お隣さん家は怖い

 長い距離を歩いた結果、次の日はやはり筋肉痛になった。


 動けないほどのレベルではないが、歩くと太腿がピリピリと痛くなる。

 起床時は当然最悪だった。


 痛い、動かしたくない、休ませたい……と、この三つが脳内でぐるぐる回っていた。

 体調不良を理由に休もうかと一瞬考えたが、もし今回のボランティア活動に行かなかったことが原因で愛想を尽かされ、その後の進展がすべて無しになってしまったら……。

 そう思うと、気合で起き上がるしかなかった。


 もちろん黒瀬はまだ爆睡しているから、放っておく。

 だがいつ起きても直ぐ対談が済ませられるよう、カーテンは閉め切って行動を取る。

 朝の日課である顔洗いを終え、軽めの朝食を取り、歯磨きを済ませ、準備を整える。

 昨夜就寝前にグループチャット内で、規定ジャージで来るようにと委員長からの連絡を思い出し、薄暗い中クローゼットから取り出す。


 紅高の紋章が左胸の位置に刺繍された、紅色をベースとしたジャージを上下着用し、身支度も完了させる。

 そう言えば、小学生のときに町内会の集まりで清掃ボランティアをする際は、タオルと飲み物も持参するよう言われてたな。


 汗はジャージで、飲み物は途中で購入すれば良いと考えていたが、念のため用意しておくか。

 そう思い、水筒を準備しようと台所に向かおうとすると―。



 ブーーッ、ブーーッ。



 ベッドに置いたスマホが震動を始めた。

 一回一回の震動音が長いところを聞くと、通話の受信だ。


 今の時間は大体七時二十分、この時間帯に電話を掛けてくる人物は一人しか心当たりがない。

 隣家だから、無視を決めれば窓を突き破り、乗り込んできてカラッと揚げられる。


 それだけは避けたい!


 渋々スマホを取り、通話アイコンを押す。


「おはよう…………」


『シーくん、おはよう~』


《…………ッ!?》


 コハ姉の声が電話越しに伝わってきた瞬間、黒瀬が防衛本能で起き上がった。


『今日、暇~?』


 そしていつもの質問が飛んでくる。

『暇だ』と正直に答えてしまえば、買い物と偽ってのデートを開始され、最後はホテルに連行されてしまう。


 普段は色んな言い訳で付き合いを断り、時折バレては逃走を繰り返している。

 因みに先週の日曜日は、イギリスから"電撃を纏った飛蝗"が襲撃してくるから、"炎を纏った虎"で迎撃しなきゃいけないんだという言い訳をしたが、数秒で嘘だとバレた。


 結果、隣町の隣町まで逃げて難を逃れた。

 だが今回に限っては嘘偽りの無い、コハ姉の誘いを断れる理由を持ち合わせている。


「ごめん、暇じゃないんだ。これから風紀委員のボランティア活動があって……」


『へぇ……ボランティア活動……。それってぇ、何時終わり~?』


「大体十時頃かな。でもそこから延長ってことも有り得るかもしれない」


『ふ~ん、そうなんだぁ。分かった、またあとでね』


 その返事を最後に、一方的に通話が切られた。


 ん? 最後……なんて言った?

 〝またあとで〟……?


 言葉の意味が理解できない。

 もしかして……清掃活動が終わったあとに、偶然を装っての鉢合わせから無理矢理出掛けようと考えてないだろうな……!?


 そしたら、脅えてるけども黒瀬に頑張って逃げてもらうしかない!


《『光の国』まで飛べば良いんだな……?》


 そこまで逃げなくて良いよ……。


 《六番目の兄弟に会いたい……》


 俺はその弟子―じゃなくて、起きたんなら始めるぞ。


 対談時間に入るため、中央に座り込む。


「一般常識的では考えられない国外辺りにひとっ飛びしてくれ」


《国外って適当に言うけど、地理に疎いから分からず跳躍すると最悪海に落ちるぞ?》


「じゃあロシア。ロシアの美人に会いたい」


《防寒着は?》


「お前」


《まぁ確かに寒さにも耐えれるけど》


「じゃあ決まりだ。ボランティア活動が終わってコハ姉が来たらロシアにレッツゴーしろ」


《気絶してなかったらな……》


「そこは頑張ってくれ。捕まったら喰われる……色んな意味で」


《いやあああああああああああああああああああああああああああああああああ!》


「だから気絶しないで頑張ってくれよな?」


《うん! 俺ッ! 頑張るッ!!》


「よし、その意気だ……!」


 黒瀬のヤル気メーターを感じ取り、今日の対談を終わらせる。

 薄暗い自室に光を入れようと、カーテンを全開した。


「…………ッ!?」

《…………ッ!?》


 そして同時に心臓が止まり掛ける。


『…………♪』


 向かい側の窓から、コハ姉がこちらに視線を送っていた。

 目があった瞬間、手をヒラヒラ振ってくる。


 これも挨拶せずに無視すると、体内の全血液を塩水と交換され兼ねない。

 まだ一度家を出てこちらに乗り込んでくるパターンなら余裕で逃走できたが、屋根を伝って互いの部屋を行き来可能な距離だと、数秒で息の根を止められる。

 しばらく停止していると、窓を開けるよう手でサインが送られ、素直に従う。


《…………》


 そして黒瀬は息を引き取った。


「どうしたの……?」


「ん~? カーテン開いてなかったからぁ、前みたいに嘘吐いてぇ、実は寝てるんじゃないのかなぁって思って~」


 ということは乗り込むつもりだったな……?


「疑ってたの……?」


「うん。たまにぃ、シーくん嘘吐くから~」


 そりゃこっちは守るのに必死ですからね!


「でも今日は……本当だったでしょ?」


「うん。だからぁ、頑張って来てね~」


「ありがとう……。それじゃあ俺、行くから」


「はぁい、またあとでね~」


 また言った。なんなんだその向こうで落ち合うかのような〝また〟って?

 やっぱアレか? 活動終了後を狙ってデートに付き合わせると企ててるな!?


 そうはいくか! ロシアまで飛んで絶対逃げる!

 窓を閉め、荷物を詰め込んだ鞄を肩に掛ける。

 部屋を出るまで、コハ姉はずっとニコニコしながら手を振っていた。


《ぶはッ!? はぁー! はぁー! はぁー!》


 お、生き返ったか。お帰り。


《ただいま……。閻魔大王に舌引っこ抜かれそうになって……》


 へぇ、お前でもコハ姉以外に負ける相手がいたのか―。


《ムカついたから逆に引っこ抜いてきた》


 可哀相に……。

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