私が知っていて欲しいこと。

蛍さん

第1話

私が迎えられたころ、あなたは暇を持て余していたように思えた。


あなたは一日中家にいて、しかめっ面で新聞を読んでいからだ。

幼かった私はこちらを見て欲しくて、おもちゃを持っていき、靴下を噛んだ。


あなたは少し口調を荒めながら私を抱き上げ、骨ばった手で私の頭を撫でた。


あなたはこちらを向いてはくれなかったけれど、指先から伝わる熱が


とても好きだった。



私が知ってほしいのは、私があなたの温かさが大好きだってこと。





時々、家にやってくる人達がいた。


私はその人が好きだった。

おやつもくれるし、私を目一杯可愛がってくれたから。


でも、彼はそうじゃなかったのかもしれない。


いつもその人が来る前はそわそわしていたのに、来た後はそんなことなかったみたいにすまし顔をする。


私には、表情に出ない感情は読み取れないから、あなたの思っていることは分からない。


あなたの表情はいつも嬉しそうで、あなたの吐く言葉はいつも厳しかった。


もしそれが、本心ならば良い。

ただ、あなたが自分の吐く言葉に苦しんでいるならば、ちょっとだけ、あなたに寄り添いたいと思う。


私が知って欲しいのは、私があなたのことを心配しているってこと。






あなたは私に、沢山の言葉をくれた。


ご飯も、おもちゃも、野菜も、靴も、好きも、笑顔も、全部あなたが教えてくれた。


だけど、カナシイだけは今も分からない。


「悲しいんだ。

いつか、お前が…なって…悲しい」


そういって、あなたは私の頭を撫でた。


カナシイって何だろう。


私のおもちゃがいつの間にか無くなってしまうことに似てるのかな。


あなたは、カナシイってのは海の色とか空の色を映したものだって言ってたから、違うものなのかもしれない。


でもきっと、カナシイって良くないことなんだと思う。


あなたがカナシイって言う時、寂しそうな顔をしているから。


私が知っていて欲しいのは、あなたがカナシイって言わないことを、いつも願ってるってこと。



私があなたに会って初めの頃は、私はよく、あなたの持つリードを引っ張った。

あなたは少し面倒くさそうに、私に合わせて小走りになってくれた。


私はそれが大好きで、調子に乗って走り回っていたものだった。


だけど少し経つと、あなたは走ってくれなくなった。

あなたはいつも、少し申し訳なさそうな顔をした。


初めは不思議に思いながらあなたに歩幅を合わせたけれど、今はよくわかる。


もう、私の体は思った通りに動かないから。



私が知って欲しいことは、あなたが…





ああ、これがカナシイってことかって今は少しだけわかる。


私の瞼には、空の色みたいな青色が浮かんでるから。


自分の吐息が、少しずれていくのが分かる。


私がカナシイのは、多分、私がもうこの世界にいる資格がなくなってしまうからじゃない。


私がいなくなって、あなたが一人になってしまうからだ。


あなたがカナシイのは、もしかしたら一緒なのかもしれない。


そうしたら、もう少しだけ、生きたいなあと思うのだけど、もう、あなたの顔もよく見れない。


ただ、あなたの撫でるその温もりだけが、私がまだここにいる証拠だ。



最後に私が知って欲しいのは、私はいつまでもあなたと一緒にいられることを、願ってたってこと。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

私が知っていて欲しいこと。 蛍さん @tyawan-keisan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