第2話 月が綺麗ですね……

では、彼女との出会いはどんなものだったのか?

それは春、出会いと別れの季節のことだった。


だが、そんなものは大学2年生の俺にはあまり関係はなかった。


通っている大学に新しく一年生が入って来たな。という感覚だけが過ぎゆく日々の中にあるだけだった。


そして進級も無事に果たして2年生になり、はやくも1週間が過ぎようとしていたそんなある日、俺は腹の肉を摘んでショックを受けていた。


齢二十歳にして中年太りをしたかのようにズボンからはみ出す腹の肉が日々の自堕落な生活を映し出す。


高校の頃はまだ細かった。

帰宅部ではあったがそれなりに身体を動かして来たし、まだ体力はあった方だ。


だが、受験を始めて身体を動かす機会が減り、少しづつ太り始めてしまった。だが、勉強の甲斐あって目標にしていた大学に合格し、去年から晴れて一人暮らしを始めた。


そこで痩せると思っていた俺だったが、大学とバイトの両立で夜遅くなる夕食と受験生だった頃の名残で人一倍食べるようになってしまい、その上先日20歳になり酒を嗜むようになった俺はみるみるうちに太ってしまった。


華の20代になったばかりの俺に立ち込める暗雲が、腹に乗る肉と共に重くのしかかる。


「はぁ、ダイエットしなきゃな」

そう呟いた俺だったが、以前から筋トレやランニングなどをしようとウェアやシューズは買うものの、何をするにも続かない3日坊主の性格が仇となり、結局何も続かなかった。


だが、今回は違う。


太り気味でモテない俺が今動かねば、短い大学生活で絶対に女の子と過ごす事はないだろう。それに将来的にも一生独身で過ごさなければならなくなるのはごめんだ。


だから、今回こそは頑張ろうと決心したのだ。


……え?何故そういう思いに至ったかって?

その理由は至極簡単だ。


先日の合コンで俺は誰からも連絡先を聞く事なく帰ってしまったのだ。


合コンで知り合った女の子と付き合える事なんてねぇよ!!と、一緒に戦った戦友達と共にその日は慰めあった。だが、実際には俺以外は各自それぞれに何かしらのアクションを起こしていたらしく、後日連絡を取り合っていたらしい。


俺を合コンに誘った友人に関しては、1週間もせずその中の一人とお付き合いをしだすというスピード恋愛に俺は開いた口を閉じることができなかった。


確かに合コンでただ一人、あまり会話に入れずにいた俺以外は盛り上がっていた気はする。


だが言わせてもらうと、イケメン揃いのメンツの中でデブが一人盛り上がっても痛いだけなのだ。


だからこそ、俺はここで一念発起をして肉体改造をしなければ未来は暗い。


俺はそう自分に言い聞かせ、立ち上がるとクローゼットを開く。そして、中に一度着たきりだったジャージセットを取り出す。


ジャージに着替えた俺は戸締りをし、意気揚々と玄関へと向かうと、ランニングシューズに履き替える。もちろん、これもジャージ同様に一度履いたきりだ。

何事も形から入る癖と自分の意思の弱さにほとほと嫌気がする。


だが、今回の俺は一味も二味も違う!!

絶対に痩せて見せるという意思のもと、玄関を出る……がしかし、まだ4月。昼間は暖かくなって来たとはいえ、夜は肌寒い。


さっそく心折れそうになりながらも、一人暮らしをしているマンションから出るとゆっくりと歩き出した。


何故走らないかって?デブが急に走り出すと心臓発作を起こすからに決まっているではないか!!


誰に言い訳をしているのかわからないまま、30分ほど夜道を歩く。夜空は晴れていて、満月ではないが綺麗な月の光の中をゆっくりと歩く。


普段の喧騒はどこ吹く風の街には新たな発見がある。いつもなら気が付かない所に美味しそうなお店があったり、田舎に比べて星の数が少なかったりと普段とは違う雰囲気を味わえるのだ。


そして、しばらく歩いていると野球のできる公園にたどり着く。


そこは昼間なら草野球をするおっちゃんや元気に駆け回る子供の声が響いているが、夜は趣を変える。


黙々とジョギングをする人や仲良くウォーキングをする夫婦など、静かだけど人の姿が見えるのだ。


そんな中を俺も負けじと歩く。


……ダメだ。もう疲れた。

年配のご夫婦に追い抜かれ、それでも息と腹の肉を弾ませながら歩く事十数分、俺は疲れてその場に立ち尽くし、ゼェハァと息を切らす。


そんな俺の近くにあった木ががさりという物音を立てる。

その物音に気付いた俺は何かな?と木の間に目をやる。、そこには一匹の黒猫がいたのだ。


「にゃー」と言って出てきた猫は俺の姿を見つけると身体をすり寄せてきた。


「はわわ!!」と言って俺はしゃがみ込むと、黒猫の身体を撫でる。その手を嫌がる事なく撫でられ続ける猫に俺は夢中になった。


何を隠そう。俺は大の猫好きだ!!

実家でも猫を飼っていたし、将来的にも飼いたいとは思うが、一人暮らしの今は時期尚早……その時ではない。


惜しむ気持ちを抑えながら撫でている黒猫の耳を見ると先っぽがカットされていた。


どうやらこの子は去勢をされている地域猫のようだ。野良猫の数が増えないようにその地域の人が動物病院で去勢を行い、子猫が増えないようにする。

そうすることで殺処分される可哀想な猫を減らしていくのだと言う。


そして去勢をした猫は区別する為に術後、桜カットと呼ばれる耳を桜のようにカットして野に戻すのだ。


去勢をするかわりに餌を与えて地域でその猫を見守るボランティアがあるとは聞いたことがあった。


それに気がついた俺は「ちょっと待ってな!!」といって猫から離れ、近くにあるスーパーへと走る。


地域猫なら餌をあげても特に問題はない。


急ぎスーパーで猫の餌を買って戻ると、猫は居なくなっていた。しばらくあたりを探してみるが見つからず、木の下を覗き込む。


だがいない……。


無駄金を使ったとは思いたくないが、猫に餌をあげられなくて残念に思っていると、後ろから「こんばんは……」という声が聞こえてくる。


その声に驚いて後ろを振り向くと、夜の闇に浮かぶライトに照らされた女性の姿が見える。


顔は若いように思うが、暗がりで顔はよく見えない。ただ、その顔は整っていて、暗闇でもわかるくらいの長い黒髪は……美しかった。


俺はただ呆然としゃがんだまま彼女を見上げていると、彼女の口から「やっと会えた……」と呟く。

よく見ると、その目にはうっすらと涙が見える……ような気がする。


それを隠すように彼女は俺の後ろに照らし出される月を見上げる。


「……月が、綺麗ですね。」


そう言った彼女から、俺は目が離せなかった。

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