青いカーネーション

最中 空

青いカーネーション

蒸せ返る花の香りに、片方の眉が微かに歪んだ。

外との温度差に少しだけ身体が震える。

こう言う機会でもなければ、僕は花屋を訪れる事は無かっただろう。

どのようにして求めたら良いのか?

視線を左右に向けると、花と一言にいっても様々な形をしている。当たり前のことなのだが、妙に感心した。

「いらっしゃいませ、何かお探しですか?」

奥の方から華奢な女性が小走りで向かってくる。


「そうですね、カーネーションはありますか」

「ございますよ、贈り物でしょうか?」

「贈り物..まあ、そうですね。青いものはあります?」

「青..青いカーネションですか?」

少し困ったみたいな店員の顔に、僕は溜息を飲み込んだ。彼女の言う事を鵜呑みにして馬鹿正直に花屋で聞くのは失敗だったようだ。

きっとまた、揶揄われたのだ。

「はい、無いですか?」

「お客様が思うのは真っ青なものですか?」

「まあ、青いと言うからには」

「でしたら..ちょっと待ってくださいね..えっと..」

ガラスのショウケースを開けて、奥の方にある花を一本抜き僕の方に向けながらは店員は続ける。

「これが、青いカーネーションなんです」

こちらを向いている花は、おおよそ誰が見たって紫色だ。

「青、ですか」

「はい、これですね。これより青いものはどこを探しても無いとは思いますが..」

「そうですか..うーん..」

「真っ青なカーネーションというのは、今の技術じゃ存在しないんですよ」

存在しない、言葉を反芻する。

それを欲しがる辺りが彼女らしいなと、笑みが漏れた。

「なら、しょうがないですよね。分かりました、それを10本ほど頂けますか?」

「宜しいんですか?」

「ええ、よろしくお願いします。」

「小さなブーケのようにいたしましょうか?」

「あー..うーん、いえ、そのまま適当に包んでいただけますかね?」

「贈り物でしたら、こんな感じで花束にもできますが」

壁に貼ってある見本の写真を指差しながら店員が首を傾げた。

「ああ、いえ。恋人に贈る物なのですが、かしこまった物はどうにも気恥ずかしくて。適当に新聞紙なんかに包んで頂けると助かります」

まあ、と小さく声を上げた店員の声量があがる。

「なら、尚更花束にした方がよろしいでは無いですか。きっと、綺麗にしてあった方が貰った方も喜ばれますよ。花を送るなんて、特別なことなんですから」

こうなると、僕は弱い。

「そう、ですかね。はは。いや、じゃあお願いしましょうか」

「ええ、白い包み紙に青いリボンなんかかけたら映えるんじゃないでしょうか」

フィンランドの国旗かよ、とよくわからない文句を言いそうな彼女の声が聞こえた気がしたがプロが言うことだ、間違ってはいないだろう。

「はい、じゃあそれで」

「じゃあそこにおかけになってお待ち下さい、すぐにご用意しますから」

そう言い残すと、彼女はまた早足で奥に消えて行った。


ふう、と息をつく。

冷房のよく聞いた店内の花の香りに陰鬱な気分になる。

気紛れな彼女の欲しいに何度も振り回されてきたのに、僕は懲りもせずまた同じようにその無理難題を叶えようとするのだ。

我ながら(都合の)いい彼氏である。


「貴方が欲しいな」

と、いつもみたいに冗談っぽくいう彼女の言葉を僕はまともに取り合わなかった。

これが彼女が僕に向けた愛の告白だなんて、思えるはずも無かったから。

「はいはい、僕はあげれないよ。物じゃないからね」

そんな風に答えたんだったと思う。

唇を尖らせて、途端に機嫌の悪くなった彼女を見ておや?とは思ったが普段からこのような冗談を言う人だからまた揶揄われているんだと思った。

