42

 車を走らせ、無事に希ちゃんの家の前に着いた。

 チャイムを鳴らすと、暫くして舞さんが出てきた。


「どちら様ですか?」


 舞さんが俺に問い掛ける。


「こんにちは。明日香です。希ちゃんが風邪を引いたと、遥ちゃんから聞いて……」


「まぁ、明日香君? わざわざお見舞いに来てくれたの?」


 舞さんはにっこり笑った。


「希、明日香君がお見舞いに来てくれたわよ」


 二階から「えぇー! うそぉー」と、希ちゃんの声がした。ドタドタと音がして、何やら慌てているようだ。


「希、明日香君に上がって貰うわよ」


「マ、ママ、待って待って! 五分だけ……待って」


「クスッ、明日香君、先にお茶でも。さぁ、上がって下さい」


 舞さんはスッと手を伸ばすと、俺の手を取った。目の見えない舞さんを支えるつもりで、舞さんの手に触れる。


 手と手が重なり、不思議な感情が湧き起こる。触れた手のぬくもりがとても懐かしく感じられ、思わず舞さんを見つめた。


 リビングに通され、俺はソファーに腰を降ろす。舞さんはキッチンに移動し、慣れた手つきでコーヒーを入れ始めた。


 その自然な立ち振る舞いに、とても目が見えないとは思えないほどだ。


 室内はコポコポとコーヒーの沸く音と、コーヒーの香ばしい匂いに包まれる。


 ◇◇


 ――翔吾の記憶が甦る――


 舞の家に遊びに行くと、舞が必ずコーヒーを入れてくれた。


『翔吾、ブラックだよね』


 そう言うくせに、いつも受け皿にコーヒー用のミルクとシュガーが乗っていた。


『あっ、間違えた』


『いつも間違えるんだから』


 そそっかしい舞を見て、俺はいつも笑っていたっけ。


 ◇◇


「明日香君、コーヒーにお砂糖とミルクは入れる?」


 舞さんが俺に問いかける。


 ――ふと、我に返る。


「いや、ブラックで」


 一瞬、舞さんの動きが止まった。


「あっ、俺、自分で取りに行きますから」


 目の見えない舞さんを気遣いキッチンへ向かい、コーヒーを白いカップに注いだ。


 舞さんが冷蔵庫からコーヒー用ミルクを二つ取り出し、一つを俺に差し出した。


「あっ、間違えた。ブラックだったわね」


 舞さんはにっこり笑った。


「いつも間違えるんだから」


 翔吾の言葉をつい口走ってしまった俺に、舞さんが戸惑いの表情を浮かべる。


「えっ……? いつも?」


「あっ……いや……」


 口ごもっていたら、二階からバタバタとスリッパの音を鳴らし、マスクをつけた希ちゃんが降りてきた。とても熱があるとは思えない。


 希ちゃんは俺を見ると、恥ずかしそうに笑った。


「希ちゃんこんにちは。突然来てごめんね。風邪はもう大丈夫なの?」


「うん。明日香君の顔を見たらもう治っちゃった」


 希ちゃんの返答に、舞さんがクスクス笑っている。希ちゃんは時折咳をしながら、熱は平熱に下がったと話した。


「俺、明日、迎えに来るよ。親父が車を買ってくれたんだ。白いスカイラインなんだ」


 舞さんの顔を見ながら喋る。

 舞さんには俺の表情は見えない。


「白い……スカイライン……」


 舞さんが動揺しているのが見てとれた。


「嘘!? 嬉しい。明日までに絶対治すからね。絶対迎えに来てね」


 はしゃいでいる希ちゃん。

 俺は舞さんの顔を見つめながら話を続けた。


「クラクションを二回鳴らすから、そしたら出て来て」


 そう言った途端、舞さんが黙り込んだ。

 希ちゃんは嬉しそうに、明るい声で返事をした。


「うん! クラクション二回ね」


 俺は二時間ほど希ちゃんの家にいたけど、舞さんはあれから一言も喋らなかった。


 ――舞さん……。


 俺は……わからないんだ……。


 翔吾の想いを、どう伝えればいいのか……。


 その方法が……わからないんだ……。


 こんなやり方をして、舞さんを傷付けたなら……。


 ごめんなさい。

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