第67話 画策する者

 黒いローブを羽織った男は、必死の形相で飛行の魔術を発動させていた。

 森の樹々のぎりぎりを掠めるような低空飛行で、山の裾野を目指して進む。


「何だあれは……あり得ん、あり得んぞ……!」


 蛇人に黒狼を貸し与え、他部族にけしかけたまでは良かった。

 しかし黒狼をああも容易く打ち破る者が存在しようとは。


 確かに彼自身も不殺の英雄を用心するように司教へ進言したが、あれ程の規格外な代物などと思ってもいなかった。


 黒狼が一撃で叩きのめされ、蛇人の長が捕らわれた時点で彼は計画を破棄した。


 あれの相手は彼の手には余る。急ぎ司教の元へ戻り、判断を仰がねば。


 その一心で限界まで速度を上げ、大陸中央に位置する山の麓へと降りて行く。

 元は火山であったその山の膝元には、溶岩が作り出した無数の洞穴が口を開けている。彼はそのうちの一つへと入って行った。


 複雑に入り組む洞穴内だが、所々で崩落して繋がっている。順路さえ覚えていれば、行き付く先は一つとなっていた。

 歩き慣れた闇の中を迷いなく進み、男は最奥への道を急いだ。




「──司教様!」


 深淵なる闇の底。彼らの本拠地と言える場所に辿り着いた男は、蝋燭の明かりに照らされた一角へと飛び込んだ。


「騒々しい……戻るのが早いな。何事か」


 儀式への集中を乱され、司教の声に軽い苛立ちが含まれている。


「邪魔立てして申し訳ありません。しかし計画進行中に不殺と遭遇しまして、中断せざるを得なくなりました」

「なんだと?」


 司教が男を睨む。


「よくその状態でおめおめと逃げ帰ってきたものだな」

「はっ、彼の者の力は私の手に負えません。司教様のお智慧を賜りたく……」


 敵前逃亡について責められたと思い、男が言い訳がましく続けようとした言葉を、司教の手が止めた。


「貴様、黒狼を奪われたであろう」

「は……不殺めに一撃で打ち倒されまして……」

「そうではない。その腕輪を見よ」


 司教は男の腕にはめられた黒水晶の腕輪を指差した。彼が男に貸し与えたものだ。

 見れば、その腕輪に一筋のひび割れが出来ていた。


「な……これは!」

「黒狼の支配が断ち切られたのだ。そこに漬け込み、追尾の術を仕込まれた上で、貴様はここまで戻ってきてしまったと言う訳だ!」


 はっと息を呑むローブの男。その瞬間、もう用は成したとばかりに、腕輪は粉々に砕け散った。


「お、お許しを、司教様! この失態は必ず……!」

「もう遅い! 此処を知られた以上は計画を前倒しせねばならん。貴様はせいぜいその礎となれ! 誰か!」


 司教が呼ばわると、闇の中から男と同じローブを着た者達が数人現れた。


「ひぃっ! お許しを、お許しを!!」


 土下座をしていた男を無理矢理に担ぎ上げると、喚き続ける男を闇の奥へ連れ去って行った。


「小さき門の準備は整っていたな?」


 先程の者達と同時に現れ、一人残っていた者に司教が確認をする。


「はい。東の森林にもまだ蛇人の死体が残っているので、材料として使えましょう」

「うむ。妖虫の実験としては上々であった。多少の足止めにはなろう」


 多少機嫌が戻ったのか、声から険が抜けている。


「良いか。最早我らの存在が明るみになるのは必定。なれば遠慮は要らぬ。持てる戦力全てを吐き出せ。島の連中を滅ぼすつもりで派手にやれ。今までの布石は全てこの為よ。少しでもこちらから目を逸らすのだ」


 言いながら杖を床に打ち付ける。


「あと僅か。僅かの刻を稼げば良いのだ。それさえ叶うならば、他の全てを失っても構わぬと知れ」

「ははっ……」


 司教の言葉を胸に刻み付け、ローブ姿が闇の中へ溶け去る。彼らの計画を最終段階へと推し進める為に。


「不殺だろうが、領主だろうが……邪魔立ては絶対に許さんぞ」


 確固たる意志を持って宣言すると、司教は再び詠唱を響かせ始めた。


 視界にあるのは完成間近の魔方陣。

 彼の──彼らの宿願全てを背負うそれは、音もなく明滅を繰り返すのみだった。

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