36
希ちゃんが俺に歩み寄りメイの頭を撫でる。メイは気持ちよさそうに、ゴロゴロと喉を鳴らした。
棚の上の写真は、若い頃の舞さんと優しそうな男性。男性が小さな女の子を抱き上げている。彼こそが舞さんの夫に違いなかった。
「これがパパなんだよ。私と似てないでしょう。クスッ、顔はあんまりハンサムじゃないけど、優しいパパだったんだ……」
「優しさが写真から伝わってくるよ。お母さんも希ちゃんも素敵な笑顔だね」
写真の舞さんは、幸せそうに微笑んでいる。
ここには、三人で築いたささやかな幸せがあった。
翔吾と過ごした日々とは異なる、ささやかな幸せが……。
「なに二人で見つめ合ってんの。メイ、久しぶりだなぁ」
無理矢理抱こうとした田中に、メイは反撃する。
「フギャ!」
「……いててて、引っ掻かなくてもいいだろ」
「メイは覚えてんだよ。お前に
「ちぇっ、謝ったじゃん」
田中は何度もメイに手を伸ばしたが、そのたびにガリガリと引っかき傷が増え、田中は悲鳴を上げた。
「みなさん、こちらにどーぞ」
振り返るとテーブルの上には苺のケーキ。生クリームの上にたっぷりの苺が乗っている。とても手作りケーキとは思えないほどの出来栄えだ。
「すげぇな。このケーキ超美味そう。希ちゃんとお母さんの合作なんだよね?まるでパティシエみたい」
「……やだ。田中君オーバーね。でも自信作だよ。みんな座って」
「遥ちゃん、一緒に座ろう。俺の膝の上でもいいよ」
「……まじ、うざい」
田中は子供みたいにハシャイでいる。
空回りしている洗濯機のようにガタガタと煩い。
「遥ちゃん、俺と初めての共同作業しない? ナイフでケーキ入刀! なんちゃって、アハアハ。俺が食べさせてあげるよ」
ヘラヘラ笑ってる田中に、遥ちゃんがトドメをさす。
「バカじゃないの? そのナイフで自分を刺せば」
「俺のハートに、もう遥ちゃんの恋の矢は刺さってるよ」
「……本当にバカ。二度と私に話し掛けないで」
遥ちゃんは怒っていたけど満更でもなさそうで、田中はいつものようにみんなを笑わせて場を和ませた。
舞さんも楽しそうにニコニコ笑っている。
希ちゃんが俺に話し掛けたが、俺はうわの空だった。
舞さんの傍にいられることがとても心地よくて、何とも言い難い懐かしさに胸が熱くなる。
この気持ちは翔吾の気持ちなのか……?
俺は涼ではなく翔吾なのか……?
自分でも混乱してよくわからなかった。
◇
オヤツタイムのあとは、ゲームをしたりDVDを観たり、時間を忘れるくらい楽しく過ごした。
舞さんに夕飯までご馳走になり、午後八時希ちゃんの家を出る。
「長々とおじゃましました。明日香がバカ騒ぎして申し訳ありませんでした」
田中は舞さんに深々と頭を下げる。
「……っ、それは田中だろ。今日はありがとうございました」
「希、また来るね。おばさんご馳走様でした」
田中の暴走に赤面しながら、頭を下げる。
舞さんに俺達は見えないのに、俺達は何度も玄関先で頭を下げた。
「今日は楽しかったわ。また、是非遊びにいらしてね」
玄関先で舞さんが微笑んでいる。
「明日香君、また、来てね」
希ちゃんが俺を見つめて小さく手を振る。
「えっ!? 涼だけ!? 俺は? 俺は? そりゃないよ、希ちゃん」
「当たり前でしょう。あれだけバカ騒ぎしたら誰も誘わないし」
遥ちゃんが突っ込まれ、田中はシュンと肩を落とした。
俺は翔吾の想いを伝えるためにここに来たのに、そのきっかけすら掴めず、とうとう話し掛けることもできず、ただ舞さんを見つめることしか出来なかった。
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