第28話

 数回の痙攣の後、ミスリル・エルゴンの胴体は力を失い地面に伏した。

 頭部は弾け飛んだが、胴体は無傷のままに残っている。

 背後から戦いを見ていたレリアンには、ミスリル・エルゴンが唐突に動かなくなった様に見えただろう。

 あれだけ出し渋った切り札が敗れた今、呆然と立ち尽くしていた。


 そして俺が返り血を拭い去る頃に、ようやく一言。

 

「な、は?」


 いや、言葉とは言えないか。

 レリアンには先ほどの余裕はなくなり、動揺を隠せずにいる。

 まさか自分の切り札がこうもあっけなく破られるとは思っていなかったのか。

 

 生かしておく理由など微塵もない。

 未だに事実を受け入れられていないレリアンへと、歩を進める。

 しかし背後から制止の声がかかった。


「アクト、僕がやろうか?」


「いいや、俺にやらせろ。俺が殺すべき相手だ」 


 ファルズの手を汚させる訳にはいかない、などという上等な理由ではない。

 純粋に、ただ単純に、俺が殺すべき相手だと判断したまでだ。

 ミスリル・エルゴンだった肉塊を踏みつぶし、レリアンの元へと向かう。

 そしてようやく、俺の姿を見つけたレリアンは、壊れたように半笑いを浮かべた。


「ここで俺を殺したって無駄だよ。いずれ君は殺される。それが少し先延ばしになっただけさ」


「俺の復讐の邪魔をする相手は叩き潰す。それが誰であろうと、どんな相手であろうとな」


「はは、それじゃあ僕達は変わらないよ。自分の目的の為に人殺しを良しとする、君達が恨む人々と何ら変わりない姿だ。それでもいいのかい?」


「あぁ、そうだな。今や俺もお前達と同族だ。だからどうした?」


 この状況で挑発を繰り返す勇気は、賞賛に値する。

 たとえそれが死ぬ間際の、意地悪い足掻きであったとしても。

 レリアンの視線は、常に俺ではなく、俺の握った剣に向けられている。 

 抵抗しても無駄だと理解したのか、レリアン自身が武器を抜くことは無かった。

 

 そんな相手に、スキルを発動させるまでもない。

 まだミスリル・エルゴンの血が滴る刃を振り上げる。

 

 その瞬間、自分は戻れない場所まで来たのだと自覚する。

 無抵抗な相手を殺すというのに、一切の慈悲や哀れみを感じないのだ。

 あるのはただただ、怒りだけ。

 その怒りを刃に乗せ、そして狙いを定める。


 自分の死の瞬間を悟ったのか。

 レリアンは一歩、後ろへ下がった。

 ゆっくりと深淵の底へと倒れていく。


「この、狂った人殺しが。地獄へ落ちろ」


 言い捨てて、深淵の底へ落ちるつもりだったのだろう。

 だが、それを許すはずがない。


 とっさにレリアンの首元を掴み、力任せに引き戻す。

 そして目を見開いたレリアンに、一言。


「願わずとも落ちてやるよ。お前達を皆殺しにした暁にな」


 横なぎに、一閃。

 切り飛ばしたレリアンの頭部が深淵へと落ち、それを追いかけるように胴体も暗闇に吸い込まれていった。

 

 ◆


 下層での戦闘の後、俺達は最下層へと続く階段を降り始めていた。

 細心の注意を払いながら、劣化した階段を一段づつ進む。

 下手をすれば上で弾け飛んだ人間の血や肉で足を滑らせることになる。

 そのため意識を足元に集中させており、必然的に口数が少なくなる。

 

 ただ黙っている理由は、ほかにもあった。 

 レリアン達との戦いに加えて、ミスリル・エルゴンの存在。

 そしてそのミスリル・エルゴンをも支配下に置く『彼女』と呼ばれる人物。

 得られた情報を組み合わせてみても、今だに全貌は見えてこない。

 

 それどころか、最初に目標としていた四人への復讐よりも、事情はさらに複雑になったように思える。

 霞みがかった話の整理を付けようと無言のままで階段を下っていた最中。

 背後で小さな声が上がった


「僕は、自分が悪人だと思っているよ。どんな理由であれ、他人の命を奪っているから」


「あぁ」


「だからどんな罵声を浴びせられても、どんな悪意や敵意を向けられても、当然だと思っていたんだ。僕が選んだ復讐の道は、そういうものだから」


 ふと足を止め、上の段にいたファルズを振り返る。

 結果、俺より少しだけ背の低いファルズと視線の高さが一致する。

 だからだろうか。

 彼女の赤い瞳が、不安で揺れ動いているのがはっきりと分かった。


「だから、イベルタを殺したことを、レリアンは本気で怒っていると思っていたんだ。過去がどうであれ、大切な仲間を奪ったんだから、僕は責められて当然だと思っていた。レリアンが本当に仲間の死を悼むような善人であれば、その怒りを受けることは当然の罰だって」


