第16話

 ファルズが姿を消した後も、俺の座るテーブルに近づく冒険者はいなかった。

 あの考えの読めない獣人を恐れていたのかと思ったが、それと関わりを持った俺もファルズと同族だと思われている様子だ。あの話の内容を聞けば、無理もないだろうが。

 

 ただ周囲から怪異な視線を向けられたとしても、すぐに動けそうにはなかった。

 ほとんど飲み干したエールのジョッキを片手に、何度目かの深いため息をつく。

 偶然にも浮かび上がった裏切者の情報は、悪い意味で想像を裏切るように霧散した。

 もともとイベルタという名前は、特別に珍しい名前でもないのはわかっていた。


 おぼろげにしか覚えていないが、かつて存在したという月の女神が現身として地上に送った少女の名前がイベルタだったはずだ。

 そんな月の女神と対になる太陽神の二大神は、他の神々に比べてもっとも信者が多い。

 信者が多いという事はつまり、それにちなんだ名前を付ける人々も多いということだ。


 少し考えれば、俺の追っている人物とファルズが殺したという人物が、別人である可能性も思い浮かぶはずだった。

 だが、イベルタという名前を前にして盲目的になっていたのか。それとも同一人物であってほしいという潜在的な願望が、無意識のうちに思考を狂わせていたのか。


 どちらにせよ、俺に残されたのはギルドの機嫌をとり、裏切者の情報を回してもらう道だけだ。

 残ったエールを飲み下し、ジョッキをテーブルに叩きつける。とその時、目の前でひとりの冒険者が立ち止まった。


「やぁ。相席、いいかな?」


 そんな声にふと顔を上げると、そこには先ほど見た顔があった。

 ファルズと言い争っていた男――レリアンと呼ばれていた冒険者だ。 


「別にここは俺の指定席ってわけじゃない。座りたいなら座ればいい」


 追い払う気力もなく、そのまま席を勧める。

 するとレリアンは小さく頭を下げて席に腰かけた。


「ありがとう。その、さっきは悪かった。感情的になっていて、つい怒鳴りつけてしまった」


「まぁ、俺も少し気が動転していた。粗暴な物言いで悪かったな」


「俺はレリアン。この場所で冒険者をやってる」


「アクトだ。さっきは悪かったな。どうやら同名の人違いだったみたいだ。すまない」


 礼儀として冒険者流の挨拶を返すが、それだけでレリアンは表情を緩ませた。

 思えば俺に声をかけた時は酷く緊張した面持ちだったように思えた。

 まあ、仲間であるイベルタを殺すはずだったと正面から言い切った相手なのだ。

 そんな相手であっても話し合おうとするレリアンの姿勢から、彼の人の好さが伝わってきた。


「話が通じる相手でよかったよ。あの銀狼と話していたから、同じように凶暴な相手かと思ってたんだ」


「ファルズのことか? 特に話が通じない相手とは思えなかったが」


 確かにファルズは独特な話の間の取り方はするが、それでも話に齟齬が出るほどではない。

 どちらかと言えば、取り繕った言い方をしない分、話が早く進むため好感が持てる部類ですらあった。

 ただなぜかレリアンは苦笑を浮かべたまま首を横に振った。


「それは君だからだろう。普通の冒険者が関われば、殴り飛ばされるか、殺されるかする」


「殺されるは、冗談だろ」


「いいや、本気さ。話を聞かなかったか? イベルタという冒険者の話を」


 その名前が出た瞬間、レリアンの纏う空気が張り詰めた。

 ファルズから多少の話を聞いているが、ふたりの間にある諍いに首を突っ込む気はない。

 小さく頷き返し、最小限の返答にとどめる。


「死んだという話は、ファルズから聞いてるが」


「気のいい冒険者だったよ、イベルタは。仲間のサベージが坑道の中で負傷した時、高価な薬を惜しまず使ってくれた。そのお陰で、サベージは腕を切り落とさずに済んだ。さっき、ファルズと喧嘩をしていたあの冒険者だよ」


「あぁ、さっき殴り飛ばされていた」


「ファルズを前にするとサベージは冷静でいられないんだ。あいつが今でも冒険者を続けられているのは、イベルタのお陰だからな」


 冒険者生命を救ってくれた恩人を殺した相手ともなれば、先ほどの怒りも当然か。

 俺自身も、自分を殺そうとした裏切者を追ってこんな場所にまで足を運んでいる。

 そのうえ意味の分からない依頼まで押し付けられているのだ。

 だがそこまでして手に入れたい情報がある。復讐したい相手がいる。

 復讐心というのは自分でも抑えきれない程に強力な感情だ。


 言ってしまえば、サベージの行動はイベルタを殺されたことへの復讐だ。

 そう考えれば少なからずサベージの感情も理解できた。

 となると気になるのは、イベルタを殺したファルズの動機のほうだ。


「聞きたいんだが、ファルズがイベルタを殺したという情報が正しいとして、その理由はわかってるのか?」


「いいや、あの銀狼がうまく情報を隠しているんだ。唯一、ファルズとイベルタは知己の仲だったという噂がある程度で、ほかにはなにもわかってない」


「つまりファルズは過去の遺恨でイベルタに近づき、殺したと。それを見た者はいないのか?」


「イベルタは魔物との戦闘中に殺され、深淵の最下層へと突き落とされたらしい。それを直接見た者は、あのファルズを除いて誰もいない。だがイベルタは優秀な冒険者だったんだ。そんな彼女が簡単に魔物の攻撃を受けて死ぬとは思えない。それに声も出さず、仲間にも助けを求めず、ただ沈黙の中で死んでいったなんて、絶対にありえない」


 微かに震える声で訴えるレリアンは、テーブルの上で拳を握りしめていた。

 本来ならば冒険者のパーティは、命を預けあう上で家族よりも深い信頼を築くことになる。

 そして困難を何度も乗り越えたメンバー同士の絆は強固となっていく。


 もちろんそれは利点として働く部分が多い。

 しかしこういった仲間を失うといった場面に遭遇した時の、精神的苦痛は計り知れないものになる。

 特にパーティの中心人物などが欠けてしまうと、そのままパーティが空中分解することがある。

 レリアンの話の中では、まさにイベルタは仲間思いの信頼のおけるメンバーだったのだろう。


 そんな彼女を失った記憶を呼び起こしてまで、レリアンは俺に忠告しているのだ。

 あのファルズと関わり続ければ、俺も同じ末路を辿りかねないと。


「だが俺はファルズから怒りを買うような事をした覚えはないぞ」


「それでも、だ。なぜファルズが忌み嫌われているのか知っているか?」


「イベルタを殺したから、だけじゃなさそうだな」


 様子を見るに、そんな単純な理由ではないのだと予想は付く。

 じっとレリアンは俺の方を直視して、語りかけるように言った。


「そうやって取り入った相手を、これまで何人も殺している。そんな噂があるからなんだ。実際にあの銀狼と組むと、不幸を呼ぶと言われている。これまでいくつものパーティが壊滅に追い込まれてる」


 それが噂なのか、真実なのか。俺には真相がわからない。

 だがレリアンはどこまでも本気の様子で続けた。

 喉の奥から縛りだす、怨嗟の様な声で。


「魂さえも凍り付く白銀の世界から、たったひとり訪れた凶悪な獣だ。安易に信用しない方がいい」

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