第2話
小一時間も経つと、教室には誰もいなくなってしまった。さすがに一人で放課後の教室に残っているのも変なので、荷物をまとめて教室を後にした。ドームの太陽はまだ沈まない。
家に帰っても(勉強を除けば)やることはなかった。それもなんだか物寂しい。どうしようか。
──結局、無難に散歩することにした。現実逃避の趣味として、最近の放課後は散歩することが多い。繁華街を歩く日もあれば公園を歩く日もある。見知っているはずの街でも、ちょっとした発見がやけに嬉しかった。
しばらく思案したのち、今日は学校裏の、密集した住宅街のあたりを彷徨くことに決めた。
そこは都心の一等地なのに、なぜか再開発から免れている界隈だった。築数十年の一軒家だってざらにある。
わたしはその界隈の名前すら知らなかったけれど、そこにはどこか不思議に吸い寄せられるような魅力があって、結構気に入っていた。
そうと決まればわたしは一直線に、てくてくと学校前の大通りを歩いていく。
横眼に映るのはいつもの「常緑樹」と車だけ。代わり映えのしない道だと思ったが、ある光景が目に入ってきて、わたしは思わず立ち止まってしまう。
……道に沿って「植え」られた木々が、次々と姿を変えていく。
春、萌える新芽。
夏、青青とした新緑。
秋、黄色く染まる葉。
そして冬、すっかり葉を落とした枯れ木。
きっと定期メンテナンスなんだろう。作業着を着た男たちがタブレットをスワイプするのに合わせて、木々は博物館で見る電車の方向幕みたいに切り替わっていった。
「……」
そしてわたしの心には、今にも降り始めそうな暗雲が立ち込める。
植物メンテナンスは珍しいことではない。ドーム都市の象徴ともいえる、ふつうの営みだ。ただ、わたしがその光景に馴染めないというだけで──。
グローバル化の名の下に全世界の主要都市をすべて同じ環境にすることをうたった「世界プロジェクト」が始まって三十年。計画の目玉、「ドーム」が世界各地の都市を囲むようになってからは十七年が経つ。ドームのなかで生まれ育った最初の世代が、わたしの同級生にあたる。わたし自身は中学受験にあわせて引っ越してきたから、俗に言う「ドーム・ネイティブ」には当たらない。
ドームは正式名称を「自動制御型都市気候制御ドーム」という。その名のとおり、都市全体を透明な膜でプラネタリウム状に囲んで気候を管理する、一連の巨大なシステムだ。都庁の地下に設置されたコアマシンは、全世界のドームと接続され、常時情報交換や天候の微調整を行っている。
ドーム内は、二十四時間三百六十五日、人間にとって一番快適な気温と湿度で「晴れ」るように設定されていた。いつも曇りない空がドームのスクリーン上に投影される。ドームの中にいれば暑さも寒さもなくなり、最大パフォーマンスで活動できるというわけだ。
ドームの設置は当然、街のあり方を根本的に変化させていった。
その最たるものが植栽樹。一年中同じ気候だと天然の植物には不都合が生じるらしい。すべて制御可能な人工植物に植え替えられた。そのメンテナンスが、さっきの光景。
で、わたしはたぶん、このドームと人工植物が嫌いだった。田舎から転入してきたからか、それとも東京にとってわたしはニューカマーに過ぎないからか、あるいは天然植物が好きだからか理由はわからない。けれど一つの確固たる事実は、わたしは「不自然な自然」に馴染めなかったということ。
植物メンテナンス以外にも、人工植物の人工植物らしさが見えてしまう光景は山ほどあった。例えば学校の中庭にある「桜」もその一つで、一年中満開になるよう調整されているのだった。完全に校長の趣味で。
この仕組みに違和感を覚えている人は少なくなかったが、かといって、それを積極的に変えようと思っている人はごくごく少数派だった。
一度暑さも寒さもない快適な状況を覚えてしまうと、人はなかなかそこから抜け出せない。
それに、ドームのおかげで、天災の類はまず発生しえなくなったというのも、表立ってドームに反対しにくい理由の一つだった。台風、竜巻、ゲリラ豪雨、大雪などなど、たびたび都市機能を停止させてきた天災はすべて、ニュースの中の出来事に過ぎなくなる。日本では特にこの点が支持されていた。
だが、そんな「普通」とは関係なしに、やっぱりドームも人工植物もわたしは苦手だ。本物そっくりの、いやこの街では本物とされている植物たちが、実はいくらでも改変できる作り物なのだと感じてしまうその瞬間、わたしはぞわぞわした生々しさのような感覚を肌に感じる。それは「嫌な感じ」だった。
足早にメンテナンス現場を通り過ぎると、逃げるようにして目的地の路地へ入り込んだ。
腕時計をちらりと見ると、学校を出てからすでに二時間が経過していた。
貴重な時間をどうやって過ごしていたのかといえば──単刀直入に言って、わたしは迷子になっていた。
ぽつんと位置する児童遊園や、崩壊しかかっている廃墟を見て回っていたのはいいものの。いつの間にか、自分の現在地がわからなくなってしまっていた。辺りを取り囲むのは旧式の民家とブロック塀だけで、道を訊けるような人もいない。迷子に気付いたわたしはもちろん現代っ子らしく、まずは冷静にスマホを手に取ろうとスカートのポケットに手を入れて──
瞬間、硬直した。
そこにはコンビニのレシートしか入っていなかった。つまるところスマホはなかった。それがわたしにとってどういう意味を持つか、もはや説明はいらないだろう。
念のためにカバンの中も確かめてみる。が、やっぱりスマホは見つからない。
「……どうしよう」
完膚なきまでに途方に暮れた。物は試しと近くを探してみるが、交番もコンビニも、挙げ句の果てには地図すら見あたらない。ぜんぶ過剰なデジタル化と合理化のせいだ。呪ってやる。
それから当てもなくうろうろと路地を徘徊していると、瞬く間に小一時間が経過した。
不幸なことに、手がかりを探して歩き回っているうちに更にどつぼにはまってしまったらしい。更に人気がない、空き家ばかりの不気味な場所に迷い込んでしまった。
そして追い打ちをかけるような事実。目の前は行き止まりだった。
向かって右側には木造の(おそらく)空き家、左側には粗末な倉庫か小屋のような平屋が建っている。すると、その建物の前に、ぽつんと赤い自販機があるのを見つけた。
ひょっとしたら、あの建物に人がいるのかもしれない……そう思って、わたしは行き止まりの方へと進んでいった。
──そのときだった。
平屋の扉が開き、人の姿が見えた。わたしは思わず、
「助かった……」
そして急いで道を尋ねようと思って──瞬間、またもや硬直した。今度は物を落としたのではなく、目の前の光景を見てのことだった。
と、いうのも。
建物から出てきたのは、作業服姿の若い女性で。
しかも、わたしと同じ高校、同じクラスに通う高校生で。
つまりは──雨宮葵だった。
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