私の夏休み海底譚

心澪

第1話

「またね。」

これは私が過ごした不思議な夏休みの話だ。


学校のチャイムを余所に、蝉時雨が響き渡る中、終業式後のホームルームで担任の先生が話し続ける。明日からは夏休みになるからか、殆どのクラスメイトは先生の話をあまり聞かずに遊ぶ予定や課題の話をし始め、騒々しくなった。先生の注意する声で静かになるが、それでもまだコソコソと話す人が僅かにいた。


ホームルームも終わり、炎天下の中、家に帰る途中で後ろから呼び止められた。

「おーい、湊。十四日って空いてるか?もし空いてたらみんなで海に行こうぜ。」

「うん、私も行きたいな。」

「よし、決まりな。そしたら、十時半に蒼港高校前バス停に集合だから、忘れ物はするな

よ。」

と言って走って行った。海なんて久々だなと思いながら、私は帰宅した。


そして十四日、両親に送り出され私は自転車に跨って、坂道を風と共に駆け抜けていく。猛暑日の炎天下の暑さに反して、頬を撫でる風はとても心地良い、なんて考えているうちにバス停に着いた。

「お、湊も来たし、海に行くぞー!」

と友達が叫ぶ。それに便乗して他の友達もはしゃぎ始める。その中で気分が舞い上がっている私も同類だろう。夏休みの話や課題の話をしているうちに、目的地の海へ到着した。


砂浜には、沢山の家族連れや私たちと同年代に見える人たちがいて盛況していた。私たちも準備をし終え、みんなで海に駆け出し騒ぎ始める。砂の城を作ったり、波打ち際で追いかけっこをしていると、一人が大声で、

「今からあの浮き台まで、競争しよう。泳げない奴は審判よろしく!」

と言い、みんなが賛同した。


砂浜に描いたラインに沿って並ぶ。そして、「よーい、どん!」と友達の言った合図で一斉に走り始める。砂を蹴っていく音が不規則に鳴っているが、波の音で打ち消されていった。勢い良く海へ入り、浮き台に向かって一直線に進んでいく。その時だった。目の前の波が大きくなり、私は呑み込まれていく。突然のことだったから、対応できず口に一気に海水が入ってくる。

「湊!」と呼ぶ友達の声を最後に私は意識を失った。


プクプクと泡の音が聞こえる。頬を何か柔らかいものに撫でられた気がする。目を覚まし、体を起こすと魚がふよふよ泳いでこちらにやってくる。

…え、魚?今、私がいる場所は…海の中⁈

でも水中の筈なのに苦しくない。この海は普通に呼吸ができるようだ。辺りを見回すと美しい珊瑚礁が広がり、イソギンチャクの中へクマノミが入っていく。今まで、見たことがないくらい鮮やかで、とても綺麗だった。

そんなことを思っていた時に、ふと気付いた。小さな魚の群れが、一方向に進んで行く。気になってその先を見てみると、一箇所に集まり、何かを中心に回っている。近づいて行くと、人影が見え、驚いていると、


「貴方は誰?」


と聞かれた。声の方向を見てみると、私と同じくらいの歳の女の子が立っていた。その姿は、どこかで見たことがあるような面影だった。

「私は、湊…湊蒼衣。」

「蒼衣って言うんだ〜。私、澪浬!よろしく!」

澪浬と言った子は笑顔で私に話してくれた。

「ねぇ蒼衣、蒼衣はどこから来たの?」

そう聞かれた。そして私は、澪浬に事情を話した。話し終えると澪浬は目を丸くして、

「陸からだなんて、初めて!帰る方法はもしかしたら、克洋に聞いたら分かるかも。ねぇ、付いてきて!」

と言って澪浬が歩き始めた。後ろをついて行きながら辺りを見回す。すると一つ気になるものがあった。

「澪浬、あれって何?」

と聞いてみる。

「あれは、沈没船。沢山の人が乗船してたんだけど、半分の人がショックで死んじゃって、残った人たちが私たちが住んでる都市を作ったの。あ、着いた!」

と声を上げた澪浬の先を見ると、まるで絵本の中から出てきたような海底都市が目の前に広がっていた。


都市の中に入ると、中年であろう男性が前から歩いてくる。一人は警官のような容姿をした人魚で、もう一人はこの都市の代表のような人だ。その周りに子ども達が集まってきて、警官の人魚の周りを走り回っている。警官の人魚が苦笑いしていると、左から右手に本を持ち、袴を着た女性がやってきて、子ども達に声をかける。すると、「先生ー!」と言いながら子ども達は、今度その女性の方へ走って行く。子どもが持っている物を見てみると、算盤を持っていた。そういえばあの警官も現在の警察が被っているような帽子ではなく、軍服帽に近い物だった。建物も教科書に載っている明治時代にあるような外観が多かった。そんなことを考えていると屋敷に着いた。

