第2話『始まる変貌』

「はぁ、はぁ……重てぇ……ただでさえしんどいのに余計な荷物が増えた……」


「乙女を重たいとか言うもんじゃないよ」


「背中でなんか変なのが喚いてるし……」


「ねえ」


ひぃひぃ言いながら長い坂を登り切り、俺はやっと自分の家の前まで辿り着いた。

立ち止まった事で察したのか、背中のスティルシアは俺があげた弁当の残りの卵焼きをもぐもぐしながら『立派なお家だね』と言う。


俺の家は、古びた大きい武家屋敷だ。父母を早くに亡くし祖母と二人で暮らしていたが、その祖母も半年前に死んでしまった。なので今は一人暮らし。

祖母は売って良いと言っていたが、唯一の家族との思い出が詰まった家を手放せる訳が無かった。


「ただいま」


立て付けの悪い引き戸をガラガラ開けて中に入る。

俺はスティルシアをおんぶしたままバスルームの所まで連れて行き、浴室で下ろした。

まずは泥を落として貰わなければ。


「とりあえずシャワー浴びろ。着替えは……嫌じゃなきゃ俺の貸してやるから」


「しゃわー……?」


「このノズル持って、そこのレバー上げろ」


「へぇ……? わぁあっっっ!?」


「馬鹿なんで顔に向けた!」


『あばばば』と顔面にジェット水流を受け続けているスティルシアに怒鳴りながら急いでレバーを下げて水を止める。

スティルシアはびちゃびちゃになったまま感心したように水の出口を見詰めていた。


「この銀色の所でお湯を作ってるのかい? どんな魔晶石が……ぅあっつい!?」


「馬鹿だろお前。あと一応言っとくけど服は脱いでから浴びろよ。服ごと洗うとか小学生みたいな事考えるなよ」


「……あ、当たり前じゃないか」


ピシャリ、と風呂場の扉を閉めてから俺は今日何度目かも分からない溜め息を吐いた。

ひとまず泥まみれになった制服を脱ぎ洗濯カゴに放り込む。


それからスティルシアに着せるためのゆったりとしたスウェットをタンスから取り出した。

……臭いとか言われたらショックなので一応ファブリーズを吹き掛けておく。


「はぇーっ、凄いね! この、しゃわーっていうの! 家の中で水浴びが出来るんだ!」


「次は俺が入るから早くしろよー!」


「はーい」


バスルームのりガラス越しに、水飛沫の音とスティルシアの呑気な声が聞こえてくる。

その音に耳を傾けながら、俺はポケットから取り出したとある物体を机の上に置いた。


無機質な……しかしどこか肉感的な赤いビー玉。

先ほどの、暫定『スライム』が落としていったモノだ。

俺はこんなの拾いたくなかったが、スティルシアに言われて仕方なく持ち帰った。


「……あの怪物、なんだったんだろ」


それだけじゃない。

勢いで連れてきてしまったが、スティルシアについても謎が多い。


あの耳はなんなのか。別世界伝々の話は本当なのか。そもそもなぜ田んぼに落ちてたのか。いやそれは馬鹿だからか。


「はぁ……」



もしただの家出電波少女だった場合、俺は中学生ぐらいの女の子を家に連れ込んでる事になってしまう。

親も探してるだろうし誘拐で訴えられても不思議じゃない。

流石に捕まりたくはない……そう頭を抱える。

と、その時背後で浴室のドアが開く音がした。


「はぁー、スッキリしたよ」


「ちゃんと洗っ、た、か……」


振り向くと、そこには産まれたままの姿のスティルシアが長い髪を後ろで纏めながら立っていた。


陶器のように白くキメ細やかな肌を惜しげ無く露出させ、形の良い胸とか諸々の大事な所もノータイムで俺の視界に入ってくる。

どんな裸婦らふ像も霞む至高の芸術品がごとき肢体ーー


「あ、そうだ、服はーー」


「わぁぁぁぁぁあぁぁぁっ!!!???」


「おうふっ!?」


脇に置いてあったスウェット上下を丸め、スティルシア目掛けて全力投球する。それを胸で受け止め『おっとと』後ろに下がった隙に扉を思い切り閉めた。


あ、危ねぇ……なんとか直視は避けた。

下半身にズンとくる感覚に自己嫌悪しながら、項垂れる。


「良い投擲だ……クク、私が騎士団に口を聞いてやっても……」

「ふざけてないで早く着ろ」


それから数分後、灰色のスウェットに身を包んだスティルシアが出てきた。

ぶかぶか過ぎるせいで下のスウェットが下がってしまうのか、腰の部分を何回も折り重ねている。


「この服……んっ、裏地ザラザラしてるせいで色んな場所擦れるんだけど。変な声出そうだよ」


スティルシアは、ソファに座っていた俺の横にぽすりと収まった。

しばしの間そのままぼーっとしていたが、正面の机に置いてあったビー玉を見て顔色を変える。


「これっ、なんで……どこで……!?」


「いや、さっきのスライムから出てきたんだろ。お前が拾えって言ったんだぞ」


「あ、ぁー……あはは、そう、だったね」


