第4話 3

 ひとまずごりらちゃんの追跡から逃れたわしは、急ぎ足でビルから離れた。


 そして裏通りを走る。


 次の手を考えよか。


 ビルとビルのあいだからのぞく空は、アフリカの夕暮れのように見えおる。


 次はどうするべきやろか?


 と思いつつ、顔を上げると。


 目立たん格好のつもりやが、なんでか他人の視線がわしに注がれておる?


 自分というか。自分のある一点に。


 なんやろ?


 あ。


 そこでようやく、わしは思い出したというか我に返る。


 血が、額から流れておったんやっけ。


 手を額に当てる。


 その血に触れてみると、固まっておった。


 お、止まっとる。


 速度を落として歩きながら、ズボンのポケットからハンカチを取り出し額をこする。


 何度かこすって、額から離す。


 血が白いハンカチに、こびりついておった。


 今までの人生で何度も何度も見てきた血。


 人のも。


 自分のも。


 数えきれないほど見て見慣れたもの。


 これが俺の人生なんや。


 もう一度ハンカチで額をこすり、血を拭く。


 そして指も。


 血をぬぐい終え、ハンカチをポケットに無造作にしまう。


 顔はスッキリとしたけどが、何かが拭いきれない気分やった。


 さ、逃げないとな。


 小走りに裏通りを駆け抜け何度も角を曲がりながら、わしはある場所を目指す。


 少しでも早く、ここから離れんと。この場所からな。


 そう。わしは駅を目指しておる。


 一刻も早く電車かバスにでも乗り、ここから離れたいんや。


 裏通りという茂みを通り、用心深くあちらこちらを見る。


 早く駅へ行かんと。


 なるだけ、表通りに出ようとはせえへんようにな。


 もし出たら、ごりらちゃんと一緒にいたかわいこちゃんや、救急隊員とかに見つかるかもしれんし。


 十字路があるときは、もともと早足な足をさらに早めて通り過ぎる。


 気配を殺していくつも通りを変え、あたりを警戒しながらわしは駅へと近づく。


 よしっ、あのビルの角を曲がれば駅のロータリーに出られるな。


 後は電車の発車ギリギリに飛び乗ってっ、と……。


 と、頬をゆるめた時やった。


 曲がり角の先から黒い影が、ちょこん、と出てきおった。


 ?


 一瞬わしが頭をかしげると。


 その影はずずずっ、と伸びて行く。


 丸い頭の長い影。


 人、影?


 !?


 わしはその影に、一瞬体が震える。


 ま、まさか!?


 そして白いビルの角から、現れたのは……。


「みーつけましたよー!」


 黒いボーイッシュなショートヘア。


 スポーツマンで、勝気な美人顔。


 黒いコートに身を包んだ背高。


 そう。そのまさかの、ごりらちゃんや!


 ごりらちゃんの顔は満面の笑み。


 彼女の顔を見た途端、自分の顔が引きつるのがわかった。


「なんでアンタがここにいるんやーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!?」


「あなたの考えることなんて、まるっとおみとおしよ!」


 空いた方の手の人差し指を、獲物に突きつける狩人ごりらちゃん。


 なんていうことや。


 なんでここがわかったんや!?


 わしは一瞬、たぬきに化かされた気分やったが、


「アンタに捕まってたまるかーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」


 そう叫ぶとくるりと一八〇度反転し、そのままダッシュして脱兎のごとく逃げ出す!


「またんかいーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」


 ごりらさんも叫ぶと、後を追っかけて来おった!


 二人の距離は十メートルか、それより少し長い程度やろか。


 わしはシマウマのように、裏通りを駆けぬける。


 なんで、なんであのごりらちゃん、わしの行く先ざきを知っているんや?


 それに、ここまでしつこく追ってくるやなんて……。


 あの娘、全国区の組の者かそれとも……。


 そんなよりも、今は走ることに専念や。


 頭を切り替えよ。


 視線は、一つ先の表通りへと出る道へ。


 いったんここは、表通りに!


