思わぬ真打~孤独な僕らと猫の皿~
羽毛布団
第1話 落語少女
たとえば班決め。
たとえば席替え。
たとえばクラス替え。
学生という身分は停滞を許されず、常に変化することを求められている。
僕らは与えられた三年間のなかで、社会に出るがために今より心・技・体を拡張しなければならない必要性に駆られているのだ。
息つく暇もない、慌ただしい毎日。
そんな小さい競争社会の中にも、わずかな癒しの時間というものは存在する。
それは、一日三度の飯の時間である。
仲のいい友だちと他愛ない雑談をしながらお弁当をつつくもよし、部活動や宿題に追われながら早めに済ます昼食というのも、いかにも青春らしくていい。
そもそも、食のスタイルは型に囚われてはいけないものである。なぜなら、食事そのものが自由でなければいけないからだ。
バタバタしながら口につめ込む朝食も。
昼前にうなる腹の虫と都合をつけながら考える昼食も。
ふとした空腹から想像する夕飯の食膳も。
そこには遊び心のこもった自由が介入しなければ、とたんに味気ないものになる。
ご飯派かパン派か。
目玉焼きにはソース派か醤油派か。
納豆はいっきにドバッとかける派か、ちびちびと一口ずつ分ける派か……。ちなみに、僕はぜんぶ後者が好みである。
そしてそんな僕が選ぶ、最高の昼食の食べ方とは―……。
「ぼっち飯に限るな。やっぱり」
――誰もいない静かな屋上で、さわやかな風をあびながら口に運ぶ唐揚げ弁当の、なんと美味しいことか。
あふれる肉汁とかき込むご飯。
梅干しの酸味とたくあんのシャキシャキとした食感。
冷めているからこそ染み出るうま味。
会話に脳のリソースを浪費することなく、一人でひたむきに味と向き合う昼下がり。そんな昼飯スタイルを僕は否定しない。
「ありゃりゃ。先客がいましたか」
そんな自己肯定に浸るのもつかの間、出入り口から一人の少女が『ひょっこり』と姿を現した。
とつぜん現れた女子生徒の、肩まで届くかとどかないかくらいに短くそろえられた髪は、漆を塗りこんだように味わいがある。天パなのか、羊毛みたいにふわふわしていて、鳥の巣みたいだった。
その頭にミミズを咥えてやって来る親鳥を連想していると、彼女がふっと頭を下げた。
「わたくし、一年六組の布江魅華ともうします。
お昼ご飯、ご一緒してもよろしいですかねえ?」
よく見れば、彼女の手にはかわいらしい弁当包みと……あと、扇子?
が、握られている。
「どうぞ」
僕が了承すると、彼女はなんともたおやかに頭を下げてさりげなく僕のとなりに陣取った。
彼女は僕のことを知っているかわからないが、僕は彼女のことを、はっきりと知っていた。あれは、さかのぼるまでもない。たった二日前のできごとである。
『布江魅華です。名前こそハデですが、わたくし本人は、残念ながらあまり魅力的でなければ華やかでもありません』
日誌の自己紹介欄にあったそれを見たとき、僕はこみあげてくる笑いを必死にこらえた。
「うわ橋本クン、なにひとりで笑ってんの、キモ」
「え。いや、これが面白くてさ……」
そっけない態度の女子にそれを見せると、彼女はなんとも複雑そうな顔をして。
「……なんか、律儀なやつー」
僕もおおむね同意見だったが、布江さんのそれは度を越していた。
それは、今日の天気から始まり。生徒たちの出席状況の記入はもちろんのこと、授業の内容や、実施された小テストの平均点までをも、自分で記入枠を作って書き込んでしまう仕上がりっぷりだ。
僕は前の人が、どんな風に日誌を書いているのかあくまで参考として覗きたかっただけなのに、これと同じものを求められていると思うと逆に気が重くなってしまった。
そして皮肉にも、やはり布江さんの日誌にはハナマルがつけられていた。
「……どこかでお会いしましたっけか?」
口の中のものをごくっと飲み込んでから、布江さんは独特のニュアンスで言葉を紡ぐ。
「同じクラスの橋本です」
「おっと、これは失礼をいたしました。橋本さん、どうぞこれからよろしくです」
「こちらこそ。よろしくです」
口調こそこうして臨機応変に装ってはいるが、女子との初のランチタイムで、心臓はかなりバクバクしていた。
つとめて冷静に箸を動かして、動揺をさとられないように徹する。
「橋本さんは、毎日ここで昼食をすまされているので?」
「水曜日と金曜日は、ほとんど毎回かな」
「なぜ?」
「いるんだよ。体育のあと、わざと遅く着替える連中がさ……」
それは、ほとんどが運動部の連中で、日々の鍛え上げた筋肉を見せびらかしたいがために、故意に着衣を滞らせているのである。
……あれ、ホントに迷惑なんだよなあ。
必ず体に吹きかけてるスプレーとか香水とかで、何かちょっと薬品臭いし。
一体誰が、ほぼパンツ一丁の男の上裸を見ながら飯を食べたいと思うだろうか。
少なくとも、僕は思わない。
「なるほど。それは大変でござんすね」
布江さんの口調はやっぱり独特だ。
「布江さんは、どうして?」
「わたくしですか?」
ごっくん、と口の中のモノを飲み込んでから布江さんは答えた。
「落語の練習です」
「落語」
思いもよらない返答に反芻すると、彼女は少し哀愁をにじませた笑顔を見せて。
「……まあこの通り、わたくしはよく喋るんでございますよ」
うーん、だろうねえ。
「そのせいで、完成された空気に水を差してしまうような場面も多々ありましてね。どうにかしてこの悪癖を、何かよいことに昇華できないものか。そう考えたときに思い浮かんだ妙案が……」
布江さんは見事に扇子をあやつり、広げ。
春の桜花が描かれた絵柄を口元によせて。
「けっして完成することなく、人々を感動させるためだけに日々進化する大衆娯楽が一つ。――落語です」
その相貌には光が満ち溢れ、謎の迫力さえ感じられた。
「なかでも『猫の皿』という演目が大好きでしてね。よろしければ、わたくしの『猫の皿』、ここで聞いていただけませんかね? お食事の余興にでも」
すっと姿勢を正して、頭を下げてくる布江さん。
もちろん僕がそれを拒む理由はどこにもなくて、二つ返事でお願いした。
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