幻想少女の恋煩い

本条真司

赤い桜

「…またここにいたか」



少年は腕を組みながら少女に声をかける

少女は桜の木に触れて、花を見上げていた



「どこにいたっていいでしょ。貴方には関係ない」


「関係ないのであれば話しかけぬ。俺にはお前が必要だ、と何度か言ったはずだ」


「それこそ何度も言ったはず。私は精霊だから、人間の貴方との付き合いはゼロに等しいほど短いと。貴方との出会いは、これまで生きてきた中で1%にも満たない」



少女はそういって少年を見た

少年は眉をひそめたが、すぐに真顔に戻る



「俺は人間ではないと何度言えばいい?」


「この世界には精霊と人間しかいないって何回言ったらいい?」



まさしく平行線

会話が進まないことこの上ない

少年もそれがわかっているからこそ、ここに来ている



「…まぁいい。朗報と悲報があるが、どちらから聞く?」


「…?じゃあ悲報の方から」


「もうあと一週間もすればお前は眠りにつくのだったな」


「…それが?」



早く言え、と少女は目で言う



「明後日、ここで花見が行われる。精々気をつけることだ」


「めんどくさ…。私がキレイなのは当たり前なのに、なんで人間はわざわざ見に来るの?」


「さてな。人の思考など読めぬ。そして朗報の方を伝えよう」


「…」


「俺はこの地を離れる。これで最後だ、卯月うづき


「…え?」



卯月と呼ばれた少女は、桜を見上げるのをやめて少年を見た

その目は真剣なもの。嘘は一切ついていない



「お前と出会ってからは、毎日楽しく過ごさせてもらった。が、お前にとっては邪魔だったことだろう。それも今日で終わり、ということだ」



少年はあくまでも冷静に言う

灰色の和服が少し風で揺れ、黒い短髪をなびかせる



「…そう。寂しくなる」


「思ってもいないことを言うな。気が紛れる。ともかく、お前が寝る前に一応伝えてやろうと思っただけだ。ではな」



少年はその場を離れるため、桜の木に背を向けて歩き出した

少女は声をかけようとした。が、思ったように声が出ず、追いかけようにも追いかけられなかった

少女はこの桜の木の精霊。この場から離れることは叶わない



「…どこいくの、一樹いつき…。私も連れてってよ…」



細くか弱い声が、風によってかき消された




少女は木の下に座り、空を見上げた

少年が彼女の元にきたのは5年前。ひたすらこの場所で、周囲の桜を見守っていた彼女にはなしかけてきたのが少年・一樹だった

それからというもの、毎年桜が咲く季節になれば彼がきて話をしていった

街のことや家族のこと、流行りや歌

数多のことを、訊ねもしないのに教えてきたのだ



「…この気持ちは、なに?」



精霊とはいえ感情は人間に似る

姿さえも人間に近く、髪色や目の色が桜色であること以外は見分けがつかない

それ故に感情の正体がわからない



「寂しいの…?私が、あんなのを失うのが嫌…?」



少女は知る。過去数百年知り得なかった感情を



「…あ…。これが、恋なんだ…」



自覚したと同時に、涙が溢れる

その涙は地に落ちた。その瞬間、雨が降る

少女は濡れることがない。しかし少年は濡れていた

濡れることを覚悟で、少女に会いに来ていたのだ



「…戻ってきてよ、一樹…。私と、ここで…」



少女はそこから丸1日、涙を流した

声を上げ、美しいその顔を歪ませて






少年は歩いていた

急に降り出した雨に違和感を覚えながらも、指を鳴らした

すると少年の上に、魔法文字が描かれた魔法陣が現れ、雨を防ぐ

少女と会うときには使わなかった魔術だ



「これで最後、か。卯月は喜んでいるだろうが、俺はそうもいかぬな」



心なしか歩調がいつもより遅い

いつもであればもう自宅に到着しているところだが、今日はまだ着かない

それどころか、まだ半分も到達していない



「死にたくないものだな。明後日には俺は亡きものというわけだ」



少年は街の人たちに死神と呼ばれた

少年が泣けば大雨が降り川が洪水を起こし、怒れば大地が震え山を崩す

そして少年が死を願えば、どのような手も通じずすぐさまその者が死ぬ

それ故の、【死神】



「…転生でもすればよいのだが、そのような魔術は持ち合わせがないな」



明後日の花見というのは、少年を死刑にしたあとの宴なのだ

死神を排除し、世に平穏をもたらしたことへの祝い

少女に真実を話さなかったのは、少年の気まぐれだ



「…最後に話せてよかった。これで心置きなく死ねる、というわけだ」



そして少女がこのことを知るのは、少年の死後だ




翌々日

広場に集められた街の人は、磔にされた少年に石を投げる

産み落とした母親も、生を授けた父親でさえも、少年を恨んでいるのだ



(難儀なものだな、この世界も。だが…転生魔術は開発できた。未完成故に、おそらく記憶に欠損があるだろう。魔術も失うかもしれぬ。だがそれでも、少しばかりの抵抗をさせてもらうとしよう)



ふっ、と笑った少年は、刀を持つ国長に目を向けた



「…何がおかしい。夜桜一樹よ」


「はて、笑みというのは面白いといったときだけに出るものではない。嘲るときにも出るものだぞ、国長?」



わざと煽るように少年は言う

転生のための魔術の効果を知るために

失敗であるならまた一興、という思考だ



「…さらばだ。二度と会うことはあるまい」


「こちらから会おうとしたことはないのだがな。まぁいい、お前たちに…褒美をくれてやろう」



少年の背を袈裟斬りした瞬間、地面が揺れ大雨が降り、空が唸り出した

川が溢れ田畑を破壊し、下流へと流す

家屋には被害が出ていないものの、食料は全滅していることだろう

これが、日本列島全域で発生したのだ



「なん…!」


「逃げろー!地下に逃げるんだー!」



これを予測し地下を掘り、避難場所を作っていたものの声を皮切りに、人々が逃げ惑う

それを最後に少年は息を引き取った





災厄が収まったのを見計らい、被害を確認する人々

彼らは喜びを胸に、この後の花見を待ち望んでいた



数時間後、桜のある丘で執り行われた酒の席では、少年の話が沸き起こった



「ようやく殺せたな…」


「おかげでこれからは災厄に見舞われなくて済む…」


(災厄…?なんのこと?)