妙に歯切れ悪く、スティルシアが首を縦に振った。物忘れが激しいにも程があるだろ。


「お前さっきのあれが何か知ってるのか?」



その問いに、スティルシアは顎に手を当て少し考える素振りをする。


それから、なぜか俺の目を覗き込んでくる。赤い瞳孔が細まり、何度か目をまたたかせた。さっき急に日本語を喋れるようになった時と同じ動作だ。

『記憶を覗いた』などと馬鹿げた事を言っていたが。


「……なるほど。あれは……そうだな。君の知識に当て嵌めて言うのなら、"モンスター"だよ」


「モンスター……?」


「あぁ。人に対して明確な悪意を持ち、攻撃してくる怪物。さっきのあれは比較的程度の低いヤツだ。……でも本来、この世界には実在しないんだろう?」


俺は頷いた。今まで十七年余り生きてきたが、あんな変テコなの見た事も聞いた事も無い。


「恐らくヤツらは、私と同じ世界から来た存在だ」


「はぁ……」


「私の世界では、厄介なモノを別世界へ捨てるというのが流行っていてね。前までは人や物品だけだったんだが……モンスターも送り始めたらしい。まずは弱いのを送って実験しているんだろう」


気の抜けた相槌を打ちながら、俺はスティルシアの手に摘ままれたビー玉を見詰める。


「……あのさ、これマジで、正直に答えて欲しいんだけど」


「なんだい」


「お前が別世界から来たって、ガチな話なのか?」


「え、信じてなかったの?」


信じられるわけねぇだろ、と心の中でツッこんだ。


良く考えればさっきの怪物だって『別世界から来た』なんて馬鹿げた理由よりかは新種の生き物とか考えた方がまだ現実味がある。


「……どうすれば信じる?」


「どうすればって……ははっ、魔法とか?」


自分で言ってて笑ってしまう。

俺の言葉に、スティルシアは目を瞑って右手の人差し指をピンっと天井に向けて立てた。なにやら変な呪文みたいなのをぼそぼそ呟いている。


年下相手に意地悪し過ぎたか。俺は冗談めかして『わかったわかった』と適当にたしなめようとーー


「ーー■■■■ファイア


「ぉ、おぉぉぉぉっ!?」


ーー人差し指の先端から、真っ赤な炎が吹き上がった。凄まじい熱気を放ち、木製の天井を僅かに焼き焦がす。

驚きのあまりソファからずり落ちた俺を満足げに見て、スティルシアは炎を霧散させた。


「はっ……!? はぁっ……!?」


「ご明察かな、異界の人」


棒マッチ程まで小さくなった炎を指先に灯し、スティルシアは皮肉に笑う。


ーーなんだこれ、なんだこれ、なんだこれ。頭を無数の疑問符が支配した。

手品マジックーーいや違う。そんな生易しいものじゃない。


「マジ、なのか……」


「何回も言ってるだろ?」


緊張で舌の根が渇いて上手く言葉を紡げない。

あまりの異常事態に、心臓がバクバク脈打つ。

目の前のあどけない少女が、とんでもない厄ネタに見えてきた。


「あと、この赤い玉の事だが……ちょっと口を開けたまえ。あーんだよ、あーん」


「あ、あーん……? むぐっ!?」


言われるがままに口を開けると、ビー玉を勢い良く口に投げ込まれた。


そのまま喉と食道を通過し、胃袋にストンと落ちる感覚。

やばいやばいやばい! あんな化物から取れたもんなんて食ったら絶対に病気か食中毒になる! 俺の胃袋はナイーブなんだぞ!

喉に指を突っ込んで吐き出そうとするが、なぜか出てこない。


「無駄だよ。もう消化されてる」


「ん"ー! んー!?(あぁぁぁ!?)」


「それを……モンスターの体内で結晶化した"魔核"を体に吸収すると、血中の魔力濃度が濃くなって身体機能が増強されるんだ。平たく言えば、食べれば強くなると考えて良い」


「んぅぅぅ!?(なにそれぇぇぇ!?)」


えずく事十数秒、吐き出せないと悟った俺はゲッソリした気分でソファに体を預けた。


ひ、酷い目に合った。俺は強くなりたくなんかない。大いなる力には大いなる責任が伴うのだ。スパ〇ダーマンだってそう言ってる。


俺は波立った心を落ち着かせるため、テレビのリモコンを取った。

特に見たいものは無い。現実逃避が目的だ。

適当な温泉番組とか、大御所芸人のトーク番組とか、脳ミソ空っぽにして見られそうなのはやってないかーー


『緊急速報です! 世界各国で発見された謎の粘液生命体ですが、バットや物干し竿による殴打、それが無ければ踏みつけでも対応できる事が判明しました! これから有識者の話も交えて対処の手順をーー』


ぽとり、と手からリモコンが落ちた。


「えぇ……?」


……拝啓、おばあちゃん。

どうやら世界は、俺が思ったより深刻な状況にあるようです。

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