第22話 虚像は揺らめき、銀光は駆け抜ける2

「あら、ロキが厨房に行ったはずだけど、入れ違いになってしまったのかしら」


 突如セルディナの部屋にやって来たのは、髪をひっつめた、メイド服の女だった。

お茶の入っているらしいポットを載せたトレーを持ってきたメイドは、セルディナの問いかけに対して、「魔物……いえ、ロキさんですか?私は見ませんでしたけれど……」と答えた。


「そうなの?」


 一瞬だけ、ロキの事を「魔物」と呼んだ女の台詞から滲む嫌悪感に、ギナンは気がついてしまった。

 チラリとセルディナに視線を向ければ、穏やかな笑みを浮かべてはいるものの、ロキと話している時のように、楽しそうな笑顔ではない。


 セルディナの「じゃあ、そこに置いていって頂戴」という言葉に従ったメイドの女はお茶を注いで、それからすぐに部屋から出ていった。

 淹れていったお茶は、セルディナの分の一杯だけ。……だが、セルディナはそのカップに、手をつけようとはしなかった。


「飲まねェの?」

「うーん……そうね。これを飲んだら、多分ロキが怒ってしまいそうなのよね……」


 やんわりとぼかされた言葉に、ダリアは首を傾げた。


 ―――他の奴の茶を飲んだら怒るのか?ロキあいつ、澄ました顔してる癖に案外子供っぽいんだな。


 なんて考えたダリアは、何気なくカップの中身を覗き込もうとして……


「ダリア、飲んでは駄目よ」

「ダリア。絶対に飲むンじゃねェぞ」


 ……セルディナとギナンの二人から、同時に告げられた。ギナンに至っては、ダリアの肩を掴んで、強い力で引っ張った。ダリアはその痛みに顔を顰めて、ギナンに向かって「何すんだよ!」と怒鳴った。


わりィ。けどよ、明らかに匂いがおかしいだろ。食いモンの匂いじゃねェぞ」

「匂いだ?そんなのしないけど……」


 ギナンの言葉で鼻を鳴らしたダリアだったが、そんな匂いはしなかった。……けれど。ダリアは「まぁ、ギナンがそう言うなら、そうなんだろうな」と、あっさりと認めた。

 ダリアはギナンに突っかかることも多いけれど、それはスラムという特殊な環境下で、弱いと思われたら生きていけなかったからそうしていただけで。実際のダリアは、ギナンのことを信頼できる兄のように、あるいは親のように慕っている。

 そのギナンが、本気の声で「駄目」だと告げるのなら、それはダリアにとって、「駄目」なものに違いないのだ。


「……姫さん。これは何だ?俺は茶ァなんて洒落たモンを飲んだことはねェが、これが良くねェモンだってことは分かる」


 ギナンの嗅覚は、少し人よりも優れていて。だからこそ、気が付いてしまった。紅茶の甘い匂いの中に隠された、不穏な香りに。

 「私もギナンのように鼻が良い訳ではないから、予想になってしまうのだけれど」と前置きをして、セルディナは言葉を続けた。


「多分、毒が入っていると思うわ」


 ……なんて、少しの動揺もない表情で紡ぐセルディナの言葉に、ギナンもダリアも固まった。


「毒では中々死なないから、飲んでも大丈夫だと思うのだけど、ロキに見つかったら良くないから飲めないわ」


 少し困ったような表情のセルディナに、ダリアは「毒を盛られるのが、一度や二度のことではないのだ」と悟った。

 ギナンもまた、ロキが毒消し薬の調合を学んだ理由を知って、ロキがどうしてあんなにも、セルディナの事を心配するのかを悟った。


 だって、毒を注がれたカップを前にして。自分の命が狙われたと知って。それでもセルディナは平然と、少しも傷ついた様子が無いのだから。その様子は……スラム育ちで、命が軽い世界で生きてきたギナンからしても、少し異常に見えてしまった。


「姫さんは……」


 呟きかけたギナンは、自分でも何を問おうとしたのか、分からなくて。

 毒を差し出されてなお穏やかに微笑むセルディナが。魔物ギナンの命は助けようとする癖、自分への悪意には無頓着なセルディナが。ギナンには何故か、とても悲しい生き物のように見えて……


「ダリア?」


 ……言葉を詰まらせていたギナンは、セルディナが不思議そうにダリアの名前を呟いたことに気が付いて、慌てて部屋の中を見渡した。

 メイドの女が出て行った時は、確かに閉まっていた扉が、今は半開きになっていた。


「ダリア!?あいつ何処行きやがった!つうか、姫さん!まさかあいつの魔法使用に許可出してたのか!?」

「え、ええ。大丈夫かと思ったのだけれど……」

「あいつは馬鹿なんだよ。後先考えずに怒りやがる。多分、さっきのメイドを追って行ったな」

「まぁ、全然気が付かなかったわ!魔法ってすごいのね。けど、あのメイドの人だけど、きっと命令をされただけよ。ダリアを止めてこないと」


 「大変」と呟きながら、立ち上ったセルディナは……本人からすれば、急いでいるのだろうけど、随分とゆっくりとした動作だった。ギナンが贔屓目に見ても、その細い体が走ることに向いているとも思えなくて。


「……姫さん。俺が行く。騒ぎにならねェようにダリアを連れ戻すから、魔法使用の許可をくれ」

「お願いしても良いの?助かるわ。セルディナ・マクバーレンが命じます。ギナンの魔法使用を許可するわ」

「そんなあっさり……いや、今は助かる」


 セルディナから魔法の許可を貰ったギナンは、自身の得意とする<身体強化>の魔法を使った。

 魔法の使用の許可など、易々と出す人間なんて居ない。久しく使った自身の魔法によって情報量の増えた世界の中で、ギナンは周囲を見渡した。


 絨毯を踏みしめる小さな足音と、魔物特有の魔力の揺らめき。それに、メイドの持っていたポットの茶葉から香る、匂いを感じ取り、ギナンはダリアの居る方向に辺りを付けた。

 思考能力も強化されて、時間が過ぎるのすら遅く感じながら、ギナンはダリアを追いかけた。


 ……ギナンの身体能力は、元々通常の人より高い。

 それは、<身体強化>の魔法を使用することにより、通常時のスペックも成長しているのか。原理はギナンにもよく分かっていないけれど。元々の能力自体が高い体に、魔法でブーストをかけることで、ギナンの動きは驚異的なものへと変わる。


「あっという間に居なくなってしまったわ」


 おいて行かれたセルディナは、追いかけようかと扉の前まで行って……ギナンの背中が、もう廊下のどこにも見当たらないことで諦めた。


「……暇ね。ロキ、早く帰って来ないかしら?」


 何も知らないロキが部屋へ戻って来て、ダリアとギナンの単独行動(※しかも魔法使用許可済)を知って、高価なポットを落としかけるまで、あともう少し。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る