 そして、相変わらずのフルスピードで角を曲がると表通りに出る。


 あのごりらちゃんが追いつかないうちに、駅につこう!


 わしが表通りに出ると、相変わらずの人混みやった。


 わしにはこいつらが、ヌーの群れに見える。


 カップルをかわしながら、その二人を見てわしはくやしかった。


 畜生。普段ならこいつらにぶつかって狩っているというのに!


 接近してくる人の群れをかわし、わしは駅へと走る。


 そのときや。


「まてーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」


 後ろから大きな声で叫ぶのは、恐るべきごりらちゃん。


 顔を真赤にしながら、人波を寸前でかわしてわしを追ってくる!


 そのかわし方は、相手の動きを完璧に読んでおる!


 脚力も男並みやな!


 おっと、こんなことに気を取られへんで、逃げんとな。


 うっ。


 目前には、大きな交差点が!


 駅に続く通りの歩行者信号は、赤や!


 くっ、ここは信号無視してそのまま通り抜けよか?


 いや、乗用車があっちから近づいてきておるな……。


 しかしここで止まれば、あのごりらちゃんに捕まってしまう!


 ならば!


 わしは横断歩道の寸前で四十五度斜めターンすると、交差点のどまんなかを突っ切る!


 素晴らしいフェイントや!


 しかし!


 ごりらちゃんも、わしの行動にすぐさま対応してきおった!


 一瞬のうちに体を九十度横に変更すると、彼女から見て右の、青の歩行者信号の横断歩道を渡ろうとしてきおった!


 が!


 先ほど交差点に近づいてきた車が、ごりらちゃんが渡っている横断歩道の方に曲がって来たんや!


 ごりらちゃんは、すかさず急ブレーキ!


 横断歩道のどまんなかで立ち止まる!


 その前を、乗用車がスピードを落としながら通り抜けて行きおった。


 わしはそれをちらっと確認したあとで、その場をとんずらする。


 ふっ、また振り切った。


 しかし、わしの息は乱れていた。


 ちょっと走りすぎたかの……。


 そ、それでも、つかまるわけにはいかん!


 は、走り続けんとな……。


 それからの信号は、わしは順調に渡った。


 最初に想定していたよりかは随分と遠回りになったが、なんとか駅にたどり着けた。


 ふぅ……。


 駅のロータリーには、バスや乗用車などが止まったり回ったりしておる。


 わしはロータリーをひと通り眺める。


 あれや。アレを使おう。


 舌なめずりをして、ロータリーのある場所を急ぎ足で目指す。


 その場所とは、タクシー乗り場や。


 正確にはタクシー乗り場のすぐ近くにある、タクシーの溜まり場や。


 そちらの方に向かいながら、その近くを見る。


 タクシー運転手の溜まり場や。


 そこでは何名かのタクシー運転手が、コーヒーの缶やタバコや新聞などを手に談笑しておる。


 彼らの姿を確認すると、タクシーの群れのほうを見やる。


 思った通りや。


 わしはやつらに気づかれないようにそっとタクシーの溜まり場の最後尾に行き、運転手のいないタクシーを見つけた。


 そのタクシーはアイドリングしっぱなしで、鍵を運転席の鍵穴につけたままやった。


 すぐに出られるように、ということなんやが。


 なんとも不用心やな。けど、こちらには都合がいいんや。


 ちょっと貸してもらうで。


 わしは無造作にドアを開け閉めして乗り込むと、運転席に座る。


 そしてシートベルトを締め、ギアをバックに入れペダルを強く踏む!


 次の瞬間、タクシーは猛烈な勢いでバックしてロータリーへと出る。


 その急バック音に、タクシーの運転手たちは驚いて顔を上げおった。


「あーっ!?」


 奴らが声を上げた次の瞬間には、わしの操るタクシーは猛スピードでロータリーを駆け抜け、大通りへと出る!


 どうや!


 まさかごりらちゃんも、タクシーをパクるとは思わんやろ!


 わしは意気揚々として、車を走らせ、駅前を離れる。


 さーて、これで本当に逃げ切れたかのう……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る