第66話 森の民の信仰

「カンコウキャク……だと?」


 白い蛇人が、聞き慣れない単語に僅かに首を傾げる。


「旅人という事か?」

「その認識で良いとも。ああ、今はこの集落の客、とも言えるね」


 律儀に肯定するサンデーに、蛇人は見下すような笑みを浮かべた。


「ならば敵か。時間の無駄であったな。やれ!」


 蛇人が叫ぶと、黒い狼が無音で高々と跳躍する。

 今まで蹂躙していたガーグ族の屍を飛び越え、サンデーへと鋭い爪を振り下ろした。


「ふむ。またお手……というのもいまいち芸が無いな」


 ぽん、と一瞬その爪に触れたサンデーだが、瞬時に考えを切り替えた。

 人の腕程もある太く鋭いその爪を軽く握ると、突進の勢いのままに後方の地面へと叩き付ける。


 ビタァァン!!


 地面にヒビが入る程の衝撃をもって、背中から激突する狼。

 口から悲鳴の代わりに僅かな炎が漏れる。


「なぁっ……!?」


 蛇人の目が驚愕に見開かれる。


「ふむ、吐息の代わりに火が漏れるのか。難儀な事だ。……ああ、呼吸が必要ないタイプの子なのだね。ならばこうしようか」


 言いながらサンデーは巨狼の襟首を掴んで引きずっていく。その先には、先程の蛇人の魔術による溶けた地面が一部残っていた。

 サンデーはそこまで巨狼を連れて来ると、その鼻先を無造作に溶けた地面へと突っ込んだ。


「……!……!?」


 ばたばたと四肢を振り回す巨狼だが、サンデーの手はびくともしない。逆に顔面を更にぐりぐりと押し付けられていく。


「こんなもので良いかな?」


 巨狼の顔を引き起こし、ねばねばした泥に塗れたその顔を確認し、サンデーは満足そうに頷いた。

 完全に顔面を魔術による泥に覆われ、口は開かず、目から噴き出していた火も途絶え、恐ろしかった風貌は見る影もない。


「なんという……こんな者がいるなど聞いておらぬぞ!」


 必勝の機を狙って来たのにも関わらず、頼みの綱であった巨狼をあっさりとねじ伏せられ、蛇人は後退を始めた。


「ああ、君とは後で話をしたい。少し待っていてくれ給え」


 サンデーがそちらを見やると、蛇人の手にしていた杖が太い蛇と化して、持ち主にぐるぐると巻き付いて行った。


「な、何だこれは! どうなっている!?」


 完全に身動きが取れなくなり、パニックに陥る蛇人。

 蛇人が蛇に巻き付かれている様は、あまりにも皮肉だった。


「大人しくしていれば害は無い。それと、この子は少し借りるよ」


 未だに衝撃から立ち直れない巨狼の尻尾を掴み、ずるずると引きずりながら、集落の外れへと歩みを進めるサンデー。


 そうしている間に、他の集落からの援軍が到着したのだろう。森へ残っていた蛇人の兵を掃討しつつ、広場へと集結しだした。

 その戦士達の目に、体長20mを超す獣を事もなげに運ぶサンデーの姿が飛び込む。

 一瞬ざわめきが起こるが、族長が一喝し、各リーダーに戦果を報告させながら、部下達に仲間の亡骸を整理させ始めた。


「さて、この辺りかな」


 そうしている間にもサンデーは何やら当たりを付けた場所へと歩みを進めた。楽し気な笑みが浮かんでいる。


「君は頑丈そうだし、少し肉体労働をして貰おうか」


 広場の片隅へ辿り着いたサンデーは、そう言いながら、掴んでいた尻尾を振り上げて、巨狼の身体を空高く放り投げた。


 目を塞がれ状況が飲み込めない巨狼は、空中でじたばたと暴れていたが、不意に傍に出現した黒く揺らめく影のような二本の手に、その身体を鷲掴みにされた。

 片手が巨狼の半身を覆う程の巨大な手である。手首から先だけが、宙よりにゅっと生えていた。


 それぞれが巨狼の上半身と下半身を掴み、雑巾でも絞るようにぎゅうっとその身体をねじり始める。


「……!!……!?」


 声も上げられず、成す術もなく細く細く搾り上げられる巨狼。


 その頃にはガーグ族達も戦の後片付けを終え、サンデーの周りへ遠巻きに集まってきていた。捕虜と思われる蛇人の兵達を連れて、一ヵ所へとまとめている。

 族長も事後処理を部下に任せ、白い蛇人を引き立てながらサンデーの元へとやってきた。

 蛇人も自体が飲み込めず、神妙に縛に付いたままだ。


「魔女殿。一体何をする気なのだ?」

「ふふ、まあお楽しみだ」


 族長が皆の疑問を代表して尋ねるが、サンデーは笑うだけだ。


 十分硬く搾り上げたと見たのだろう。黒い手の動きが変わった。

 一本の柱のようになった巨狼を、宙で縦に方向を変える。

 すると──


 ズドォン!!


