第84話 晩成

「……司教様。小さき門が全て潰されました」


 暗闇の底で、黒いローブの者が囁くように告げた。


「ふん、思ったよりはやる。だが……」


 報告を聞こうとも、司教は目前の魔方陣から目を離さない。


 魔方陣の周囲には、変わらず5人のローブ姿がある。

 連日、日夜を問わずに詠唱を続ける者達だ。


 それは突然起こった。 


 詠唱をしていた声が途絶えると共に、その姿が不意に中身を失ったように、ローブだけが地にぱさりと落ちた。


 そしてローブの間から、赤黒い液体がじわじわと滲み出てくる。

 ローブの内側にいた者達の肉体が溶け、液状と化した物だった。


 それらの液体はゆっくりと地を這い、魔方陣の内側へと集結して行く。

 魔方陣の縁に触れた途端、それぞれが一本の線となって、陣の内に図形を描き始めた。


 各々が立っていた場所を起点として、5本の直線が円の中を横切っていく。


 完成したのは、五つの頂点を持つ星型。


 五芒星と呼ばれる、本来ならば魔除けに扱われる事が多い図形だ。


 しかし、司教の立つ位置から魔方陣を見ると、その星型は逆さまに向いている。

 逆五芒星なのだ。


 その図形が完成した瞬間、激しく明滅を繰り返していた魔方陣は、ぴたりとその光を止めた。

 代わりに、図形が引かれている線に沿って、ぼこり、と地面が僅かに陥没していく。見えざる棒が、線の上をなぞっているかのように。


 ゆっくりと5本の線をなぞり終えた時、司教は杖を突きながら魔法陣へと歩み寄った。顔の見えざるフードの奥から、忍び笑いが響いている。


 魔方陣のすぐ傍、逆五芒星の頂点に立った司教は、ローブの袖から小さな箱を取り出した。


 司教の片方の手の平に乗る程度の大きさの小箱だ。

 戯れに握り締めたかの如く、各所が僅かに歪んでいた。

 外面には世にも不気味な、何にも例えがたい意匠が凝らされている。


 箱には蓋が無く、上から中を覗くと小さな宝石のような物が収められていた。

 黒いダイヤモンドのようにも見えるそれは、断面が数えきれない程精緻にカットされている。蝋燭の明かりを受けて、きらきらと赤く光を放った。


 司教が小箱を乗せた手を頭上に掲げると、箱が独りでに空中へ浮かぶ。

 そして、たった今描かれたばかりの逆五芒星の中心へと、吸い込まれるように浮遊していった。


「ふふふ……くはははは……」


 司教の見えざる口から笑いが溢れ出る。


 宙を進んでいた小箱が円の中心に至る。

 すると、逆五芒星の中心に目のような模様が浮かび上がった。


 その瞬間、魔方陣の外円から真っ黒な靄が噴き出し、陣の周りを壁でも作るかのように覆って行った。

 最早魔方陣の内側を覗く事は叶わない。


「ふははははは!! 成った!! 成ったぞ!!」


 背を反らして大声で笑いながら、両手を広げて見せる司教。


「おお……我らが悲願が今ここに……!」


 黒いローブの者が感動に打ち震えながら頭を垂れる。


「これで何人も止める事はできぬ。我らの勝ちだ!」


 司教は高らかに宣言すると、その場にあぐらをかいて座り込んだ。

 杖を肩にもたれかけさせ、両腕を組む。


「後は座して待つのみ……貴様らも好きにせよ」

「は……起動したとは言え、奴らに場を荒らされるのも興が削がれましょう。侵入したネズミ共の駆除をして参ります」

「うむ……」


 司教は既に他事に興味を失った様子で、目前を見詰めるのみだ。


 黒いローブの者が退去していくのを、見送りすらしなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る