第30話 公爵令嬢は覚悟を決めた

「セルディナ様、おかえりなさい」

「ただいま、ロキ」


 アルシアとの逢瀬を終えたセルディナの様子に、ロキは僅かに違和感を覚えた。

 いつものセルディナは、心がどこか遠くへ行ってしまっているような目をしているのに、僅か数刻離れていただけで、ロキを見つめる瞳は力強いものへ変わっていた。


「……どうかされましたか?」


 少し不安になって尋ねたロキに、セルディナは真っ直ぐに視線を向け、いつものように優しい笑みを浮かべて、「人間わたくし魔物あなたの違いは何かしら」と言った。


「姿も、声も、温度も、見える世界も。人間わたくし魔物あなたも同じなのに、魔法を使うというだけで、魔物だから仕方が無いなんておかしいもわ」


 セルディナの顔には穏やかな笑みが浮かんでいるというのに、その口調はいつもよりも強かった。それこそ、何かに怒っているかのように。


ロキは、セルディナが怒っている姿を見るのは初めてだった。

毒を盛られても、見て見ぬふりをされても、全てを諦めているかのように受け入れてきたセルディナの怒りは、ロキやダリア、ギナンなどの魔物を想ってのものだった。


「私、決めたわ。貴方たちが魔物だから、その不自由が仕方の無いものだと言われるのなら、私はこの国から魔物と言う言葉を無くすわ」


 誓いを立てるように、セルディナは呟く。

 その横顔を眺めながら、どうしてもロキは不安をぬぐい切ることが出来なかった。


「ロキの力を貸してくれる?」

「……それが、セルディナ様の望みとあれば」


 セルディナの時は、ロキが出会った時からずっと止まったままのようだった。

 ずっと穏やかで、いつ死んでしまっても良いとでも言うように生への執着がなくて、心はどこか遠い所に置いているかのようなセルディナの時が、今になって動き出したように、ロキには映っていた。


 ―――けれど、何故でしょう。セルディナ様自身が、少しずつ遠い場所へ行ってしまう気がして、心が騒めくのは。


「セルディナ様、私は……貴女が必要としてくれる限り、ずっと側に居ます」

「……ありがとう、ロキ」


 セルディナは、何故か少しだけ寂しそうに見えた。






 ロキの何となく感じていた、嫌な予感は現実のものになってしまう。






「姫さん。中央街で魔物が一匹、人間に情報を取られてんなァ。捕まンのも時間の問題かもしれねェ」

「助けに行くわ。ダリア、また私の姿を変えてもらっても良いかしら?」

「良いけど……」


 アルシアと会った次の日から、セルディナは魔物の保護に力を入れ始めた。

 酷い目にあっている魔物や、人間に捕えられる予兆のある魔物の情報があれば、時間を見つけて会いにいく様子が、ロキには良いもののようには見えなかった。


「セルディナ様、少しお休み下さい」


 出かけようとしていたセルディナの顔には、化粧で上手く誤魔化してはいるが、隠しきれない隈があって。

 セルディナの腕を掴んで止めたロキの姿に、ダリアも安心したような表情をしていた。

 きっと、このまま動き続けていれば、セルディナの体に限界が来てしまうことを、ダリアも心配していたのだろう。


「……ロキ?大丈夫よ?」

「顔色が悪いです。食事も、いつもの量を食べきれていません」

「大丈夫だから。少し、食欲が無かっただけなの」

「食欲が無いことが、具合が良くない証拠です。魔物なら私が見に行きますから」


 ロキの制止に、ギナンもダリアも頷いた。


「駄目よ。ロキ達だけでは、命令をされてしまったら、帰って来れなくなってしまうわ」


 それでも、セルディナは頷かなくて。


 ……セルディナは怖かったのだ。

 ロキもダリアもギナンも、セルディナにとっては大切な人々で。誰一人欠けて欲しくないのに、この世界は魔物に厳しすぎるから。

 セルディナの目の届かない所で、誰かに悪意を向けられて、セルディナの元から消えてしまうことが何よりも怖かった。


「私が行きたいの。お願い、大丈夫だから」


 命令一つで、ロキの手をどうにでも出来るセルディナの、唯のお願いにロキはどうしたって逆らえなくて。


「……道中は私が抱えます。少しでも休んで下さい」

「ありがとう」


 結局ロキは、折れてしまう。

 躊躇いも無く体を預けるセルディナには、警戒心の欠片も無く。その体は、あまりにも軽すぎた。






「セルディナ・マクバーレンが魔法を使う許可を与えます。魔物を救って」


 セルディナの命令と共に、ダリアがその姿を消して、ギナンが街中を駆け抜けた。

 向かう先は、人間に捕らえられた魔物の少女の元。

 ロキだけは、外套を被ったセルディナの側を離れず、騒動の行く末を見守っていた。


 魔物の少女に手を伸ばす人間を、<身体強化>の魔法を使ったギナンが蹴り飛ばす。


「仲間が来たぞ!!」

「どっちも捕まえろ!!」


 ギナンの驚異的な動きが魔法によるものと気が付いていないのか、あるいは気が付いていて、人間の数で押し切れると考えたのか。人々はギナンへと向かってきた。


「捕まるか、馬ァ鹿」


 ギナンは蹲る魔物の少女を背中に庇って、向かって来る人間を蹴り飛ばし、殴りつけ、あっという間に気絶した人間の山を作り上げた。


「ダリア。居るンだろ?さっさと連れて姫さんの所に戻れ」

「言われなくてもやってる!馬鹿ギナン!」


 ギナンが人間を食い止めている間、<幻影>で姿を消していたダリアが、魔物の少女に近付いていた。


「行くよ。アタシが触ってる間、アンタの姿は誰からも見えなくなる。アタシの主人なら助けてくれるから、早く!」

「え?え?」


 呆然としている魔物の少女の腕を掴んで、ダリアは少しずつセルディナの元へと戻っていった。

 あとは、ギナンが切りの良いところで逃げれば終わりで……。


「騎士、ギルディが命じる。魔物よ、動きを止めろ」


 ……だが、ギナンが逃げる直前、騒ぎに気がついてやって来た騎士が、ギナンにをした。

 途端、ギナンの体は動きを止めた。自分自身の意思では、どうにもできない状況の中、ギナンは咄嗟に<身体強化>を使った。


「他の命令を聞いては駄目よ。私の声だけを聞いて」


 ギナンの予想通り、その声は届いた。


「姫さん、本当に最高だなァ」


 動くようになった体で、ギナンはセルディナの元へ戻っていく。勿論、直接戻ればセルディナが共犯だとバレてしまうので、回り道をしてだが。







 そんな風にして、セルディナは少しずつ魔物を救って行った。

 少しずつ、少しずつ、セルディナの元に集まる魔物は増えて行って。増えた魔物が、また別の魔物を連れてきて。






「もう少し。もう少しなの。あと少しで魔物を救えるの」





 セルディナの様は、どこか焦っているように見えた。





 


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