 顔面から大地へと猛烈な勢いで突き立てたのだ。

 周囲にもその衝撃が伝わり、ガーグ族の足がふらついた。

 その一撃で地面に穴が開き、巨狼の身体は半分程が地に埋まっていた。

 巨狼が地面に突き刺さったのを確認すると、次いで一対の手は巨狼の身体を両側から合掌するように挟み込んだ。

 そしてそのまま手の平を擦り合わせるようにして、巨狼の身体を回転させ始める。


 巨狼を錐に見立てて、大地に穴を穿っているのだ。


「よしよし、その調子だよ」


 しばしごりごりと地層を抉る掘削音が広場に響くのを、皆が固唾を飲んで見守る時が過ぎる。


 巨狼を挟む黒い手は物理干渉を受けないらしく、地面に触れてもその動きは止まずに、地中へ溶け込むように巨狼諸共地の底へと姿を消していった。


 掘削音が遥か地中から響くようになった頃、音の質が変わった。


 ゴゴゴゴ……ゴボゴボ……


 地面が僅かに振動し、地の奥から何かが押し寄せる。


「まさか……!!」


 族長がある仮定を閃き声を上げた。


 それを合図としたように、穴から巨狼の身体が勢いよく飛び出した。

 いや、正確には噴き出してきた、だろうか。


 溢れ出した大量の水と共に空中に巻き上げられたのだ。


「「水だ!!」」


 ガーグ族から一斉に歓喜の声が上がった。

 事ここに至って、サンデーの所業が理解できたのだ。


「なんと……地下の水源を掘り当てたのか……」


 目の前で起きている事であるが、まだ信じられないといった様子の族長。横の蛇人も唖然としている。


「これだけの大森林だ。水源があの湖だけではないと思ってね。案の定、別水系の地下水脈があったという訳さ」

「別の……と言う事は」

「そう。毒の心配は無い。当座の水には困るまいよ」


 噴水のように止まる事なく沸き上がる水を差して、サンデーは微笑んだ。


「一宿一飯の恩とも言うしね。それに、君達の樹木酒はとても美味だった。途絶えさせるには惜しい。私なりの礼と思ってくれ給え」

「魔女殿……いや」


 族長が言葉を切り、居住まいを正した。


「傾聴せよ!」


 その一喝で、浮かれていたガーグ族がしんと静まり返り、族長とサンデーへと向き直った。


「慈悲深き女神よ! 此度の湖の怪異の解決に始まり、魔狼の撃退、並びに水源の確保に多大なる感謝を!」

「「感謝を!!」」


 背後の一族が同時に復唱する。


「されば我ら西の森の民、貴方様の恩義に報い、信仰を捧げる事をここに誓います。我らが忠義をお受け取り下さい!」


 族長が宣言し、丁寧に傅いて見せる。その決定に異を唱える者は無く、一族が皆それに習って一斉に膝を付き、頭を垂れた。

 数百の群衆が乱れなく礼を示す様は、まさに圧巻であった。


「ふふ、大袈裟だね。もっと気楽に行こうじゃないか」


 羽扇の裏で笑みを浮かべながら、下げられた族長の顔を撫でるサンデー。


「今までと同じように接してくれて構わないよ。私はただの観光客なのだから」

「なんと寛大なお言葉……」


 サンデーは感動に震える族長を横目に歩き出すと、仰向けに地に放り出されたまま、びくびくと震えている巨狼へと近寄った。

 水によって洗い流されたのか、顔面の泥は綺麗に落ちている。しかし口や目から漏れる火の勢いは明らかに衰えていた。


