【9月12日】妹の部屋

王生らてぃ

本文

「ご飯ここに置いておくよ」



 という会話をするのも何年続いただろうか。

 妹の手結ていは、ある日突然部屋に引きこもったまま出てこなくなった。家の外から見るとカーテンも完全に締め切っているみたいだし、扉にはがっちりと鍵がかけてある。毎朝運んでくるご飯は、夜には無くなっているので、ご飯自体は食べているようだけれど、その姿を見る事はない。トイレとかどこでしているんだろう。



 妹は何歳だろう。

 というかどんな顔をしていただろう。どんな姿だったっけ?

 小さいころのことは思い出せるのだけれど、部屋に引きこもる直前のことはまったく思い出せない。ある日突然に部屋から出てこなくなってしまったのだ。



「じゃあ、いってきます」



 両親はどことなく元気がない。

 別にわたしは気にすることもないのだが、両親にとってはそうでもないようだ。そりゃあ、娘が部屋から出てこなくなったら元気もなくなるだろう。そういうものなんだと思う。わたしは別に気にしてない。女の子にはそういうときもあるものだ。



 ある土曜日のことだ。

 両親がたまたま出かけていたとき、わたしは学校が休みだったので、部屋でごろごろしていた。そんな時、今日は手結の部屋にご飯を持っていくのを忘れていたことを思い出した。



 炊飯器からご飯をよそい、シャケの切り身とサラダにラップをかけ、インスタントの味噌汁にお湯を注いで、二階の手結の部屋まで持っていく。



「手結~。ここに、ご飯……」



 と言いかけて。

 ぴしゃりと閉じられていたはずの扉が、開いていることに気が付いた。ほんのわずか。だけど、ドアノブが緩められ、確かに扉が開いている。



 トイレには誰も入っていなかったはずだ。



 わたしはご飯をそっと扉の前に、いつものように置くと、そのまま好奇心の赴くまま、部屋の中を覗き込んだ。

 むっとする匂い。むせるような湿気。あとカビのような臭いもする……だけど、不思議と爽やかな風が吹き抜けている。窓が開いているのだ。古びて色褪せたカーテンが、秋風にはためいていた。



「手結……?」



 妹の姿はどこにもない。



 わたしは部屋から出て、家じゅうを探し回り、それから家の外を探し回り、どこにも妹がいないことに気が付いた。もしかして、窓から飛び降りるとか、そういうバカなことをしたんじゃないかとも思ったが、死体はどこにも見つからなかった。

 まるでキツネにつままれたような気分で玄関から家の中に入り、もう一度、妹の部屋の前に行くと、ご飯は綺麗に平らげられていた。茶碗は積み重なり、みそ汁の入っていたお椀は、まだお湯の熱をそのまま残していた。

 とりあえず食器を持ってリビングに戻った。



「あ、お姉ちゃん。久し振り」



 見たことのない美少女がそこにいた。

 黒い髪の毛はだらりと、くるぶしの辺りまで垂れ下がり、星をちりばめたようにきらめいて、肌は白く、絹のようで、一糸まとわぬ姿でそこに立っていたのは、明らかに、わたしの見たことがない女の子だった。だけど彼女は、その大きな黒い瞳でわたしを見ると、「お姉ちゃん」とそう呼んだのだ。



「手結……?」

「うん。そうだよ、お姉ちゃん」

「あんた、今まで何してたの?」



 呆然と立ち尽くすわたしは、思わずそんな、ありきたりなせりふを口にしていた。

 妹を名乗る目の前の少女は、薄い身体をかすかに揺らしながら、答えた。



「羽化するときなの」

「なにを……浮かせるって?」

「違うよ――お姉ちゃん。わたしはね、進化するの。こんな狭い家を捨てて、出ていかなくっちゃいけないの。だけど、毎日ご飯を運んでくれたから、そのお礼は、しなくちゃいけないと思って」

「取りあえず、服……着たら?」

「わたしに合うサイズの服なんて、ここにはないでしょ」



 妹はそれから軽やかに、わたしのそばを駆け抜けて、廊下に出て、階段を駆け上っていった。わたしは咄嗟にそれを追いかけた。彼女の走ったあとから、きらきら光る鱗粉みたいなものが散らされて、それはお砂糖のようにむっと甘い匂いがした。

 妹は自分の部屋に駆け込むと、そのまま窓まで駆け寄った。

 わたしはそれを必死に引き留めた。



「バカなことはやめなさい!」

「バカなことじゃないよ。すばらしいことなの。わたしはねお姉ちゃん、進化するんだよ」



 すると、妹の長い黒髪が、もわもわもわっと脈動して、蝶の翅のように広がった。それを広げ、少し振り払うと、部屋中に爽やかな風が吹き込んだ。

 妹は、手結は、目の前に裸でいる少女は、まるで西洋の絵画に描かれた天使のようだった。



「ばいばい。お姉ちゃん、また会いに来るね」



 咄嗟だった。

 窓枠に手をかけ、今にも飛び出そうとする妹に、わたしは、まだ手に握ったままだった食事のトレイを投げつけた。妹の身体にそれがぶつかると、ぐにゃっと身体を折り曲げてそのまま部屋の中に倒れ込んだ。

 わたしは手結に飛びかかった。そして、傍らにあった、妹が小学校に通っていたころに使っていた国語辞典で、妹の顔を何度も何度もたたいて打ちのめした。妹の身体は、細くて、まるでゴムで出来ているんじゃないかってくらいやわらかくて、骨と筋の硬い感触が全くなかった。

 気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い。

 そうこうしているうちに、もう妹は動かなくなった。その死体すら美しくて、作り物めいていたので、わたしは気持ち悪くって、トイレに駆け込んでそのまま吐いた。



 わたしは妹の死体を、妹の部屋のベッドに寝かせて、それからカーテンと窓を元通りにぴしゃりと閉めて、それから部屋の扉を閉じた。



「じゃあ、手結のご飯、上げてくるね」



 それからわたしは、朝ご飯を抜くようになった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【9月12日】妹の部屋 王生らてぃ @lathi_ikurumi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説