第9話。地雷に寄り添い、咲く花の……

 鬱蒼と茂る木々の合間から差し込む陽射しがオレンジ色に変わろうとしていた頃。クレア様と私は二人、森の中をとぼとぼと歩いていました。

 クレア様はいつも通り私の前を歩いているため、その表情は見えません。


「クレア様、あの……」


「なんだ。まだ未練でもあるのか」


「ええと、その、未練が無いと言えば嘘になるんですが……」


「諦めろ。私達にできる事といえば、彼らを覚えておいてやるくらいだ」


「いえ、その、そろそろ日が暮れますね」


「ああ。日が沈むまではあそこで他の生き残りを待つと言っていたな。きっと夜中に強襲をかけるつもりなんだろう。成功すると思うか?」


「いえ……」


「だろうな。夜襲の対策くらいはあって当たり前だ。罠や伏兵くらいは用意されているだろう」


「いえ、そっちではなくてですね……」


「じゃあ何だ」


「そろそろ日が暮れますが、キャンプの準備はしなくてよいのでしょうか」


「……ああ」


 クレア様は頭を少し上にかしげました。


「そういえば朝から何も食べてなかったな……今から何か探すか」


「昨日の残りがまだありますよ。干し肉もブルテさんから貰った分があります」


「ん、そうか。じゃあ次は水だな」


「水場は見かけませんでしたが、水を吸い上げる太いツタを何本か見かけました。すぐ近くにもあります」


「ならあとはテント設営だな。いい木を探すか」


「この森は人狼さんたちの縄張りなので、危険な生き物はいないのではないでしょうか」


「あー……うん……そう、だな」


「クレア様」


「わかってる。何も言うな」


「戻りましょう。今ならまだ間に合います」


「何も言うなと言っただろう。それにもうかなり歩いた。戻る頃には真夜中だ。間に合うわけがない」


「いいえ、先程からずっと同じ所をぐるぐる回っているだけですよ。戻ろうと思えばすぐです」


「戻ったところで無意味だ。私達にできることなんて何も無いと言っただろ」


「なら意味があれば戻るんですね」


「まさか同行するつもりか。君も一緒に死ぬぞ」


「でもクレア様だって、納得していないじゃないですか」


「納得? しているさ」


「じゃあなんで、ハスキさんが狙われないといけなかったんですか」


「珍しい生き物だからだ。それに人間の役に立つかもしれない。狙われて当然だろう」


「他の人たちも殺されたり捕まえられなければならなかったことが当然なんですか」


「危険な生き物だからだ。人を噛んだ野良犬が駆除される事と何も変わらない」


「あの人たちは野良犬なんかじゃありません。とても親切で理知的で、友好的な方々でした」


「違うな。あいつらは人を殺した危険な怪物だ。悪いのは人に手を出したあいつらで、シャツ男と巨乳は正義の執行人だ」


「正しければ何をしてもいいんですか」


「その通りだ、彼らは人間じゃないからな」


「人間じゃないからって、殺されていいわけでは……」


「何も彼らに限った話じゃない。神に見捨てられたような連中はそこら中にたくさんいる。私はそういう奴らを今まで散々見てきた」


「でも……」


「こうして無敵の英雄によって凶悪な人狼の群れは滅ぼされました。この先、人狼に食べられる人は二度と出ませんでした。めでたしめでたし。……これの何が気に入らない。ハッピーエンドだろ、ええ?」


「その言い方、クレア様だって本当は気に入らないんじゃないですか。だって、クレア様は……」


「いい加減にしろ! 二足三文の奴隷が!」


 クレア様が振り返り、私の胸ぐらを掴みました。

 もう片方の手で顔の傷を掻きながら、歯を剥き出しにして怒鳴ります。


「どこまでお前は私の足を引っ張れば気が済むんだ!? だいたいお前が私の言うことを素直に聞いていれば他人事で終わったんだ! この役立たずが!」


 クレア様がこんなに怒るのは、これが初めてでした。凄まじい剣幕で睨みつけられました。至近距離から浴びせられた怒鳴り声に、私の手がすくんで足も震えます。


 それでも……。


「私は、役立たずかも、しれません」


「実際そうだろうが!」


「でも私は、私を助けてくれたクレア様のために「現実を見ろこの無能が! 自分にしかできない自分の役目があるとでも自惚れてるのか! お前は英雄でも主人公でもないんだよ! 身の程をわきまえろ!」


 それでも……!