「さてさて、ご苦労様だったね」


 あれだけの摩擦を加えられたと言うのに、その毛皮や顔面に目立った損傷は無い。サンデーが一部指摘したように、真っ当な生命体ではないのだろう。恐らく魔力で構成された使い魔のような存在だと思われた。ガーグ族の攻撃が通じなかったのも頷ける。

 ただし外面は無事でも、長時間掘削道具として扱われ、精神的には限界を超えていたのだろう。起き上がる気力すら残っていない様子で、横たわったまま時折痙攣している。 


「お手柄だったよ。ご褒美をあげよう」


 サンデーは首の辺りを撫でさすりながら、陽炎のように揺らめく体毛をかき分けた。巨狼は抵抗もせず成すがままになっている。

 果たしてその首元には、黒い水晶でできた首輪がはめられていた。

 サンデーがそれに触れると、音もなくひびが入り、瞬時に砂のようにさらさらと崩れて消えて行った。


「これで君を縛る物は無くなったよ。何かしたい事でもあるかね?」


 サンデーは巨狼の顎をくすぐるように撫でながら尋ねる。

 するち巨狼は腹を出したまま四肢を投げ出して、はっはっと舌を出して見せた。

 完全に犬が服従するポーズである。


「ふむ、成程。ではしばらく休むと良いさ」


 サンデーが応えると、巨狼の身体はサンデーの足が触れている自らの影へと、ずぶずぶと沈んで消えて行った。

 その巨体が完全に飲み込まれる瞬間、一度だけ水滴のように影が撥ねた。


「女神よ、彼の者はどうするのですか?」


 巨狼については始末が付いたと判断したのだろう。族長が未だ放心している蛇人の長を指差した。


「そうそう、まだ彼がいたんだったね。話を聞こうじゃないか」


 項垂れている蛇人の前に立ち、サンデーは笑いかけた。


「やあ。お話をする元気は残っているかね?」

「あ……あ……!」


 事態に着いて行けず、混乱したままの蛇人はうわ言をあげるばかりだ。


「こちらから質問をするので、答えられる物に答えてくれれば良い。まずは先程の子。あれは君が主人ではないね?」


 蛇人がはっとして顔を上げる。


「我が神とやらから借りたのだろう? それはどんな者だったのだね?」

「あ……あ……ローブ……あああ、ごふ! げふがはっ!」


 何事かを答えようとした矢先、蛇人は激しく咳き込み、どす黒い血の塊を吐いた。


「ぐ、ぐ……ぐぶあ……」


 そのまま立て続けに大量の血を吐き出すと、糸が切れたように膝から崩れ落ち、地面へと横たわった。


「ああ、これはいけないな」


 サンデーは蛇人の側へしゃがむと、その胸元へと手を伸ばした。

 するとそのしなやかな指がずるりと蛇人の身体の中へと埋まって行く。物理的にでは無く、溶け込むようにするすると沈んでいった。


「ぐ……ぐぶふっ」


 血を吐き続ける蛇人の胸からサンデーが手を引き抜くと、1m程の長細い蛇のような物体が握られていた。

 その身体には鱗はなく、白くぶよぶよとしたワームを思わせる姿で、サンデーの手の中でぐねぐねと動いている。かつて蟲使いの研究所で見た寄生虫に酷似していた。

 蛇人の異変はこの虫のようなものに引き起こされたものらしい。サンデーに取り除かれた後は、重態であるがひとまずの症状は落ち着いたようで、荒い息を吐いている。

 

