります。メイナードヘックスは、どうやら街の若者を焚き付けて、高齢者特区制度を廃案にしようと、動いているようです」
「メイナードヘックスが」
「はい。狙われているのは、すべて若い女性です」
「若い女性」
だったら、戌子に囮をさせれば。
「あっ、わたし?」
「彼女では、なぜか囮にならなかったんです」
「恋人いるからかな」
「うちのバーもやられていまして。テンダーが三人ほど、いなくなりました」
「いなくなった?」
「はい。メイナードヘックスに協力すると言って」
メイナードヘックス。思ったよりも、手強いかもしれない。
「若い女性、それも恋人がいない人間が狙われる。確かですか?」
「はい」
それなら、当てがある。
「今夜、張りましょう。段取りを説明します」
夜。
街の外れに、若い女性を、ひとり配置した。
「いやあ、しかしこの囮は」
「効くだろ?」
「いや効きますけど、ほんとこわいもの知らずですね、一さんは」
「事件解決のためなら、なんだってやるぜ。それが一課のエースだ」
囮。
ふらふらと歩いている。
同時並行で、戌子とその恋人のアルさんが街の若い女性の流れを追っていた。そちらからも、足取りがつかめるかもしれない。
囮。
いらいらしたような、貧乏ゆすり。
「あの囮、階級は高いくせに張り込み下手くそだな」
「まあまあ」
「あっ、ん?」
奥のほうから、誰か来る。
「あれ」
戌子と、アルさん。
囮に気付かれないように、合図をする。二人が気付いて、遠回りしてこちらに合流。
「どうしてここへ」
「若い女性が集まっているところを見つけて、メイナードヘックスの足取りを聞いたの。今日はここ、街外れで勧誘だって」
「アルさんのとこのバーテンダーは」
「三人ともいました。ただ、気になることが」
「気になること?」
「三人とも、洗脳された気配がない。普通なんです。まともなまま、メイナードヘックスに従っている」
まともなまま、メイナードヘックスに。
「それは、どういう」
「私も分かりません」
「あっ。見てください」
二が、囮のほうを指差した。
囮。
虚空に向かって、蹴りを繰り出している。
「えっ。なんだあれは。暇すぎて身体動かしはじめたのか」
にしては、鋭い蹴り。ふたつ続いて、今度は拳。
「おかしいな」
「えっ、ちょっと待ってみんな。見えないの?」
戌子。
「なにがだ?」
「うそ。ちょっと待って。わたし加勢してくる」
戌子が飛び出していく。
「え、ふたりとも何か見えます?」
「みえません」
「何も見えない」
虚空に向かってなおも拳を繰り出す囮。戌子が、誰もいないところにスライディングして、膝を曲げて蹴った。
ばちっという、音。
「聞こえたか?」
「聞こえました」
「そんな。誰か、いる、のか?」
思いつくものが、あった。
「二」
「はい」
「自販機探して飲み物いくつか買ってこい。色の濃いやつだ。できれば炭酸がいい」
「分かりました。自販機で色の濃いものを買ってきます」
二が、囮とは逆の方向に走り去っていく。
戌子。
弾けたように、跳んだ。
「あっ」
「やはり」
見えないが、誰かいる。
そして、今ここにいる自分にも、アルさんにも、それは見えていない。
「買ってきました。コーラを三つ」
「よし。蓋を開けて三人で投げるぞ」
コーラを思いっきり振って、蓋を緩める。
「いち、に、さん」
コーラ。
派手に泡を吹きながら、戌子と囮のほうに向かっていく。
「うわっ」
戌子は、それを感知して後ろに跳び退った。虚空を蹴るのに夢中だった囮に、おもいっきり、コーラがかかる。
そして、もうひとり。
「あれだ。メイナードヘックスの正体」
やはり誰か、いる。
「
「はい」
「行くぞ、いち、に、さん」
駆け出した。
ようやく姿が見えた、誰か。
肩を腕で引っ掛けて、倒す。
二がすぐに膝を極めて制圧。
「よし、確保」
「大丈夫ですか、監察?」
「あんたねえ。上司に向かってコーラ投げる部下がどこにいるのよ。まったく」
囮になっていた監察。コーラで、べとべとになっている。
「はなせっ」
若い女の声。
「話は署で訊くぜ」
「みんな臥せてっ」
戌子の声。
全員が、臥せた。
何か、投げられてくる。
ペットボトル。水か。
「メイナードヘックスを、離して、ください」
女性。ひとりやふたりではない。かなりの量。
「話を聞いた女性たちです」
「参ったな。あれを制圧するのは手間がかかるぞ」
「俺が話をつけます」
アルさんが、立ち上がった。
「メイナードヘックスに危害を加える気はない。落ち着いてくれ。話が聞きたいだけだ。テンダー。女性側の代表をやってくれ」
三人ぐらい、女性の束から出てくる。女性をまとめて、そのうちのひとりが、こちらにゆっくり向かってきた。
「メイナードヘックスを、離してください。まずは、そこからです」
「わかった」
アルさんが、こちらを向く。掴んでいた手を、離した。二も、極めていた脚を離す。
メイナードヘックス。コーラでどろどろになっている。
「私たちは、政治家の腐敗を、選挙によって
「高齢者特区制度か」
「はい。メイナードヘックスは、この街のことを、考えているひとです。逮捕しないで、ください」
「逮捕?」
「ちょ、ちょっと監察。いま話をしてるところですって」
「勘違いなさっているのは、そちらのほうです。私たちは、メイナードヘックスを保護するために、ここにいます」
「え?」
「そうなんですか、監察?」
「あれ、言わなかったっけ」
そういえば。名前がうざったいから保護、とか言っていたっけか。
「あなたがたは無用心すぎる。このままだと、早晩メイナードヘックスは政治家に狙われることになります。その前に警察で保護すれば、どこよりも安全にできます」
「あの、このかたは」
「申し遅れました。県警の監察です」
女性。わからないという、顔。
「あなたが、県警の華」
メイナードヘックス。喋った。
「あら。県警の華だって。みんな聞いた?」
「コーラまみれの華だな」
「あんたたちがコーラ投げたんでしょうが」
「わかりました。あなたたちの言うとおりにします」
「色覚異状?」
「はい。男性と女性では、色の認識が違うんです。それを利用して、ほら、こんな感じに」
メイナードヘックス。メイクで、右頬が、消える。
「見えない部分は、脳が勝手に補完していくんです。こうやって、支持者を集めていました」
「これがメイナードヘックスの魔法か。どうりで捕まらないわけだ」
「あの。ここまでのご協力、本当にありがとうございました」
「いえ。俺たちは上司の指示に従っただけですし」
「あのときはコーラを投げちゃって、すいませんでした」
「たのしかったです。コーラ」
「たのしかった?」
「ああいう、わちゃわちゃしたのが。好きなんです。若者の街というか、雰囲気というか。どこか明るい感じが」
「若者の街、ねえ」
テレビ。
得票率が出ている。
現職の政治家は、全滅。
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