中へ入ると、老人が古びた本を読んでいた。澪浬が、

「克洋ー。ちょっと話を聞いてくれない?」

と話しかけると、長老のような老人が本を閉じてこちらを見る。

「澪浬、お前さんの後ろの子は誰じゃ?」

「この子は蒼衣。蒼衣のことで聞きたいことがあるの。」

「そうか、蒼衣さんと言ったな?わしは克洋。この都市の長老じゃ。」


そこから澪浬が克洋さんと言う長老に私のことについて、全て話をしてくれた。話を聞いた克洋さんは、古びた本を幾つか取り出し、パラパラとページをめくり始め、あるページで手が止まった。


「お前さんが居た所に戻るには、月光が海底まで届いた翌日の夕刻に、海月が多く集まる場所に行けば戻れる。おそらく、三日後ぐらいには帰れるだろう。」

と克洋さんは言った。

「ありがとうございます。」

「いいんだよ。この二日三日は澪浬と過ごすのが良かろ。」

と話をして、私と澪浬は克洋さんの屋敷を後にした。ここからの二日三日はとても短く感じた。芸術家の女性のアトリエの手伝いをしたり、警官の周りを走り回って居た子ども達と追いかけっこしたり、澪浬と沢山の事をした。


月明かりがこの海底まで届いた日の深夜。

昼間、とても賑やかだった繁華街も静まり返り、私もぐっすりと寝て居た。すると、

「蒼衣!起きて!」

澪浬の声が聞こえる。

「…何?どうしたの?」

と聞き返すと、

「いいからついて来て!」

と言われた刹那、私の腕を掴んで澪浬が走り始めた。私は引き連られているかのように澪浬に引っ張られて行く。


着いたのは沈没船。

「ここに何があるの?」

「いいから、上見上げてみて!」

そう言われて、上を見上げてみると…


「わあ…綺麗…!」

見上げるとまるで雪が降っているようだった。これがマリンスノーなのか。

マリンスノーが月明かりに照らされて、スノードームの中にいるような、幻想的な景色だった。


「私も久々に見たんだー。蒼衣と一緒に見たくなって、急いで起こしたの。ごめんね?」

「いいよ。澪浬、ありがとう。」


と返した時、目頭が熱くなった。


「蒼衣?どうして目が赤いの?」

と聞かれる。嗚呼、そうか。私泣いてるのか。海の中だからか、泣いても涙が海水と同化するから分からなかったのか。


「大丈夫だよ、澪浬。目にゴミが入っただけだから。」


そう返したが、違う。

澪浬の姿がどこかで見たことがあるように感じたことがようやく理解できた。

それは、2年前に事故で亡くした妹にそっくりだったからだ。居ない筈の妹が目の前に現れたのか…と。私の事を慕ってくれて居た妹と澪浬が重なって、思わず「ごめん。」と言葉が出そうになる。でもぐっと堪えた。


「大丈夫?」


澪浬が心配そうな顔で私の顔を覗き込む。

私は急いで目を擦り、笑って見せる。

それに合わせて、澪浬も笑う。


「それじゃあ、帰ろう。」

と言う澪浬の隣に並んで都市に帰った。


そして、翌日の夕刻。沈没船の近くに海月が沢山集まっていた。澪浬と克洋さん、先生と言われていた女性が見送りに来てくれた。


「蒼衣さん、私の塾生達と遊んでくれてありがとうね。塾生達、とても喜んでいたわ。」

「いえ、こちらこそありがとうございました。」


「元気でな。」

「克洋さん、本当にありがとうございました。お体には気をつけてください。」


と話し、最後澪浬と向き合った。


「すごく楽しかった。ありがとう蒼衣。」

「私も楽しかったよ、ありがとう澪浬。」


澪浬の手を握り、こう言った。


   「またね。」


後ろに向いて、海月の上を歩いて行く。

私の周りを白い光が包み込んでいった。



「…と、湊!!」

友達の声がする。


目を覚ますと、砂浜に横たわる私を囲むように友達みんなが私を見ている。


「やっと起きた!…よかった。」

と言う友達や、泣き崩れ始める友達。


「ごめんね、心配かけて。

…助けてくれてありがとう。」


とみんなに言うとみんな安堵して、笑顔になった。

もう夕方になっていて、私たちは片付けをし、水着からも着替えた。


着替え終わってみんなを待つ間、海を眺める。水平線に夕日が近づき、辺りを朱色に染めて行く。海風が吹き、そっと頬を撫でた。


「湊ー!みんな着替えも終わったし、帰るぞー!」


と声がする。踵を返し、みんなの方に向かおうとした時、


       「またね。」


と言う澪浬の声が、聞こえたような気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

私の夏休み海底譚 心澪 @cokoha115octa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