それを密かに桜の中から聞いていた少女は、体を出現させて酒の席に潜んだ

もう酒が回った彼らが気づくことはない



「名前なんだっけ?あの坊主」


「たしか、夜桜一樹じゃなかったか?ようやく死んでくれて清々するわ」


(一樹が…死んだ…?なんで…?いなくなるって、死ぬってことなの…?)


「殺した瞬間はすごい雨に雷だったけど、最後の抵抗にしちゃ大したことないな!」


(この人たちが…?そんな…そんなことって…!)



少女は思う

これらがいなければ、少年はまだ自分と話していたかもしれないと

そして、一昨日彼が言っていた花見というのが、少年が死んだ祝いだと気づけなかった自分を責めた


そんな彼女の手元に落ちてきたのは、一本の刀

桜色に輝く、一閃



「…ごめんね、一樹。助けられなくて…」


「あん?嬢ちゃんこんなとこにいたらだめだ、さっさと家に戻んな。それとも俺達と遊びたいかい?」


「貴方たちのせいで…私は…私は!」



少女は刀を振るった

飛び散る鮮血をその桜色の着物に浴びても気にしない

空を覆う桜が一部、赤く染まった



「な…!と、とらえろ!」


「私は一人になった!まだ一樹といたかったのに!少ない人生を注ぎ込んでくれた彼を、愛していたのに!」



叫ぶたびに鮮血が舞う

それを着物に受け、桜が赤に染まる



「ユルサナイ」



少女の目が紅く輝いた

刹那、その場の人間を全て切り裂いた少女の着物は、返り血で真っ赤に染まっていた

見上げると、桜の花びらたちも赤くなっている



「まだだ…!まだ、終わってない…!」



少女は歩き出した

一歩ごとに地面を踏みしめ、赤い目を光らせる

街につく頃には、辺りはもう真っ暗になっていた

少女の双眸が描く軌跡が見える



「…一樹」



家に入り、悲鳴を上げる女性を斬る

その女性が抱えていた子供ごとだ



「どこ、一樹…」



また別の家に入り、女子供を切り裂く

悲鳴をあげる暇さえ与えない



「一樹…どこなの…。私の愛する、一樹…」



今度は家にさえ入らず、外から家ごと切り裂く

そう、今は本来宴会が行われている

しかし女子供は家に置き、男衆だけで花見をしていたのだ

この街に男は残っていない。いるのは女子供だけ



「一樹ぃぃ!!」



名を叫び、家屋を切り裂く

全てを斬った少女は膝をついて、涙を流した

顔を血に濡れた手で抑えて



「何やってんだ」


「…!一樹!?」



声に振り向いた少女

そこには何もいない

彼女の望みが幻聴となって響いただけだ

しかし、その先にあったのは



「あれは…処刑台…!」



もしやと思い、少女は駆け寄った

そこに倒れていたのは、少年だった



「いつ、き…?」



答える声はない。既に絶命している

満足げな顔つきで横たわる少年の横に膝をつき、起こす

そして少女は少年の亡骸を抱きしめた



「なんで…なんで死ぬの…!死ぬなら、私と死んでよ…!」



慟哭が木霊する

人一人いなくなった街に吹く風が、少女を包み込んだ



「ねぇ…一樹。私、感情を知ったの。私、貴方を好き。…ごめんね」



すすり泣く少女

もう二度と会うことが叶わないという事実が、少女を激情させた

一樹を虐げたものを殲滅し、亡骸を見つけ、ようやく想いを吐露する



「一樹、私を好きだった…?ねぇ、答えてよ…」



少女は少年の胸元に顔を埋めて、声を上げ泣いた

そして疲労からかそのまま寝てしまった少女が起きたとき、ようやく周囲を見回した

昨晩彼女がその手で作り出した惨状が目に入る



「これで済ませただけ、ありがたいと思って」



少年の亡骸を抱え、少女は歩き出した

既に冷たくなっている少年の体は軽く、精霊とはいえ非力な彼女でも持つことができた



「…ここ、一樹と歩きたかったなぁ…」



桜並木が少女を迎える

散る花びらが一樹に降りかかり、鼻先に一つ乗った



「そう…。貴方たちも、彼を好きなんだね。そして、街の人間が嫌いだったんだ…」



冷静になり、ようやく少女は彼女らの声に耳を傾けた

ゆっくり歩く中で、嘆きの声を聞く

膝から崩れ落ちた少女がまた、少年を抱きしめながら泣いた

桜の木たちも涙を流すように花びらを散らせて、無風でありながらざわめきを起こす



「…ごめんね、みんな。私、一樹を守れなかった」



慰めの声が少女を包む

少女の桜がある丘の入口から頂上までは、他の桜が全くいなくなる

その何もない場所を通ることが、今の少女にとってはとても怖く、寂しくなっていく



「…ねぇ、一樹。貴方がまた、この世界に生まれるなら、また私と話してよ。そしたら今度こそ、ずっと一緒にいるから」



少女は笑った

涙を目尻に浮かばせながら



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