第71話 深淵と光明

  ソルドニア率いる部隊がフロントを出立してから数日が経過していた。


 途中までは河沿いを進み何事も無く済んでいたが、山の麓への最短ルートを取るにはどうしても森を抜けざるを得ない。

 そして東の森に入った途端に、蛇人の群れが大挙して襲い掛かってきたのだ。


 しかしソルドニア自らが選出した、精鋭たる正騎士30名だ。

 数の差を物ともせずに、自らより大きな亜人を次々と仕留めていく。

 ガーグ族によれば、元は俊敏で狡猾な部族であると聞いている。しかし最早蟲に支配されるだけの哀れな動く屍だ。

 多少の対格差はあれど、正規の剣術を修めた正騎士とでは勝負になりはしない。


「常に互いの背を意識しなさい! 森の中では死角の多さを計算に入れて動くのです」


 指揮を執りながら、真上の枝から飛び降りてきた蛇人の喉を串刺しにするソルドニア。まるで上にも目が付いているようだ。


 部下達もそれに倣い、不意打ちを中心に仕掛ける蛇人を掃討していく。


 しかし、次第に優勢が僅かに崩れる。


 騎士の一人が、蛇人の首を跳ね飛ばした。

 その瞬間、絶命したはずの蛇人ががばっと騎士に抱き付いたではないか。

 ぎりぎりと凄まじい腕力で締め上げられる中、見上げれば確かに自分が切り落とした首の断面があり、どす黒い血が噴き出している。

 みしみしと骨が軋み声を上げ、騎士の顔が苦悶に歪む。


 斬!


