雨宿り──短編集

桜野 叶う

和洋折衷の喫茶店

 困ったものだ。

 雨が降ってきた。それも、土砂降りの、バケツをひっくり返したような、大量の水が。黒めのねずみ色の空から降ってきた。

 突然のことだったから、傘なんて持っていない。折り畳みでさえ無い。傘が無いので、当然びしょ濡れだ。髪も、上着も。ここから家まではまだ距離があるため、見つけた個人経営であろう飲食店に寄った。

 ここは、バー? いや、喫茶店か。なんだか珍しいような気がする。周囲の建物と比べて、時代が違っていた。この建物だけ、時が止まっているような気がした。

 店は開いているようだ。中に入ってみた。


喫茶店の中は、レトロな雰囲気だ。真っ先に思ったのは、少々暗い。雨が降っているためでもあろうが、大人のチョコレートのような、ダークな色使いで、雨でない日でも、暗いなぁと感じるだろう。レトロだというのは間違いないが、それだけで一括ひとくくりにはできなかった。イスやテーブルなどの家具は、洋風だった。店の雰囲気は、日本のレトロだが、家具は欧米から取り寄せたであろうものだった。喫茶店といえば、昭和というイメージが強いが、昭和の匂いではなかった。もっと古い。では明治か。いや、まだ江戸のおもむきが残っている明治でもなかった。昭和と明治の間、大正か。そうだ、これは大正だ。和と洋の比率が丁度ちょうどよい、大正の建物だ、ここは。

 大正時代の趣があるこの喫茶店は、私よりも、もっと上の世代、それよりも上の世代なら、懐かしさを感じるだろう。

 しかし、私は平成生まれであるため、懐かしいという感覚では無かった。『懐かしい』よりも、『新鮮だ』が勝った。

 店には客はいなかった。大雨だからだろうか。

 いらっしゃいませ。と澄んだ綺麗な声が聞こえた。意外なことに、この店のオーナーは若い人だった。年配の人がやるものだと思っていた。彼は恐らく、私よりも若いだろう。そして、綺麗に整った顔。涼しげな顔をしていた。

 何と綺麗な方だ。『綺麗な方』というのは、女性に対して使うものだと思っていた。男性に対しては使うものだと思っていなかった。しかし、彼の顔を見た瞬間に、その概念がいねんは、何処どこかへ消えてしまった。


綺麗な顔の、この店のオーナー。彼の顔を見た瞬間、見事に引き込まれてしまった。地球に引き込まれた月のように、彼の周りを周り始めた。速度を上げて、ぐるぐる、ぐるぐる周っている。

「もしもし」

「うわあ!」

 突然、声をかけられ、思わず大声を出してしまった。それはとても滑稽こっけいで、恥ずかしくなった。

 しかし、突然の大声にも、びっくりした様子は無く、同じ表情をたもっていた。

「大丈夫ですか。お座りください」

 ニコッと笑顔になり、私をカウンター前の席に誘導した。その笑顔も不意打ふいうちで、もう落ち着かなくなった。


 誘導された席に座ると、「コーヒーでも飲みますか」と綺麗な声で尋ねてきた。

 はい。と答えた。


 喫茶店でコーヒーを頼んで、その調理工程を見るのは初めてだった。いつもは、コンビニで売っているコーヒーを飲んでいるからだ。彼は、慣れた手付きでコーヒーをれていた。


 出来上がったコーヒーと共に、タオルが差し出された。

「これで、体を拭いて下さい。ずいぶんと濡れていますね」

 優しい。彼の素敵な気配りは、雨で冷えた私の体を温めた。ふわふわのタオルや淹れたてのコーヒーよりも温かかった。ゆっくりとコーヒーを飲んだ。この大正時代の雰囲気が、さらに味を深ませる。

「あの、ところでどうして、このお店を経営しているんです?」

 とても気になったことを尋ねてみた。

「もともと、僕の伯父が経営したのを引き継ぎました。それに、僕は、大正時代の和洋折衷わようせっちゅうの感じがすごく好きなんです」

「そうなんですね。私の友達も大正時代が舞台の漫画が大好きなんですよ。だから、大正時代の感じがなんとなく分かるんですよ」

「素敵ですよね」

 彼は笑顔で問いかける。

「はいっ‼︎」

 その笑顔に負けた私は、威勢の良い返事をした。

 

 大きく時間をかけて、コーヒーを飲み終えた。入ってきたときは、激しく聞こえた雨の音も、いつの間にかなくなっていた。


「ありがとうございました」

 私は、色々と気遣ってくれたオーナーにお礼を言って、店を後にした。


 雨は止んでいた。空一面を覆っていた雲も大半が無くなり、空が見えていた。ただ、その空は暗くなってきていた。星が現れた。私は家路いえじ辿たどった。

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