「だが違った。レリアンは俺達と同類か、それ以上のクズだった。今さら心を痛める必要なんてないだろ」


「違うよ、そうじゃない。怖いんだ、僕は。この連鎖がどこまで続いているのか、想像するのがたまらなく怖い」


 ファルズは身を抱きすくめ、顔を伏せる。

 それは銀狼と呼ばれ恐れられる彼女が初めて見せた、脆い一面。 

 そして彼女が抱く不安というのは、俺も十分に理解できるものだった。

 

 前提が覆され、自分の復讐自体が相手の計算の内にある物だとしたら。

 この復讐は正しいのか。この復讐を続ける事に意味があるのか。

 そもそも復讐は、どこまで続くのか。

 底知れない不安と、不透明な敵の存在。

 そして終わりの見えない戦い。


 俺も当然、気が滅入る事もある。

 しかし見え隠れする敵の姿を前に、見て見ぬふりなどできるはずもない。


「誰かの悪意によって俺達はこの道を選ばされた。ならその元凶を突き止め、全ての代償を支払わせるだけだ。そうだろ」


「できると思っているのかい? ただでさえ誰がイベルタの計画に加担しているのか、わからないんだよ?」


「できる確証はない。だが一歩ずつ確実に、前進している。そして俺は絶対に諦めることはしない」


 ファルズへの返答に思えたその断言は、同時に自分への言葉でもあった。

 俺は、意図的に人を殺した。

 自分の都合で、正義などこれっぽっちもない状況で。


 ベセルの時のように間接的に殺したわけではない。

 たった今、この手を幾人もの人間の血で汚したのだ。

 俺を殺そうとした、あの裏切者共と同じように。

 

 今さら引き返して日常に戻ろうとも、以前の日常には戻れない。

 ただ突き進み、元凶を探し出し、終わらせる。

 それが俺に残された唯一の道でもあり、俺が選んだ道でもあった。 


「強いな、君は」


「自分勝手なだけだ。頑固と言い換えてもいい。そのせいで、仲間に裏切られる程度にはな」


「あはは、そうか」


 どうやら俺の自虐で笑える程度には、気を持ち直したらしい。

 しゃがみ込むファルズに手を差し伸べる。

 予想以上に小さいファルズの手を握り、引っ張り上げる。

 

「じゃあまずは、イノーラを救いに向かうか」


 ◆


 目の前の光景に目を奪われていた。

 深淵の最下層という言葉から、一切の光が届かない暗黒の世界を想像していた。

 しかし広大な地下空間には暖かな光が溢れ、荘厳な神殿とそれを取り囲む色とりどりの花々が咲き乱れている。

 まるで理想郷の様な光景を作り出している。

 どうやら水も何処かから湧き出ているらしく、地下の空間だというのに小川も存在した。

 

「まさかこんな物が地下に作られていたとはな」


「それにこの光、普通の明かりとは違うね。とても暖かい」


 ファルズが見上げた先。

 巨大な神殿の上部で輝く結晶からは、温度を感じる光が溢れていた。

 あれがこの空間全体を照らし、植物を育てているのだ。

 とてもではないが、今の技術では再現できない古代の遺産だ。

 

 そんな結晶を有する神殿の中にも、未知の技術が詰まっているに違いない。

 よく見れば、キュリオス草に混じって見た事のない花々も数多くある。

 それらを持ち帰れば、冒険者としての評価は格段に上がるはずだ。

 だが――

 

「キュリオス草も手にはいったことだし、地上へ戻るか」


 この場所が不可侵の領域に思えて、踵をかえす。

 数本のキュリオス草があればイノーラを救う事はできるはずだ。

 それ以上の功績や利益を優先してこの場所を荒らすことは、気が引けた。

 地下とは思えない美しい風景を眺めていたファルズも、小さく頷き返す。


「そうだね。道は僕が覚えてるから、帰りは任せて」


「あぁ、頼りにしてる」


 レリアンのお陰で時間を使ってしまったが、帰りは問題なく地上へ戻れるはずだ。

 早急に戻ってイノーラから情報を聞き出したい。

 無意識のうちに速足となり、最下層から立ち去ろうとしたその時。


「なにか言ったか?」


「ううん、なにも。どうしたんだい?」


 ファルズは怪訝な顔で首をかしげる。

 ふと、振り返る。

 背後に広がるのは、神殿と花々だけだ。

 俺とファルズの他に誰かがいるわけでもない。

 だが確かに、誰かの声を聞いたのだ。


「なにか、声が――」


 その瞬間。

 体中から力が抜け、崩れ落ちる感覚を覚えている。

 遠くから聞こえるファルズの声。 

 それが嫌に他人事のように思えた。


 その数秒後。

 俺の意識は、唐突に途切れた。

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