ない……っ!


「社長、なんか機嫌悪くないですか?」


 昼休み明け、支社からの書類を持ってきた壱花が倫太郎に訊いてくる。


「別に」

と倫太郎が目も上げずに言うと、


「そうだ。

 今日、冨樫さんにお蕎麦おごったんですよ」

と壱花は自分からその話をしてきた。


「前行って美味しかった店なんですが。

 今日行っても美味しかったです。


 今度行ってみませんか? みんなで」


「……待て。

 前行って美味しくて、今日行って美味しくないことがあるのか」


 まるで、なにかの謎かけのようなことを言ってくる壱花にそう問うたが、


「いやいやいや、ありますよ~」

と壱花は屈託なく笑って言ってくる。


「前回は友だちと呑みながら食べたんで。

 ほら、酔っ払いの美味しいって当てにならないって言うじゃないですか」

と自らの舌すら疑い、壱花はそう言ってきた。


 ふうん、と気のない素振りで言ったあとで、

「みんなって誰だ?」

と確認してみる。


 壱花は深い考えもなく、みんなと言ったようで、えーと、と考え、

「冨樫さんとか?」


 また冨樫か……。


「あと、高尾さんとか?」


 似た顔の連中ばかりだな。


 みんなと言ってしまった手前、もっと人数がいるかなと思ったのか。


「……ケセランパサランとか?」

と言ってきた壱花に、


「料理屋に埃をもってくとか営業妨害だろ」

と言うと、


「埃じゃないですよ~。

 可愛いのに」

と言い返してくる。


「万が一、あれが飛び跳ねる埃だとしても」


 ……怖いだろ、飛び跳ねる埃。


「グレーじゃなくて、白だからちょっと清潔感あるじゃないですか」


「いや、ないだろ……。

 お前、職場にも持ってきてるんじゃないだろうな」


「ひっついて来てるときはありますけどね。

 そういえば、社長の寝室の隅で見たことありますよ」

と言われ、なにっ? と言いかけたとき、


「ないっ!」

という冨樫の叫びがドアの向こうから聞こえてきた。





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