第39話

「時間は常に有限よ? それに私は気が短いの」


 フォルテナの言葉に押される様に、ディオラはゆらりと立ち上がった。

 そしてゆっくりと歩いてくると、俺の胸倉をつかみ上げた。

 ディオラの目には、明確な敵意と怒りが揺らめいている。


「お前が、お前がこの街に来たから!」


「おや、熱い掌返しだね。さっきまではアクトを頼っていたっていうのに」


「お前達が俺達を巻き込んだんだ! お前達がこの街に来なければ、妹も、ローナも、俺も、誰も不幸にならずに済んだ!」


 その怒りに、俺は返す言葉を持たなかった。

 反論の余地などあるはずもない。

 ディオラの主張は事実でもあるのだから。


 大切な人を傷つけられれば、誰でも怒りを覚える。

 それも殆ど関係のなかった争いに巻き込まれ、今にも殺されそうになっている。

 申し訳ないと言える立場でもなければ、許しを乞える立場でもない。


 その可能性に気付いていながら、俺はこの場所に立っているのだから。 


「話を聞いていなかったのかい? ヴィオラはすでに監視下に置かれていたんだよ。遅かれ早かれ、こうなっていたとは思うけれど」


「黙れ、同族殺しの畜生が! お前から殺すぞ!」


 ディオラの咆哮が、ファルズを黙らせる。

 ファルズの言葉ももはや届かず、ディオラは完全に冷静さを失っているように見えた。

 愛すべき婚約者が人質に取られているのだから当然か。

 ただこの状況を心の底から楽しんでいる人間がいた。

 

「あはは! いいわね、最高。これ以上楽しい娯楽なんて、きっとないわ」


 場違いな笑い声が暗闇の中に響き渡る。

 この混沌とした場をそれほどまでに気に入ったのか。

 見ればフォルテナは心底楽しそうに手を打ち鳴らしている。  


 心の底から怒りが湧いてくるが、今はそれを押し殺す。

 女は最後に殺せればそれでいい。

 今はディオラとヴィオラと敵対せず、この状況を切り抜ける必要がある。


「落ち着け、ディオラ。話し合って、なにか解決方法がないか考えよう」


「武器を置け! 今すぐに!」


「あぁ、ほら」


 抜き身だった剣を地面に突き立て、刺激しないようディオラとの距離を置く。

 俺の傍にいたファルズも腰の短剣を取り外し、地面へと投げ捨てる。


「僕のも預けるよ。丁重に扱ってほしい」


 そう言いながら、ファルズは一瞬だけ俺の方へと目配せをした。

 この状況を打開できる策はあるのかと、確認したのだろう。

 答えるように視線を、自分の剣へと向ける。

 あの剣自体が俺の打開策ではある。

 時間を稼げて、なおかつ気付かれなければ、の話だが。


 ただ、ふと顔を上げると、ヴィオラと目が合った。

 彼女はなにかを察したように、混乱の渦中にいる兄へと語りかける。


「兄さん、聞いて。落ち着いて、よく聞いて」


「ヴィオラ、俺は……。」


「兄さんは自分の人生を投げうってまで私を育ててくれた。兄さんは優しいから冒険者に向いてなかったことも知ってる。それなのに私が不自由なく暮らせるようにって、恐ろしい魔物に立ち向かってくれたことも、知ってる」


 ヴィオラは心中の吐露を続ける。

 抱いていた家族への思いを。


「だから今度は兄さんが幸せになる番だと思う。私の事は忘れて、ローナと幸せになってね」


「ほんきで、言ってるのか? 俺に、殺されるんだぞ?」


 間一髪。俺の剣に手を掛けようとしていたディオラが、後ずさる。

 そしてヴィオラは、さらに実の兄の決断を促すように、前へと進んだ。


「もちろんよ。私はもう、このスキルに振り回される人生は疲れたの。ここで終わる事が兄さんの幸せになるのなら、それでいいと思えるほどに」


 ヴィオラの放ったその言葉は、真に迫っていた。

 断片的にしか知らないが、ヴィオラはスキルに振り回され、必要のない傷を心に負っている。

 ファルズとの関係の悪化も、その一つに違いない。


 受け入れ、愛した相手に裏切られたという事実がヴィオラをそうさせた。

 ファルズを愛していたからこそ裏切られた時、自身の心を守るために好意を反転させた。

 それほどまでに傷つく必要があるのなら、死んでも構わないと思う程に。

 

