第47話 湖畔の町 5

「何者だ!!」


 サンデーが小屋の中へと入ると同時に、誰何すいかの声が上がった。


 小屋の玄関と対になるように、正面にはもう一つドアがあり、それを背にした男が発したものだった。


「通りすがりの観光客さ」


 羽扇を揺らし、いつも通りの返答をするサンデー。


「観光客だと……? 馬鹿にしているのか?」


 相手が女と知って、警戒を少しばかり緩める男。

 正面から見た顔は多くの皺が刻まれ、頭髪も綺麗に無い。かなりの高齢に見える。


「いやいや真面目な話さ。君がその寄生虫の研究をしているお陰で、この周辺での観光が満足に出来ないのでね。そこで、他所でやって貰えないかと直談判に来たと言う訳さ」

「何!? 貴様何故それを!」


 男はテーブルに散らばっていた紙束をかき集めると、小脇に抱えてサンデーを睨みつけた。


「騎士団の差し金か? 何にせよ、貴様の観光など知った事ではない。ここより他に研究に適した場所は無いのだからな。それに、知られたからには帰すこともできん」


 空いている左腕をサンデーへ向けて掲げて見せると、男は叫んだ。


「食らい尽くせぇ!!」


 すると男の左腕がぼこぼこと膨張しながら変形し、サンデーへ向かって曲がりくねりながら伸びていく。

 その姿はだんだんと明確になり、サンデーの目前に迫る頃には巨大なムカデの姿となっていた。


 キシャアアアアア!!


