世界の終わりの図書館

くまっこ

第1話

 幼い頃から暮らしていた病院で、おかしな図書館を見つけた。

 その日のことを、書き留めておこうと思う。


 僕は生まれつき体が弱く、両親の友人家族が経営するこの病院で育った。海外での医療活動の道を選んだ両親はたまに帰ってくるだけで、めったに会うことはない。

 だから、両親の親友で、僕の主治医でもある椿先生が僕の親代わりだった。

「図書室に、新作の絵本入れたんだよ。もう読んだ?」

 個室の白い風景に、花が一輪、咲いた。

 朝の回診のとき、先生は必ず花を持ってくる。母が海外から送ってくれた一輪挿しには、毎日違う色の花が咲く。

「大人向けって言われてる絵本も買ってみたんだ〜。もう君も中学生だし、ね」

 ひとりで話をしながら、手渡した体温計の数値を書き込み、ベッド脇の器具を調整する。ひととおり終えると、先生は笑顔で僕に振り返った。

「うん、安定しているね。……お父さんとお母さんに連絡してみようか。退院、できるかもしれないよ」


         §


 空色に白い雲の浮かび上がる天井。空のなかをゆく鳥や飛行機の連なり、艶めく実のなる木と緑豊かな草原、色とりどりの花畑が広がる壁紙。

 その日の夜、僕は図書室にいた。小児病棟に設置されたこの図書室には、絵本と児童書と漫画と、小学校の教科書が置かれている。

 医者の家に生まれていなければ、絵本作家になりたかったという椿先生が壁や天井に輝く絵を描いた、あかるい、子供たちの憩いの場所。

──夜はすべてを隠す。

 壁に描かれた色彩豊かな風景も、自由に飛ぶ鳥も、やわらかな日差しを含み燦めく空も。

──夜はすべてを平等に見せてくれる。

 殺風景な白い壁と置き去りのパイプ椅子も、何かを常に計り続ける無骨な機械も、淡いカーテンに遮られ開けることのできない窓も。

──だって、ずっと、希望なんてなかった。

 外に出たいと言えば両親は悲しみ、学校に行ってみたいと言えば困惑して、やがて二人は、海外での仕事を増やしていくようになった。

 僕が普通の子供だったら、二人を困らせることはなかっただろうか。

 そう思ってみても、普通じゃないのだから仕方がない。希望は現実に勝てることはなく、退院なんて夢は、ずっと昔に捨てていた。

 だから僕は夜を好み、きぼうの象徴のようなこの図書室が薄暗く塗りつぶされてゆくのを見るのが好きだった。

 図書室は夕食時に電灯を落とされる。鍵を掛けられることはないから、夕食後に入り込むのは容易で、電灯を付けなければ僕がここにいることを悟られることもなかった。


──そんなときに、あの入り口を見つけたのだった。


 図書室の壁に描かれた花畑の真ん中に、それはあった。蓄光塗料で描かれたのか、うすぼんやりと光るそれは扉のように見える。その上に文字が書かれていた。


〝World's end Library〟


 僕は壁に近づき、十センチ四方の光に触れる。すると扉はポヤンと、水面に触れたときのように波打ち、揺れた。壁面のはずなのに、手応えがまるでない。少し力を入れると、扉の隙間から一条の光が漏れた。もう少しだけ、ゆっくりと押してみる──と、突如扉が開け放たれ、僕はあっという間にそこに吸い込まれた。

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