「なに怒ってるのさ」

「何でもないよ、素直さをドンキホーテで買ってきなよ。貴方にはそれが足りない」

「その言い回し好きよね」

「うるさい!!」

「え、何で怒ってるの?」

「もう一度いうよ、貴方が欲しいの!」

「それはどういう意味?」

「私のものになってよ」

「...え?」

「告白してんの、返事は?」

「..ははっあはは。ああ、うん。分かったよ」

「笑わないでよ、本気なのに」

「ごめん、分かった。僕をあげるよ」

こうして、最初に彼女に贈ったのは奇しくも僕と言うことになる。

そのときに彼女のことを恋愛対象として好きだったかと言えば、残念ながらNoだ。

ただ、この心地の良い関係が続くのであればそれは幸せだろうとそう思った。


僕たちは、関係の名前が変わっただけでそうなにも変わる事なく共に過ごした。

夏の日だった、彼女は例年を遥かに上回る暑さに心底参っていた。

「暑い暑い暑い暑い、あーもう!何でこんなに暑いの!?」

「僕に言われても知らないよ、さっさと歩いたら?家の中なら涼しいよ」

「もう一歩も無理!!雪、降らないかな?雪だ!ねえ、雪が欲しい!」

焼けついているアスファルトに腰を下ろして、僕を見上げる彼女に僕は無性に腹が立った。

「暑さでおかしくなった?雪は夏には降らない」

「誰がそんなこと決めたの?こんなに暑いんだよ、おかしいじゃん」

「おかしいのはその頭だよ、あーもう、置いてくからね」

「お好きに、私は雪が降るまで動かない」

「勝手にしなよ」

振り向くこともせずに僕は早足で家を目指した。

彼女の叫ぶような非難の声は聞こえてはいたが、構ってられるかと。

随分と離れてから、振り向くと陽炎が揺れるアスファルトは見えたものの彼女の姿はそこには無くなっていた。

子供じゃないんだから放っておけば良いかと、そのまま家に帰る。

部屋中がクーラーで涼しくなった頃に、ふと彼女が帰ってこない事が心配になり電話をかけるが繋がらない。

そのまま三時間が経つ頃には、もう二度と帰ってこないようなそんな不安が胸を支配した。

探しに行こうと、立ち上がると玄関の方でガチャガチャと鍵を開けようとする音が聞こえてきた。

「どこ行ってたの?」

玄関を開けると、彼女が悪戯っぽい笑顔で、大きな箱を頭の上に掲げていた。

「...付け加えると何をしてたの?何それ?」

僕の?を全て無視して

「氷出して、早く」

「いや、は?」

「良いから氷」

僕は渋々、氷を用意した。

ダイニングのテーブルの上で彼女はその大きな箱を開けて中身を組み立てている。

「カキ氷機?」

「はい、早く作って!」

言われるがまま、僕はハンドルを力一杯に回した。

キラキラと、氷の粒はガラスの器に積もっていく。

彼女は僕の腰のあたりまで頭を下ろし、その光景をわーとか、おーとか言って眺めていた。

「はい、これで良い?」

パッケージに書いてあるものよりは少し不格好なかき氷を彼女の前に置くとニヤリと笑った。

山のようになっている頂点を鷲掴むと、彼女は器用に丸めて僕にぶつけてきた。

「は?」

顔に当たった暴力的な冷たさと彼女の笑い声に僕は何が起こったのか分からなかった。

「ほら、雪だよ。雪といったら雪合戦でしょ?ただいま」

勝ち誇った顔で僕を見つめる彼女は無邪気に笑っている。

僕の負けだ、雪は夏に僕に降ってきた。

つられて僕も笑い出す。

「はは、馬鹿だな。なにやってんのさ..はははっ」

「でも、涼しくはなったでしょ?勿体無いから食べちゃおうか!」

台所にスプーンを取りに行く彼女の肩はまだ笑っている。

抉れて、少し溶けた氷の山にスプーンを突き刺して一口には大きい量の口に入れて、ふふっとまた笑う。

「ん?どしたの?」

