虹界のノア

あおき りゅうま

第一話 IDNo-D101-ロウ・クォーツ

 人間が地球から離れて———500年の時が経った。

 人類は過去に赤い惑星だった火星をテラフォーミングし、人が住めるような環境へと作り変えた。

 それは人類の革新であった。

 人が住むことができない紅い荒野を、【ナノマシン】という万能粒子によって作り替えたのだ。

 天才———マギ・ダリア博士が開発に成功した【ナノマシン】。それは一ナノメートル以下の粒子機械。ありとあらゆるものを全く別の物質に〝変質〟できる―———まさに魔法の粒子だった。

 二酸化炭素を酸素に―――。

 砂を鉄に―――。

 石を水に―――。

 【ナノマシン】は書き込まれたプログラミング通りに他の物質を〝書き換え〟、火星はわずか百年足らずで緑あふれる大地、理想のフロンティアへと〝書き換え″させることに成功した。

 火星は、もう火の星、人が住めない星と同じ名前で呼べない。

 第二の地球―――天上の星・エデンと呼び名を変えた。

 新たに生まれた新天地―――そこに、人類は次から次へと移り住んでいった。

 文明が生まれる前のような美しい緑と大地と蒼海が広がる世界。その地で人は子供を作り、街を造り、新しい環境を創り上げていった。

 再び、文明を築き上げていったのである。

 ただ、ままならないものでマギ・ダリア博士がほぼ一人で創り上げた【ナノマシン】は、誰もその仕組みがわかっていなかった。制作されてから100年以上の時が経過したのも悪かった。

 結果、誰も【ナノマシン】へ新しい命令を送る方法、プログラミング方法が分からず、【ナノマシン】は……元から刻み込まれた命令を忠実に守り続け、火星を、いや、エデンを〝書き換え〟ていった。

 木々が異常に繁殖し、森はとめどなく広がり、巨大な砂漠には特異な機械生命体が生息しだし、巨石が空中に浮遊した。

 独特の環境を火星にもたらした【ナノマシン】。その行き過ぎた環境に対する〝変質〟活動はもはや、暴走としか呼べないものだった。

 誰も止めることができない【ナノマシン】の暴走。

 そして、それでも人は平穏な文明生活を築き上げ、なんとその【ナノマシン】の暴走と共存をし始めた。

 浮遊巨石の上に家を築き、機械生命体を家畜として飼いならし、栄え続ける森の木の上に都市を作った。

 人は、環境適応能力という面においては〝進化〟をしたのかもしれない。

 だが―――人の本質は、変わらなかった。

 紀元前という暦が生まれて5021年の時が経過したとしても――――。

 エデンでも人々はいがみ合い、全てを壊す争いは生まれていく。

 環境の違いによって国境線が引かれ、価値観文化の違いによって衝突し、血が流れる。

 人々はまだ、争いを続けていた。

 恐らく、これからも、ずっと―――。


 〇


 まぁそれはそれとして、同じようになんの変化もない日常を送り続ける者も存在する。


「ハァ~」


 アカデミーの図書室で窓の外を眺めるこの少年がそうだ。

 短髪で平々凡々の容姿をした、少し筋肉質の健康的な少年。

 目の前にはエデンの歴史書と、過去のある偉人の伝記『ジェミニスター物語』が置いてある。

 その二つの書物を読書中に、急に憂鬱な気分にとらわれて、彼は外の世界に思いをはせていた。

 瞳が見つめる先に、胡坐をかいた状態で浮遊する―――鋼鉄の巨人がいる。

 青空の上に、人型の。

 機械の巨人は一機だけではない。六機もいた。それらは編隊を組んで……いわゆるデルタフォーメーションという三角形の形を作り、規律を持った飛行をしていた。


「【プシュケロス】が飛んでいる。珍しいなぁ、パレードかな」


 錫杖しゃくじょうを持ち、六本の腕を持つ阿修羅の仏像のような機体―――その名は、【プシュケロス】。

 彼ら暮らしているシグマデルタ都市軍が運用している巨大無人兵器―――【オートフレーム】だ。

 仏像という兵器に似つかわしくない外見だが、立派な軍事兵器で、エデンで運用されている【オートフレーム】の中で最高の性能を誇る、最強の機体だ。

 何千年と戦争を続けていると、人はやがて戦うこと自体におっくうになってしまったらしい。

 最新の戦争はそのほとんどをAIにまかせている

 無人兵器と無人兵器が衝突する戦場。

 それがエデンの各地で展開され、その期待の性能によって国の民草の人生が左右される。

 あの仏像のような【オートフレーム】―――【AF】に自分たちの明日が握られると思うとぞっとするが、この少年はそういうのをとりあえず心の奥底の棚においておけるタイプだ。

 巨大ロボットはカッコいい。

 そういう思いで胸を見たし、瞳を輝かせることができる。現金ともいえる性格を持っていた。


「『ID:Noナンバー―――D101』。ロウ・クォーツ。進路面談の時間だ。指導室に来なさい」


 理知的りちてきな男の声が響く。

 図書室の扉に眼鏡の男が立っていた。

 僕は窓の外に思いをはせるのをやめ、本を拾いながら立ち上がる。


「すぐに行きますよ。ウェールズ先生。本を片付けたらすぐにね」


 黒ぶち眼鏡が似合う中年の教師―――オリバー・ウェールズは彼の持つ本のタイトルを見て、顔をしかめた。


「『ジェミニスター物語』……ロウ。君はその歳でまだそんなものを読んでいるのか? 一点減点だな」

「減点? これを読んでいるだけで? 先生だって子供の頃、読んでたでしょう?」

「だが、十六歳にもなって読んではいなかった。君は社会に貢献する素晴らしい大人にならねばならない。私もそう教育しなければならない。その素晴らしい大人が読むものにそんなおとぎ話は必要ない」


 断言され、ロウは肩をすくめる。


「先生。先生はこの物語をおとぎ話、夢物語と切って捨てましたが、この本が伝えることは素晴らしい。それこそ夢だ。夢そのものだ。人は夢を持たないと生きていけない、前に進んでいけない。その活力が人を人たらしめ、今のこの世界を作っている。先生だって子供の頃は外宇宙だったり、人類が作ったと言われる救いの船―――箱舟ノアに思いを馳せたでしょう? 【ナノマシン】がなくても人類は……」

「おっと」


 語り始めるロウを手で制する。


「とにかく、君は本を片付けるんだ。夢も希望も、今、図書室の扉の前で、立ちっぱなしで話すことじゃない。進路指導室で座って話すものだ。いいな? バンドマン」

「―――ハイ、先生」


 反論しても無駄だと、手を挙げて本棚へと向かった。

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