 一つ咆哮すると、巨大な顎を開いてサンデーへと飛び掛かる。


 その顎を、ぱしっと軽い音を立ててサンデーが受け止めた。


「……は?」


 男が間の抜けた声を発する。


 巨大ムカデは身をぐねぐねとよじらせるが、顎を掴まれたままの頭部は揺らぎもしない。


「待て待て待て! 鋼鉄をも噛み砕く大鋼蟲だぞ!? 何がどうなっている!?」


 切り札をあっさりと止められた男が取り乱す。


「ほほう、成程。君は蟲使いという訳だ」


 サンデーに正体を言い当てられ、男の背がびくりと震えた。


 蟲使いとは、自らの体内に特殊な「蟲」と呼ばれる使い魔を住み付かせて、様々な用途に使役する者の総称である。

 蟲の種類は多岐に渡り、男が今出してみせた巨大な戦闘用の蟲から、宿主の身体の傷を一瞬で治す再生蟲といった物がメジャーである。


 蟲使いが寄生虫の研究をしているというのは、容易に納得できる話であった。


「どうせ君も再生蟲の類を飼っているんだろう? では遠慮は要らないね」


 言うが早いか、サンデーはムカデの顎を持った手を軽く捻って見せた。


 すると、ムカデの頭がぐりんと一回転し、ぶちりと千切れてしまったではないか。


「うおおおお!?」


 男が驚愕すると同時に、ダメージを受けて危険を感じたムカデは宿主の身体へと戻って行く。

 頭がもげても即死しない異常な生命力は、サンデーの推測通り、再生蟲が共存しているからだろう。


 羽扇を胸元に仕舞ったサンデーは、両手でムカデの頭を持ち直した。


「さてさて、朝は軽めだったから、そろそろ小腹が空いていたところだ」


 言いながら、ばきばきとムカデの頭をへし折り、押し潰し始めた。

 鋼鉄並の甲殻を持つが故の大鋼蟲という名だが、サンデーの手の中で紙屑のごとく丸められていく。


「くそっ、ならばこれでどうだ! 火炎蟲よ!」


 紙束を白衣の下にしまい込んだ男は、次は右腕を突き出した。

 それが変形を始めると、芋虫のような頭が姿を現し、燃え盛る炎をサンデーへ向けて噴射した。


 その時にはサンデーの手の中の物は手のひらサイズの球形になっており、仕上げとばかりに両手の平でパン! と挟み込んだ。


「ちょうど良い、火を借りるよ」


 薄っぺらい円盤のようになったそれを、向かってくる炎へ向けてかざすサンデー。


 中位の火炎魔術にも匹敵するような業火が、サンデーの手元で二つに分かれて小屋の内壁を焦がしていった。


 サンデーはその火炎の渦の中で手の平を返し、円盤に均等に焼け目を付けていた。

 周囲になんとも言えない香ばしい匂いが漂う。


「もういいだろう」


 サンデーが納得いった様子で言うと、軽く円盤を扇いだ。


 途端にブワリと突風が巻き起こり、火炎蟲が噴射していた炎をかき消してしまった。

 小屋に燃え移りそうだった火の粉もまとめて掻き消える。


 それに恐れをなした火炎蟲は、瞬時に蟲使いの体内へと潜って行った。


「良い感じに煎餅が焼けたよ。礼を言おう」


 手に持った円盤……両面に程良く焦げ目がついてぱりっと仕上がった煎餅を、二つにぱきんと割って見せるサンデー。

 いつの間にか傍に来ていたエミリーへ半分を手渡し、続いて自らも齧りつく。


 しばし、ぱりぱりと煎餅を噛み割る音が小屋に響いた。


「なんだか海老せんみたいですね~。あれだけ圧縮したのに硬さはちょうどいいし、おこげが香ばしい~」

「うまく火が通ったからだろうかね。我ながら良い焼き加減だ」


 あまりの光景に言葉が出ない様子で、蟲使いは呆然としている。


「……ひ、ひぃぃ!!」


 やがて我を取り戻すと、背後のドアへと一目散に駆け寄っていった。


 ガチャガチャ!


 乱暴にノブを回すが、鍵を空けて置いたはずのドアが開かない。


「な、何故だ!! どうしてだ!?」


 蟲使いはパニックを起こし、開かないとわかっていながら尚もノブを引っ張り続ける。


「さて、美味しい煎餅をご馳走してくれたお礼をしなければね」


 その言葉にびくりとし、虫使いが振り返ると、食事の終わったサンデーが、テーブルの上に置いてあった試験管を手に取る所だった。


 試験管にはまだ体色の付いていない、小さく半透明な幼虫が蠢いている。


「これが君がばら撒いていた寄生虫か。魔力を吸って成長するとか言っていたが、こうしたらどうなるかな?」


 言いながら、片手の指先を歯で小さく噛み切ると、試験管の中へと血を一滴垂らして見せた。


 透明な溶液に、赤い筋がゆらりと溶けていく。


 すると、それを吸った幼虫達が即座に赤く染まり、見る見るうちにその体積を増していった。


 その急激な変化を見て、蟲使いは愕然とするしかない。彼が初めて見る反応だったのだ。


 そして間を置かずに試験官を割り砕いて溢れ出し、すでに幼虫とは言えない巨大な蛇のような体躯となって床へと飛び散った。


「な……何をした!? そんな反応はあり得ん……!! どんな魔力を吸わせればそんな事になる!?」


 驚愕のままに喚き散らす蟲使いだが、サンデーは微笑みながら声をかける。


「ふふ、そんな事を気にしていて良いのかね?」

「な……なんだと?」


 聞き返す蟲使いに、サンデーは床を示して見せた。


 そこには、蟲使いの方向へと移動せんと蠢く寄生虫の群れがあった。


「早速宿主を探している様子だよ。せっかくだから、自ら被験者となるのも面白いのではないかね?」


 サンデーが、再び取り出した羽扇の陰で微笑んでいる。


「馬鹿な……! よせ、来るな!!」


 後ずさる蟲使いだが、背後には開かないドアが立ち塞がる。


 ムカデや火炎蟲などの攻撃性の蟲を繰り出すが、寄生虫の数が勝り、ついには足から食いつかれてしまった。


「ひぃぃああああ!! 痛いぃいぃい!!」


 床に引き倒され、腹部に次々と噛み付かれて、中に潜り込まれていく激痛が蟲使いを間断なく襲う。

 内蔵をかき混ぜられるショックで意識が飛びそうになるが、再生蟲が回復を続けているせいで中途半端に無事を保ってしまっている。


 喰われては治り、齧られては癒える……


 蟲使いは、無限の生き地獄に捕らわれていた。


「う~ん、今回はちょっとグロすぎて発禁かもしれませんね~」


 エミリーですら、写真を撮るのを躊躇っている。


「ふふ、研究者たるもの自分が実験台になるくらいの気概は必要さ」


 蟲使いに近寄りながらサンデーが言ってみせる。


「とはいえ、このまま発狂でもされては証人にならないね。冷凍宅配と行こうか」


 サンデーの視線が、未だ喚き続ける蟲使いへ向けられた瞬間、その全身が四角い氷にかっちりと覆われてた。


 蟲使いは苦痛に歪んだ顔のまま、全身の蟲と共にその時間を止めた。


「それでは、昨晩頑張ったであろう彼に、お土産を持って行ってあげようか」


 そう言って、サンデーは柔らかく微笑んだ。

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