「ふふ..シロップ忘れちゃった。これは味がないね」

照れ臭そうに笑う彼女を、堪らなくなり僕は抱きしめた。

そうすると、先程までの威勢はどこに行ったのか大人しくなり僕の胸に顔を埋めて小さな声でうーと唸ると居心地悪そうに逃げ出そうとする。

僕は彼女のこういうところがとても好きになっていた。

おでこに唇を落とすと、困ったみたいな顔をしていた。


「お待たせしました」

店員のよく通る声がこちらに向かってくる。

「ああ、いえ」

「こんな感じでよろしいですか?」

胸に抱えられた花束は見栄えしていて、なるほどいう通りにしておいて良かったと思った。

「とてもよくして頂いて、ありがとうございます」

代金を払い、花束を受け取る時

「恋人さん喜ばれると良いですね」

と、咲いたみたいな笑顔をつけて渡してくれる店員にもう一度礼を言い店を出た。

かしこまった服に花束を抱く僕が店のガラスに写る。

ああ、何と似合わないんだ。

あの日みたいに揺れる陽炎の遠くで彼女がそんな僕を笑う声が聞こえる気がする。

さて、時間があまりない。僕はまた、あの日みたいな駆け足で駅を目指した。


駅にたどり着くと、まずはトイレに駆け込む。

割れ物みたいに慎重に花束を水道の横に置き、大きな鏡の前で顔を洗った。

汗が流れ落ち、スッとする顔を二回叩いてからネクタイを結ぶ。

妙に背筋が伸びるのを感じた。

そうしてから、僕は電車に乗り込んだ。

運良く、空いていた座席に腰を下ろして目を瞑った。

昨日の夜眠れなかったのだ。


彼女が欲しがったものはたくさん浮かぶ、あげれなかったものも沢山あるのだ。

ある日、彼女は突然倒れた。

病魔は確かに彼女を蝕んでいたのに、僕は気づく事が出来なかった。

気づけた時にはもう遅かった。

彼女に残された時間は、あまり多くないことが分かった。

「ねえ、見て!病人みたいじゃない?」

いつもの調子で言う彼女の言葉を僕はもう笑う事が出来なかった。

「ああ、うん。きっと病人なんじゃないかな?」

「おっかしいな、こんなに元気なのにね」

「元気なの?じゃあ早くこんな所出ようよ」

「ふふ、そうね」

「すぐに良くなるよ、ほら京都行くんでしょ」

「そう!行きたいな、後はね給与の三ヶ月分の指輪貰わなきゃ」

「古風だね、今はそんなに高価なものじゃないらしいよ」

「そうなの?世知辛い世の中」

「はは、他には?何か欲しいものはない?」

「うーん、時間..かな」

息が詰まった、なにを言うべきなのかその答えが僕にはわからなかった。

彼女は続ける。

「時間が欲しい、こんなにも幸せなんだもん。ずーっと続いてくれなきゃね」

「そうだよ」

と答えた声は情けない程に震えていた。

「ほら、泣かないで。大丈夫、私は死なないから」

「当たり前じゃないか、死んで貰っちゃ困るんだよ」

「うん、私だって困るもん」

「まさか指輪だけ貰って、そのままってあんまりだろ?それじゃ結婚詐欺だ」

「ふふ、本当ね。じゃあ、早く持ってきて。今この状況に絆されてる間に貰っとかないと」

「お願いだから、ずっとそばにいてよ」

「やだなぁ、もっとロマンチックな場所で言ってくれる?こんなプロポーズ笑えないじゃない」

「そうやってまた..」

「ねえ、愛してるよ」

「.....何でそれを今言うんだよ」

「ふふ、泣き止むかなって」

「なんだよ、それ」

「ひっどい顔、それ笑ってるの?泣いてるの?」

「笑ってるんだよ!!」

「今すぐ指輪を買って来て、サイズは後で直せばいいから」

「....分かった」

僕は立ち上がると、病室を出て走ってジュエリーショップに向かった。

どんなものが良いのか、そんなのも分からないから切れる息で店に入ると目についた店員にそのまま

