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「希に逢いたいと……ずっと思っていた……。希の顔を見たいと……ずっと思っていた……。でも……希の顔を見るのが怖かった……。翔吾を失った現実を認めることが辛くて、希に逢うのが……怖かった……」


 舞は俺の腕の中で泣き崩れた。


 舞が角膜移植手術を受けないのは、俺が死んだことを認めたくないから……?


 それと希ちゃんが、どう関係があるんだ……?


 俺は混乱していた。

 希ちゃんは……結婚相手の子供じゃないのか……?


 ――ま、まさか……!?


『希ちゃんは俺の子供なのか……? あの時……大切な話があると言ったのは、希ちゃんのことだったのか……?』


 舞は泣きながら頷くと、ゆっくり話し始めた。


「あの時……私は妊娠していたの……。でも二人ともまだ二十歳の学生で……どうしたらいいのかわからなくて……。翔吾に話すことも躊躇っていた。妊娠を告げることで二人の関係が壊れそうで……怖くてなかなか言いだせなかった……」


『どうして……もっと早く言ってくれなかったんだよ。俺は舞のことを愛していた。妊娠していたなら、大学を辞めて就職してもよかったんだ……』


 俺は動揺していた……。

 希ちゃんが自分の子供だなんて、考えたこともなかったから……。


「翔吾が亡くなったあと、私もあとを追って死ぬつもりだった……。屋上から飛び降りようとした私を救ってくれたのは、担当医だった。あの事故で流産しても不思議はなかったのに、赤ちゃんは生きていてくれた。担当医だった夫は、私に生きることを諭した。翔吾のために、赤ちゃんのために、強く生きるように導いてくれた。心が折れそうな時は、黙って傍にいてくれた。だから……私は翔吾の元へ逝けなかった……」


 泣きながら詫びる舞の話に、涙が溢れた。


 何も知らなかった自分が不甲斐なくて……。


 舞の哀しみも、舞の苦しみも、何も知らないで……、黙って逝ってしまった自分が情けなくて……。


『もう、大丈夫だよ……。俺が傍にいるから……。ずっと、舞の傍にいるから……』


 俺は強く舞を抱きしめる。


 死んでしまった俺が……。

 舞に出来ることは、何も残されてはいないのに。


 この時間も……。

 永遠とわに続きはしないのに。


 舞を抱き締めたまま、涙が止まらなかった……。


 ――夜空から星が消え、小雨がパラパラ降り始めた。


 俺は舞の手を取り駐車場に戻る。

 助手席に舞を乗せ、車に乗り込んだ。


 雨はザーザーと音を立て、フロントガラスに打ちつける。俺は舞の手をそっと握った……。


『舞……お願いだ。手術をして欲しい。光を取り戻し、希ちゃんをその目で見て欲しいんだ……』


 舞は俯いたまま涙を溢した。


「翔吾は……私にそのことを伝えるために……逢いに来てくれたのね」


『そうだよ。これが俺の最後のお願いだ……』


「中間が亡くなる前日、私にこう言ったの。『もしも……手術を希望する日がきたなら、友人の片岡医師に相談するように』と……」


『片岡医師に、明日二人で相談に行こう。俺も一緒に行くから。もしも俺の声が聞こえなくなっても不安がらないで。俺はずっと舞の傍にいるからね』


 俺達は明日病院へ出向き、片岡医師に相談することを決めた。


 不安がる舞の手を握り締める。


『大丈夫だよ。俺がついている』


 ――君が失った光を、俺が必ず取り戻す。


 その瞳に……。

 美しい風景や……。

 希ちゃんの笑顔を……。


 ――そして、俺も……。

 あの頃に見た君の笑顔に、もう一度逢いたいから。

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