挿話

挿話 (1)

 風が吹いている。

 暖かく、心をはずませるような、そして反対に体に倦怠感をあたえるような、なまあたたかい春の風。

 風に吹かれて、桜の花びらがくるくると渦を巻いて舞い踊る。

 青い大空にはまばらに白い雲が浮かび、美しいコントラストを描き出していた。

 陽光は燦燦と少女たちの上に降り注ぎ、その笑顔をやさしく輝かす。

 私立ミキジョウ女子学園高校。

 その銘板の横には、入学式の看板が、青春の門出をむかえる少女たちを祝うようにたっている。

 門を入っていく女生徒たちの、エリとスカートが水色のセーラー服が、まるで今日の空のように、目にまぶしくうつる。

 門の前に立ち、キリュウ・シノブはくるりと体をひねって振り返る。

「あの、私、なんて言っていいのか」

「いやいや、お礼とかいいから、当たり前のことをしただけだから」

 綺麗にしかし、ファッショナブルに整えられた七三分けの髪型と、パリっとした紺色のスーツを着て、トビタ刑事はほがらかに笑って答える。

「本当に、ありがとうございました」

「だから、お礼とかは……」

 トビタの照れたような返答に、ふたりは同時に笑いだす。

 仲よさげに笑いあうふたりを見ながら、生徒たち、そしてその付き添いの親たちもほほ笑みながら通りすぎ、門のなかにはいっていく。

「じゃあ、俺は仕事があるから、悪いけど」

「いえ、ここまで送ってくださっただけで」

 トビタは手を振り、道を遠ざかっていく。

 その後ろ姿に、シノブは拝みたいくらいの感謝のまなざしを注ぐ。

 やがて、彼の後ろ姿は、人波の向こうに消えていった。

 シノブはふりかえる。

 ――この門を入れば、私は今日から高校生。

 残酷な過去を彼方に消し、新しい人生が幕をあける。

 シノブは歩き出す。

 その目にみえるのは、ただ、燦然と輝く未来。


 入学式が終わり、教室に通される。

 式の間じゅう、シノブの鼓動は高鳴り続けたが、教室に入って、自分の席に座っても、その胸は大きく脈動を続けている。

 すでにうちとけているのか、それとも中学からの友達なのだろうか、ほかのクラスメイトたちは、前後や隣の生徒たちと会話を楽しんでいる。

 シノブはその和やかな喧騒のなかにいて、ただ、困惑していた。

 前も後ろも右も左も、みんなすでにお喋りに夢中で、どうやって会話に加わっていいのか、まったくタイミングがつかめない。この教室のなかで、自分ひとりが、別の空間にいるような、分断された次元にいるような、寂しい気分だった。

 すると、右斜め後ろから、

「あの……」

 と声が聞こえる。

 空耳かと思っていると、また、あのう、と聞こえた。確かにシノブに声をかけているようだ。

 振り返る。

 そこの席には、左右の耳の後ろで髪をたばねた、小柄な生徒が、おどおどとしてこちらをみている。

「はい」

「あの、私、タナカって、言います。タナカ・ヨシカ」

「えっと、わたしはキリュウ……、シノブ」

「あの、ひょっとして、よそから入学したんですか?」

「ええ、遠くのほうから」

 とシノブは、トビタに教えられたように遠方の地名を答えた。

「やっぱりそうだったのね、よかったわ、そうじゃないかと思ったの」

 とその生徒は笑う。

 ともかく、素性は隠したほうがいい、というトビタのアドバイスだった。嘘をつかなければならないことに、いささかのうしろめたさを感じつつも、

「あなた……、タナカさんも?」

 とシノブは問い返す。

「そうなの」としんそこ安堵したというふうな声で、その生徒は答えた。「私は西のほうから父の仕事の都合で越してきて、知ってる人とかいなかったし、よかった。あなたもなのね、よかったわ」

 タナカという、ちょっと地味な雰囲気の女の子は、よかったを連発して、ほんとうにうれしそうな顔をして、言った。

 つられてシノブの口もともゆるむ。

 そんな、ささいな会話から、シノブの――記憶にある限りでは――生まれて初めての友達ができた。

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