「婚約指輪を下さい」

と今日みたいに馬鹿正直に言った。

丁寧な接客を受けながら、どんなに早くても手に入るのは一ヶ月くらい後だという事を聞いた。

そこで冷静になった僕は、急に恥ずかしくなり病室に戻った。

彼女は痛み止めを打ってもらい眠っていて、小さなテーブルの上には


少しは落ち着いた?ごめんね少し眠らせて。

馬鹿ね、その指輪を嵌めるまで私は死ねないよ。

大丈夫。

今度のお見舞いに青いカーネーションを買って来て、今の所はそれで許してあげるから。

大好きよ。


と書かれた手紙が置いてあった。

僕は、彼女の横で声を殺して泣いた。


その2日後の昨日。彼女は26年の短すぎる生涯を終えた。

僕が病院に駆けつけたのは彼女が事切れた後だった。

ご家族は、僕に気を使って2人きりにしてくれた。

穏やかな顔をしていた、1時間ほど前に容態が急変し少し苦しんだ後に鎮痛剤で朦朧とした中で逝ったらしい。

譫言のように僕のことを何度も呼んだと、彼女のお母さんは言っていた。

「ねえ、寝てるだけでしょ?」

返事はない。

「そうやってまた僕を揶揄ってるの?やめなよ」

「指輪貰うまで死なないんでしょ、ねえ」

「ほら起きなよ。ほら、そうだ京都行こ。すぐ切符取るから」

頬に触ると、驚くくらいに暖かい。

彼女にしがみつく。

「やだよ、やだ。ねえ、起きてよ。やだ...」

「何だってあげるから、お願いだから」

僕の大きな声に心配をした彼女の家族が部屋に戻って来た。

「..綾子と仲良くしてくれて、本当にありがとう」

彼女のお母さんは、僕の肩を抱きながら何度もお礼を言っていた。

「申し訳ありません、こちらこそありがとうございます」

向き返り、僕は頭を下げた。

「綾子は貴方の話をよくしてくれたわ、いつも嬉しそうに貴方のことを...。綾子は幸せだったわ、本当にありがとう」

「..僕は..何も...なに..っ....」

うまく喋れない僕に何かを握らせる。

「これね、綾子が何かあったら充くんに渡してって言ってたの」

「僕に..?」

「そう、私たちは中を見ていないわ、通夜は明日の夕方になると思う。貴方酷い顔してる、今日は一度帰って休んでください。明日、また綾子とゆっくり過ごしたら良いわ。ありがとうね、タクシーを呼ぶから少し待っていて」


そこからどうやって家に帰ったのか、あまり覚えていない。

家に帰り手に握ったままになっている、1通の便箋を僕は開けた。

見慣れた彼女の字が並んでいる。


青いカーネーションの花言葉は、永遠の幸福です。

永遠という言葉をどう解釈する?

人の生涯を永遠と呼ぶには、あまりに短い気がしない?

私が思う永遠は未来永劫に続くもの。つまり身体が存在できるたったの何十年では足りないものなの。

私が貴方から貰った幸福はこの身体が無くなってもずっとずっと続く。

だからね、これは悲しい事じゃないんだよ。

幸せはずっと有り続けるんだから。

貴方はこれから、その身体が朽ちるまで私が貴方にあげれたであろう幸福と生きていくの。

どんな人生を送るのか、私には見る事は出来ない。

でも、貴方が引き継いでくれる私の幸福を絶やさないように最後の時まで握っていてね。

いつか、天国でその続きを聞かせて頂戴。

後、指輪はキャンセルして。詐欺師になったら天国にはいけなくなるじゃない。

貴方と出会えて良かった、愛してる。


             綾子


棺に収まる彼女の腕にその花束を抱かせる。

見下す彼女は、昨夜見た時よりもさらに大きく笑っているように見えた。

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