第50話 湖畔の町 レジャー編 2



「……やけに騒がしいと思って降りてきてみりゃ、そう言う事かよ」


 湖面を囲む森の中から、遠目に群衆を窺っていたのは狂犬だった。


 騎士団の拘束を断ち切った彼は、東へと逃亡し、湖の連なる山地へと潜伏していたのだ。


 フロント近郊から湖畔の町までは、鈍行の馬車では10日以上かかるが、狂犬の並外れた体力と瞬足を持ってすれば、3~4日程で踏破できる距離であった。


 開発の手が入っていない山の奥では、強力な魔獣が多数生息し、人が滅多に入って来ない。

 隠れながらも修行の場とするには最適だった。


 サンデーへの復讐を誓った彼は、新たな力の獲得に余念が無く、日夜鍛錬に明け暮れていた。


 しかし湖周辺の封鎖が解除されたとは知らない狂犬は、俄かに人気の増えた周辺の状況を確認するために、山頂付近から降りてきたのだ。


 そこで折しも、標的であるサンデー自身を発見するに至った。


「呑気に遊びやがって……! まあ、探す手間が省けたか。隙を見てぶっ殺してやる!」


 獰猛な笑みを浮かべると、機会を待つべくサンデー達の後を追うのだった。




 かき氷を堪能した二人が次に向かったのは、麓へ下る途中にある、氷の張っていない湖だった。


 この湖は湖群の中でも3本の指に入る大きさで、所々に大きな浮島が点在している事もあり、対岸が見通せない場所もある。


 こちらでは釣り竿をレンタルしており、手軽に釣りを楽しめる釣り場が設置されていた。


 しかし氷は張っていないとは言え、気温は10度に届かない。

 寒空の下での釣りはあまり人気が無いようで、視界の範囲には他の釣り客は見えなかった。


 二人は借りた釣り具を持って、桟橋の先へ訪れていた。


「人が少ないのなら、入れ食いになるだろうかね?」

「どうでしょう~。私は釣りをするのは初めてなのでなんとも~」


 虫を触るのは平気なのだろう、釣り具屋で教わった通りに、釣り針に餌となる虫を括りつけながらエミリーが返す。


「ふむ、私もいつかやった事はある気がするのだが、あまりよく覚えていないな。まあ、何度かやれば思い出すかも知れないね」


 自分の分もエミリーに餌を付けさせると、サンデーは椅子に座って釣り糸を垂れ始めた。

 エミリーもそれに続いて竿を振るう。


「そう言えばサンデー様~。魚を釣ったりするのは不殺的にはどうなんです~?」


 エミリーがふとした疑問を口にした。


「ああ、よく誤解を受けるが、別に私は聖人君子ではないからね。糧とする分には殺生は厭わないとも」


 何でも無いようにサンデーが答える。


「そもそも、この旅でも普通に食事を摂ってきただろう? 完全に他者の命を奪わないと言うのであれば、それこそ霞を食べるしかあるまいよ」

「あ~確かに~。愚問でしたね~」


 納得したようにエミリーはうんうんと頷く。


「もちろん、ここで釣れた魚も美味しく頂くとも。有難くね」


 言いながら糸を巻き上げるサンデー。


「残念、餌だけ取られてしまったようだ」

「私もです~。難しいものですね~」

「次は少し遠くに飛ばしてみるとしよう」


 再びエミリーが餌を付け直す。

 しばし二人は慣れない釣りに興じるのだった。




(周囲に人の気配はねぇ……やるなら今か)


 桟橋を視界に収めるぎりぎりの位置を保ち、木陰に狂犬が潜んでいた。


 正面から向かえば、またあの正体不明の技に操られてしまうかも知れない。


 都合の良い事に、今サンデーは桟橋の先で湖面に向かっている。ちょうどこちらからは背後を取れる形だ。


 岸から桟橋の先までは20m程。狂犬の跳躍力ならば一足で届く。


 全身に気を充満させ、弓を引き絞るように筋肉を収縮させる。


 十分に熱が行き渡った事を確認し、狂犬と言う名の矢が放たれた。


 気配を殺しつつ、木陰から一息に桟橋の元へ飛び出し、瞬時に大きく跳躍する。


(くたばれクソアマァァァ!!)


 声に出して気付かれるような愚は犯さない。

 全体重をかけて必殺の一撃がサンデーの細い首筋へと吸い込まれていく。


 ──はずだった。


 バキンッ!


 何かを割り砕いたような感覚と共に、サンデーの身体の数㎝手前で、狂犬の拳が止まっていた。


(何だ、この感触は!?)


 驚愕に目を見張る狂犬の胴着の襟首に、何かが引っかかる感触が生じる。

 次の瞬間、狂犬の身体は弧を描き、大きく宙に放り出されていた。


「──クッソがあああ!! またかあああぁぁぁ……!!」


 飛ばされてから時間差で発された狂犬の絶叫が、尾を引きながら遥か湖面の彼方まで飛び去って行った。


「はて。今、何か針に引っ掛かけてしまったようだ。糸が切れてしまったよ」


 振り抜いた竿に違和感を感じたサンデーが、糸の先を確認する。


「本当ですね~。一瞬だったのでよく見えませんでしたが~、木の枝でも引っ掛けましたかね~?」


 細い目を凝らすエミリーだが、かなり遠くまで飛んで行ってしまったようだ。湖面に何かが落ちた音が聞こえない。


「まあ仕方がない。ここまでとしようか。釣れなかったのは残念だが、雰囲気は楽しめた」

「そうですね~。でもお腹がお魚を迎える準備をしていたので、夕ご飯は魚料理にしましょう~」

「ふふふ、君は本当に食いしん坊だね」

「サンデー様に言われたくありません~」


 じゃれ合いながら釣り道具を片付けると、二人はまだ見ぬグルメを目指して町へと下りて行った。


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