第八話 おなじこと

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俺らが駆けつけた時、壁際に有安ソナ、そしてその目の前には、隣の家庭科室から持ち出したのだろう、包丁を持った同じクラスのケンが立っていた。


 「や、やめて……ください……」


 両手を口元に、小刻みに震えている。


 「待て、ケン!! 」


 ハジメが止まるよう叫ぶ。


「やめてください……? 待て……だと……? ハハッ、俺らがどんな気持ちでこの学校に入ってきたのか知ってんのかよ……ッ!! 」


 ケンは包丁を振り下ろす。 不自然なほどに周りには誰もいない。

 確かに、ここ一階には特別教室ばかりで人が少ないのは納得できる。 だが、こんなに大声を出しているのだ。 野次馬の1人や2人、来そうなものだが……。

 そんなことを考えても、この状況はどうにもならない。

 ケンは続ける。


 「俺の父さんはなぁ……。 お前らに殺されたよ……疲れて立てないぐらい……お、俺らの為に働いてくれたッ……うッ……父さんはッ……! おまえらがッッ!! 道を通っている間に父さんはフラついてしまったんだ……ッ……うッ、グスッ……それだけで、それだけでッッ!! 」


 ケンは泣いていた。 確か、ケンの家は兄弟が沢山いる、大家族だったはずだ。 長男であるケンは父の仇を撃つ為にここに入って来たと言っていた。 この独立国家日本で、沢山の人を養って行くのは難しい。 ただ、この学校だけは有安からの資金援助を受けることができる。 それも含めてここの学校を選んだのだろうと思っていた。

 何かの〝仇〟でという形での入学は、少なくはない。

 するとケンは俺の心を読むように言い放つ。


 「だからなぁ、俺は唯一有安の上の奴らと働くことのできる、この高校を選んだんだよ……目的は復讐だ……だが待っても待っても待っても待っても待っても待ってもッッ!! 3年は過ぎない……。 で! こんなところに有安の野郎だっていうんだからよぉ……! ようやく、ようやく父さんの、父さんのカタキガウテル……!! 」


 俺はケンの気持ちは痛いほど、死にそうなほど分かる。 

 俺も、簡単には殺さず、殺したいと思う。

 でも。

 行動には移せなかった。 


 「……うっ……ごめんな……さい……ごめんな、さ、いっ……うっ……」


 それは土下座をした、有安ソナの言葉と姿だった。

 あ……れ……?

 俺はあの夏の日の記憶を思い出していた。

 母の姿と同じだったのだ。 メメを返してと言う、あの日の母の。

 ちらっと窓が視界に入る。 そういえば、あの日もこんな天気だったっけ。 今にも雨が降り出しそうな。 そうしていつの間にか降っていた、あの。

 俺らはあの日、何もしていない。 していないのにメメは連れて行かれた。

 そして今の、有安ソナもそいつ自身は何もしていない。


 おんなじこと、してんじゃねえか……


 俺はあの日から、ただメメを助ける為に生きてきた。 だが、いつしかそれはケンと同じ、復讐になっていたのかもしれない。 それでもよかった。 そっちの方でも天国の母さんに胸張って会えると思っているから。 


 でも。 今だけは。  有安の奴らを助けるなと言う、自分に言い訳をさせて欲しい。 自分に嘘をついて。 

 〝母の状況と同じ〟ということに託けて。

 いや。

 〝そっち〟の方が本心だ。


 「おい、ケン」


 俺はケンに呼びかける。


 「……何だよ、ユウ。 邪魔すんのかぁ?」


 ケンは俺に、ギロリと殺意の眼差しを向ける。 その表情には鬼が宿っていた。 復習の色しかない瞳には、いつものケンはどこにもいなかった。 ……何かを思う人の心は、こうも変えてしまうのか。 俺はケンに近づく。


 「なっ、ユウ、ダメだよ! 」


 止めるハジメを、俺は


 「大丈夫」


 と言って通り過ぎる。 そして俺は包丁を持つ。 〝刃渡り〟の部分を。


 「なっ……!」


 ケンはたじろいだ。 左手から紅の液体が流れてくる。 痛みはまだ感じない。


 「なぁ、ケン。 お前の父を殺したのはこいつなのか? 」


 俺はさっきのハジメの言ったことと同じ言葉を口にした。


 「……いや、ちげぇと思う……」


 ケンは目を逸らす。


 「だろ? ……こいつは何もしてないかもしれないじゃないか」


 「ああ……でもッッ!! 」


 「だとしたらっっ!! …だとしたら、お前、おんなじことしてんじゃないのか? 」


 「……!? 」


 ああ、俺、何言ってるんだ……今からでも、コレ奪ってソコの奴を……できるのに……。


 「でもなぁ、ユウ、お前の母さん、殺されたんじゃないのか? ……妹も……」


 「ああ」


 「だったら……! 」


 「こいつは、何もしていない。 ……何も、してねぇんだよ……」


 まるで。 俺自身に言い聞かせるように。 何もしていない。


 「クソッ……うッ……!! 」


 そう吐き捨ててケンは何処かへ走り出した。 包丁は、不幸なのか幸いなのか、俺の手中だった。 後ろを向くと、ハジメは有安ソナの背中をさすっていた。 有安ソナはというと泣きじゃくるわけでもなく、ただ、静かに


 「ごめん……なさいっ、うっ」


 と下を向いて泣いていた。 まるで、自分は泣いてはいけないというように。


 復讐心。 有安への復讐心。 その心は変わらず俺の中にある。 今、ケンは有安ソナを殺すことで復讐を果たそうとしていた。 もしも完遂していた時……。

 その先に何があるのだろうか。

 一瞬の悲願の達成で歓喜の声を上げるだろう。 じゃあ、その先は? 父を殺されたという壮絶な経験をしているとはいえ、昨日まで和気藹々と話をしていた17歳には変わりない。 そんな青二才の少年の先の人生はいばらの道だと容易に推測できる。 

 ……。

 俺にはハジメという存在がいたから、ケンのような行動を起こす前に踏みとどまって、こうして考えることができた。 

 もしも、ケンの立場が俺だったら。 

 何ら変わりない未来を歩んでいたと思う。 その先には何もない未来を。 

 じゃあ、この復讐心を向ける先はどこになるのだろうか。 この母とメメの喪失による感情のやり場はどこにある?

 考えても考えても出てこない答えに飽和してしまいそうだった。 母とメメを失い、父の本当の姿を見てから今日まで、信じてきたものに疑いをかけることへの恐怖。 自分が、自分でなくなってしまいそうで、怖い。 過去の自分を否定するようで怖い。

 有安を助けてしまった。

 そういう思いがないわけではない。 ただあの夏の日、何もできなかった俺は、今回は何かできたと思って、思いあがって、不思議と後悔はない俺になっていた。 そんな俺が怖い。

 母さんに怒られるかなぁ。

 いつの間にか、外にはあふれ出したかのように雨が降っていた。


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