 ただその堅い決意も、ディオラを動かすことはできない。

 理由がなんにせよ、自分の命を投げ売ってまで兄の幸福を願う彼女を、ディオラが手に掛けられるか。

 命より大切と言われる程に溺愛していた妹も、果たして殺せるのか。

 

 婚約者と妹。

 二つの命の天秤が揺れ動き、ディオラは動けないでいた。

 ただフォルテナは、すでに動き出している。


「決まったみたいね。なら早く殺しなさい、ディオラ。貴方の愛する人が待っているわよ?」


 そして、再び火球が輝きを増す

 フォルテナがどんなにクズな人間であっても、操る魔法は一線級だ。

 無防備なローナがそれを受ければどうなるか。

 想像するまでもない。


 追い詰められたディオラはまず、俺とファルズを殺すだろう。

 この街に争いを招き、婚約者を危険な目に合わせた元凶でもあるのだから。

 だがそれに抵抗すればローナが殺され、ヴィオラと対立してしまう。

 加えて下手に動けば、倉庫の中の魔法で全員が殺される可能性もあった。


 八方ふさがりな状態に、思わずため息をつく。


「手詰まりか。まさかお前に殺されるとはな、フォルテナ」


「可愛そうにね。自分が何と戦っているのかさえ分からない内に死ぬなんて。でも仕方がないわ、貴方は彼女と違って不完全な存在なのだから」


「彼女? イベルタじゃないのか」


「ふふ、そうね。間違ってはいないわ。でも貴方の認識ではそこまでが限界よね」


 フォルテナは俺を見下し、そして嘲笑う。

 裏切ったときと、全く同じように。


「容易に話す程、無能じゃないか。ベセルは色々と俺に話してんだが」


「あの男は当初から使い捨ての駒だったの。貴方を足止めするためのね」


 どうりで、有用な情報を聞き出せなかったわけだ。

 それにあの男に固執している間に、見事にロロとフォルテナは姿を消した。

 相手の作戦は俺の考えの遥か先を行って――


「今、俺を足止めするためと言ったな」


 俺の質問の意味が伝わったのか。

 初めて、フォルテナの瞳に剣呑な光が宿る。

  

 フォルテナの言葉は、矛盾している。

 大前提からして間違っている。

 

 なぜ俺が、あのダンジョンから生きて戻ることまで想定して作戦を練っているのか。

 それではまるで、俺が破壊者のスキルを会得することを視野にしていたかのようではないか。 

 果たして、そんな事が可能なのか。


 スキルは神々から賜った唯一無二の恩恵である。

 それを事前に予測する事が可能な人間がいれば、それはある意味で、神に近しい存在だ。

 イベルタと言う名前に加えて、スキルの予測。

 俺が戦っている相手は――


「アクト、もうディオラが限界だよ!」


 ただその時、ファルズが声を上げた。

 見ればディオラはゆらゆらと俺の剣へと手を伸ばしていた。


「分かった。もう十分に時間も稼げた事だしな」


 即座に自分の剣へと肉薄し、柄の握りしめる。

 驚愕の表情を浮かべるディオラだったが、今は説明している余裕はない。

 ただ俺の行動を見たフォルテナも、焦燥感の透ける声音で叫んだ。


「武器から手を退けなさい!」


「強気に出るのもそこまでにしとけよ。もう、お前に勝機は無いんだからな」


 とっさにフォルテナが魔方陣を起動する。

 ただ、もう遅い。

 すでに俺のスキルは起動していた。


 体内の魔力が一気に消滅する。

 激しい眩暈は襲い来るが、倒れる訳にはいかない。

 ありったけの魔力奪い去ったスキルが、その効力を現した瞬間。

 

 魔力が一気に放出され、剣を伝って、地面を伝って、伝播する。

 暴走した魔力が全てを飲み込み、そして崩壊させる。


「ゼル・デトネーション!」


 大気すら震える魔力の奔流が、俺の周囲を除く、ありとあらゆる物を、消滅させた。

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