「ひとまず間に合ったが、情報を洩らそうとすれば命を奪うか。なかなか周到な者らしい」

「……東の者達を扇動する者がいたというのですな」


 族長が事の深刻さを認識して唸る。その間にもサンデーは、うねる虫を二つ折りにし、それから輪っかを作るように結んで動きを封じていた。釣りの際に覚えたチチワという結び目だ。

 そこへ、捕虜を見張っていた者から叫び声が上がる。


「族長! 捕虜が! 次々と血を吐いて倒れて行きます!」

「まさか一族残らず始末するのか!?」


 報告を受けてそちらへ向かうと、数十名いた捕虜の蛇人は、白い蛇人と同様に血反吐を振りまいて地に転がっていた。


「ふむ。間に合わなかったか。所で君達は仲間を葬る際はどうしているのだね?」


 サンデーが何事かを思案しながら族長へ尋ねる。


「そのまま埋めて大地へ還すのみですが……」

「そうか。しかし今回ばかりは火葬にすることを勧めるよ。せめて蛇人だけでもね。それもできれば今すぐに」


 そう勧告するサンデーは口調こそ普段通りの穏やかさだが、族長は意図を察した。


「そうしましょう。──聞いていたな? すぐに集めて燃やせ!」


 族長の命を受けて、広場の一角に死体が積み上げられる。全てを集める手間すら惜しみ、すでに中心部に簡易な櫓を組んで松明を投げ入れ始めていた。


 辺りに肉が焼け、焦げる臭いが充満していく。やがて死体の山は、巨大な炎の柱となって燃え上がった。

 そうしている間にも、森の中で討ち取った敵兵の死体が続々と運び込まれてくる。


 黒い煙が上がる中、異変は起こった。

 炎の中で燃え尽きていくはずの蛇人の死体が痙攣を始め、やがて激しく手足を振り回して藻掻きだしたのだ。


「なんだ!?」


 族長や周りで見守っていた者で全てがそれを目撃した。

 ガーグ族の死体には何事も無い。ただ炭となって崩れていくだけだった。

 しかし蛇人の死体は、動くたびに身体が崩れて行きながらも、まるで生きながら焼かれているかのように、業火の中で踊り狂っている。

 やがてほとんどの死体は燃え尽き動きを止めて行ったが、一体だけが執念深く炎の外へと飛び出してきた。


 戦士達は身構えるが、燃え盛る死体は最後の足掻きだったようで、地面に膝を付いて座るような形で動きを止めた。そしてその直後、見る者に戦慄を与える光景が訪れた。


 未だに燃え続け煙を上げる死体。その口の中から、1mはあるかと思われる蛇のような物体がずるりと這い出してきたのだ。先程サンデーが白い蛇人から摘出した物と同じ虫なのだろう。出て来るなり周囲の炎に焼かれ苦しみ始め、敢え無く黒炭へと化していった。


「焼かれながらも動き回るとは……」

「恐らくは、焼くのが遅ければ生ける死体の兵の出来上がりだったのだろう」


 族長の呟きに、サンデーが応える。


「死した後まで利用しようとは、何と言う冒涜か……!」


 敵対していたとはいえ、同じ森の民として憤りを感じるのだろう。族長が硬く拳を握り締める。


「その企みがここで潰れた以上、また次の手に出るのだろう。君達も十分気を付け給えよ」


 それだけを言い、サンデーはエミリーの様子を見に戻るべく踵を返した。


「なかなか手の込んだ事をする。いやはや、今後が楽しみな事だね」


 羽扇を扇ぐサンデーは、本当に楽しくて堪らないとばかりに、無邪気な笑みを満面に浮かべていた。

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