第3話

 


 〈紫煙しえん〉というスナックは、千川通りから路地を入ったビルの一階にあった。――ドアを引くと、ドアベルの音と共にカウンターの女が振り向いた。時間が早いせいか、客は居なかった。


 この女が結香の母親か……。厚化粧をした結香に似ていると、晶子は思った。


「いらっしゃ……」


 場違いの女客に面食らっていた。


「私、武藤と言いますけど、失礼ですが、結香さんのお母さんでしょうか」


「そうだけど、また、警察?」


 母親がいかめしい顔をした。


「……また、警察って、結香が何をしたんですか?」


「……あんた、誰?」


「友だちです」


「友だち?……随分、歳が違うね。私の友だちってんなら分かるけど」


 母親は、灰皿の煙草に手を伸ばした。


「歳の離れた友だちがいてもいいでしょ?それより、結香ちゃんが何したんですか」


「……殺されましたよ」


 母親は、横を向いて煙を吐いた。


「えーっ!……こ、殺された?」


 晶子は、自分の耳を疑った。途端、結香との出来事が走馬灯のように駆け巡った。


「ど、どこで、いつ?」


「あんた、ニュース見てないの?×日の夜よ。池袋のラブホテルで、首を絞められて」


「……」


 その事件は知っていた。だが、身元が判明する前だから、当然、名前は出ない。……あの、殺害された高校生が結香だったなんて……。×日と言えば、結香と居酒屋で呑んだ翌日だ。


「で、犯人は?」


「……いや、まだ」


 母親は不味まずそうに煙を吐くと、煙草をもみ消した。


 母親の「……いや、まだ」には、「捕まっていない」と続くのだろうが、「……いや、まだ」で、口をつぐんだのは、犯人を知っている、と晶子に思わせた。


 カランコロン。ドアベルが音を立てた。


「あら、スーさん、いらっしゃい」




 ――結香との短い付き合いが、自分の人生のすべてだったかのように、結香とのシーンが頭にこびりついて、鉄兜のごとく覆い被さっていた。「ウザいんだよ!」「オバサンっ!」「ババーっ!」……。結香の汚い言葉が、いつまでも耳から離れなかった。


 結香。誰に殺されたの?……どうして、ラブホテルなんかに居たの?やり直すって、約束したよね?……なんでだよっ?なんでだよっ!「結香のバカヤローっ!」晶子は、星も見えない都会の空に向かって怒鳴ると、声を上げて泣いた。



 翌日、図書館に行くと、結香の事件が載った新聞を漁った。


【――女子高生は、ベッドに仰向けの状態で倒れており、着衣に乱れはなかった。死因は、首を絞められたことによる窒息死。死亡推定時刻は、×日の午後6時半前後とみられ、先にホテルを出た中肉中背の男は、黒っぽい野球帽に黒っぽいジャンパーだったとのこと。年齢は40~50歳ぐらい。被害者の財布や携帯電話がないことから、行きずりと顔見知りの両面から捜査をしている】


 いや、行きずりなんかじゃない。やり直すと約束したんだから。それに、あの母親の様子からして、絶対、顔見知りの犯行だ。……結香にはボーイフレンドはいなかったのかな……。


 母親から話を訊こうと思い、菓子折りを手土産にすると、要町のマンションに向かった。――時間を見計らって訪ねたものの、母親は化粧っけのない寝起きの顔を眩しそうに歪めた。



「――結香ちゃんにボーイフレンドはいました?」


「さぁね。娘のことは関知しなかったから」


 インスタントコーヒーを淹れながら、上の空で答えた。2LDKの部屋を見回すと、リビングにも、結香の部屋だと思われる机の見える部屋にも、結香の遺影は無かった。


「日記帳とかは?」


「さあ……。私はあの子の部屋はいじったことないから」


 母親は、コーヒーカップを晶子の前に置くと、ガラスのテーブルを挟んだ。


「日記帳を探してもいいですか?」


「……そんなもの探してどうするの?」


 煙草に火を付けようとした母親がいぶかしげな顔を向けた。


「どうするって、犯人を捕まえたくないんですか?」


「そんなのは警察がやってますよ。日記帳があったら押収してるでしょうよ」


 レースのカーテンを引いた窓辺に顔を向けた。


「……どうして、ラブホテルなんかに」


「さぁね。あの子に訊いてみないと分かりませんよ」


 感情を抑えていた晶子だったが、母親の結香に対する愛情の無さや、人面獣心じんめんじゅうしんな態度に我慢できなくなっていた。


「おいっ、こらっ!死んだ結香にどうやって訊くんだよ。あー?」


 突然の晶子の剣幕にびっくりした母親は、指に挟んでいた煙草をレザーのソファに落としてしまった。慌てて拾うと、呆気に取られた顔を向けた。


「あんた、それでも母親かよ。てめぇが産んだガキだろが。私は結婚したこともなけりゃ、子どもを産んだこともないけど、人並みに愛情の欠片かけらぐらいはあるよ。あー?赤の他人の私が心配してるって言うのに、実母の当のあんたは無関心か。あー?あんな不良にしたんだって、てめぇの責任だろがっ」


「……」


 煙草をもみ消した母親は、居心地が悪そうにソワソワしていた。晶子は、ジャケットの中のシャツのぼたんを外すと、


「ほら、見なよ」


 と、左肩を出して、シャツを捲った。


「おめぇのガキに傷つけられたあとだ」


 母親は目を丸くしていた。

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