 鋭い斬撃が奔り、蛇人の両腕が同時に斬り飛ばされた。


「ぐっ、がはっがはっ!」


 地面に投げ出されて呼吸を取り戻す騎士。

 その眼前には、剣に付いた血を振り払うソルドニアの姿があった。


「団長、ありがとうございます!」

「いいえ。まだ終わっていません。一度後方に下がり体勢を整えなさい」


 傷付いた騎士を下がらせると、ソルドニアは今斬り付けたばかりの蛇人の身体に向き直った。

 その身体はびくびくと痙攣しつつも、尚も立ち上がろうと藻掻いていた。


「成程、死体を操るというのはこういう事なのですね」


 アシュリスからの情報と照らし合わせ、胴を一閃するソルドニア。

 果たして、そこには真っ二つに切断された1m程の細長い白い虫が、蛇人の死体からはみ出していた。

 周囲の倒したと思われた蛇人達も、再び起き上がり始めている。


「各員! まずは四肢を落とし動きを封じよ! 後に腹部の虫を潰すのです!」


 新たに出現する蛇人の胴を両断しつつも、自分ほどの腕が無い部下達への指示も忘れない。


 相手はそもそも死体なのだ。通常の急所への攻撃は効果が無い。動きを封じて、操っている虫を断つしかない。


 ソルドニアの指揮下で次々と葬られる蛇人の群れ。

 その攻勢にも陰りが見え始めた頃、それは起こった。


 血を振りまいて倒れ伏す蛇人達の死体。それらからは止めどなくどす黒い血が溢れ出している。


 ソルドニアはそれを見て違和感を覚えた。


 情報によれば、蛇人の一族が死体となったのは数日前の話だ。本来なら死後硬直が始まり、血液も固まりつつあってもおかしくはない。

 虫が操作している間は、本人の魂はなくとも生体活動が続いているという事なのだろうか。


 その疑念を解消する術はなく、少なくなったとはいえ、未だ続く襲撃を退けながらソルドニアは前進する。

 そこへ、部下の慌てたような報告が飛ぶ。


「団長!! 蛇人達の死体、いえ血が! おかしな動きをしています!」


 その声に振り向き、打ち倒してきた者達を改めて見下ろす。

 先程疑念を持った、流れるどす黒い血。それらが、まるで蛇が鎌首をもたげるように宙へと立ち昇っている。


「これは一体……!」


 見る間にもそれらの血の筋は、そこかしこの死体から次々と伸び始め、やがて空へと吸い上げられるように高く舞い上がって行く。


 試しに近くにあった死体から昇る血の筋を切りつけてみたが、一瞬途切れるだけで再び元の筋へと戻って行った。


「総員集合! 周囲警戒!」


 円陣を組み、何事が起きても良いように備える騎士団。


 空へ立ち昇る血の筋は100、いや1000をも超えるのか。

 森の樹々の高さを超えて、森の至る所から噴出を始めていた。


 やがてそれらは森の上空で一つに集まって行き、巨大な球体を作りあげていく。


 魔術を使用しないソルドニアでも感じられる程、濃密な魔力が周囲に立ち込めて行くのが分かる。


 ふと、その輪郭が崩れたような感覚を覚える。

 円形の下方にあたる部分から、雫のように、黒いものがぼたりと滴ったように見えた。


 いや、見間違いではない。続けてぼたぼたと、ボトルから注がれるワインのようにゆっくりと何かが溢れ出している。


「隊長! あれを! 中心部を!」


 黒い球体の中央を指して叫ぶ騎士の声を聞き、その光景を目にしたソルドニアは、持っていた剣を素早く鞘に戻した。


 球体の真ん中に、巨大な瞳が浮かんでいる。まるで壁に開いた穴からこちらを覗いているような、一つだけの真っ赤に染まった目が。


 ソルドニアは開いた右手で腰の後ろに差していた短剣を引き抜くと、上段に構えた。


 それは、短剣と言うにはやや長い、凝った装飾が細かく彫られた美麗な刀身をしていた。儀礼用の長剣を短くしたような印象を受ける。


「解き放て。其の光もて、我が眼前の闇を打ち払わん」


「それ」を起動するためのコマンドワードを唱えるソルドニア。その詠唱に応え、手にした短剣から膨大な光が溢れ始める。


「穿て! 我らより陽光の加護を奪わんとする、不敬なる存在を打ち倒せ!」


 続く詠唱により、短剣から溢れる光が更に強まり、迸った。

 束から噴き出すようにして、長大な光の剣が現出する。

 その長さは空の球体よりも遥か上空まで届いていた。


 その光に反応するように、球体から、ずるりと太く黒い腕のような物が這い出して来る。


「──滅せよ!」


 ソルドニアは構わず光の大剣を振り下ろした。


 断!!


 迸る閃光を受け止めようとした黒い腕は、眩い光の奔流に飲み込まれ、じゅわりと蒸発するように、あっけなく球体ごと霧散した。

 そしてその勢いを殺さぬまま、光の剣は前方の森を、山の麓までの数㎞に渡り切り裂いていった。


 あのまま静観していれば、手に負えない化け物が現れる可能性が高いと判断し、ソルドニアは先手必勝を選択したのだ。


 そしてどうやらそれは正解だったようだ。球体は跡形もなく消滅し、跡にはじゅわじゅわと煙を上げる抉れた地面だけが残り、真っ直ぐに山が見通せる道が出来上がった。


「団長、それが噂に聞く神器ですか」


 興奮した様子の騎士が尋ねて来るのを、軽く頷くのみで返す。

 今の一撃ですら消耗が激しかったのだ。肩で息をしている。


 これこそが出立前にアシュリスから託された物。イチノ王国成立以前から秘匿されてきた、神代からのこるとされる伝説級の武具。それが神器である。

 正式な銘は失われている為、眩い光を帯びる特性を表して「光輝」と呼ばれている。邪悪なる存在を滅する事に特化した神器だと伝わっていた。


 世界各国でもいくつかの存在が認められる神器だが、その特異性は周囲の和を乱し、争いを生むとされ、それぞれの国で厳重に保管されている。

 しかし今回は島の存亡に関わる重い事態と見られ、特別に使用を許可されたのだ。作戦決行前に、アシュリス自ら転移の術を使って国王に謁見し、受け取ってきた物だった。

 そしてこの「光輝」と呼ばれる神器は、誰にでも扱える代物ではない。選ばれた資質ある者しか発動ができないのだ。

 曰く、清廉潔白にして世のために粉骨を惜しまない者。

 ソルドニアが30代という異例の若さで騎士団長を任じられた、剣技以外の理由がここにある。


「さあ、道は開けました。後は正面から乗り込むだけです」


 流れる汗を拭いながら、光の治まった「光輝」を鞘へと戻すと、ソルドニアは前方を見据えて号令を発した。


「前進!!」

「「応!!」」


 ソルドニアの偉業を目にし、騎士達は士気を高揚させながらその後に続いて行った。


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