「いいか! お前を買ったのは一番安かったからだ! それ以外に理由なんてない! 荷物持ちや警報器や囮にでも使い捨ててやろうと思ってた! 自分の価値がわかったか? わかったら黙ってろ! なんの取り柄もない疫病神め!」


 それでも、黙れません。

 私が本気でクレア様の役に立ちたいと思うなら、絶対にここで黙り込んではいけないんです!


「クレア様」


 私の胸ぐらを掴むクレア様の手を両手で包み込むように握りました。

 クレア様の剣幕に負けて泣きそうになっていた顔に力を込めて、無理やり頰の筋肉を動かします。

 私は今、ちゃんと笑えているでしょうか。


「私、自分の値段くらい、知ってるんですよ」


「うっ」


「あの人たちが人間じゃないというのなら、私もです。奴隷にさえなれなかった、 ゴミでした。酷い言葉を毎日毎日かけ続けられました。自分の出した排泄物と生活しているうちに、ハエやウジにもすっかり慣れました。牛や豚は私と同じ環境なのに、ちゃんと出荷されていていいなぁ、なんてことも考えました」


「いきなり何の話だ」


「私を妹のように可愛がってくれた人も、売れ残り仲間を励ましていた人も、みんな最後には酷い殺され方をしました。私たちに教育するために、わざわざ檻の前で時間をかけて殺すんです。みんな、痛い痛いと泣きながら死んでいきました。そこに神さまなんていませんでした」


「何が言いたい」


「クレア様が来た時、また私たちの必死さを笑う人が来たと思ったんです。だから私は、どうせ明日殺されるのだから、最後のお客様のリクエストに応えて、ちょっとだけいじわるをしてやろうと思いました」


「ああ、うん……」


「でもクレア様は、そんな私を買ってくれました。決して安い値段ではなかったはずです」


「まあ……そうだな」


「だからクレア様、本当のことを教えてください」


「何をだ」


 目を逸らそうとするクレア様に詰め寄り、顔を覗き込みました。

 あの時とは逆ですね、クレア様。


「誰からも見向きされなかった私を買ったのは、私が一番早く殺されるから……ですよね。本当は、本当は奴隷なんて、買うつもりもなければ、弟子を取るつもりも、なかったんですよね」


「……だったら何だ」


「あらためてお礼を言わせてください。私を助けてくれて、ありがとうございました」




 しばらくの、静寂。

 カラスの鳴き声が遠くから聞こえてきます。

 目をそらすどころか、クレア様の顔は完全に横を向いてしまいました。頰にはほんのりと赤みが差し、傷を掻いていた手は首へ添えられています。眉は八の字に寄り、何かを我慢しているかのように軽く歯を食いしばっていました。

 怒っては……いないようです。いえ、むしろ怒るというより照れているような……?


「別に……私みたいな物好きが一人くらい、いてもいいだろ……」


「物好きなんかじゃありません。クレア様は優しくて立派な冒険者です」


「私は立派なんかじゃない。英雄でもないその他大勢の一人だ。儲けにならない余計な事ばっかりやってきたから、同業者にだって嫌われている」


「その余計なことに、私のようにクレア様に助けられた人たちが含まれていますよね」


「……」


「なら、私もクレア様のような立派な冒険者を目指します。神さまから見捨てられた人を、一人でも多く助けられるような冒険者を目指します」


「あのな」


「だから、二人で戦いましょう」


 私はクレア様の両頬に手を添え、無理やりこっちを向かせました。クレア様は首の力だけで抵抗しようとしましたが、途中で諦めたように力が抜けました。口をへの字に結んでいます。

 今更ながら、クレア様は割と表情豊かだと思います。


「一人で考えてダメなら、二人で一緒に考えるんです。こんなのあの檻の中に比べたら、全然ピンチでも何でもありません。必ず何か方法があるはずです」


「無理だ。どうしようもないんだよ……」


「無理かどうかは私が決めます!」


「おい」


 すみません、クレア様。

 あの時クレア様に言われた言葉を、そのまま使わせてもらいます。


「だから今は何も考えずに私に従ってください!それしか全員で生き延びる方法はないんです!」


「……」


「そして、やっぱり何も思いつかなかったら、その時は……無理だった、と二人で泣きましょう」


 泳いでいたクレア様の眼が、閉じられました。


 そして数秒後に再び見開かれた時、クレア様にいつもの眼力が戻っていました。私が尊敬する師の眼。困難に挑む時にこそ燃え上がる冒険者の瞳!


「わかった。戻りながら始めるぞ、時間がない」


「……はい!」


 私もクレア様のような立派な冒険者になること。

 そして、クレア様が本当にやりたいことを手伝えるようになること。

 それが、私のできる最大の恩返しだと思います。


 そうですよね、クレア様。

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