幸福の詠唱者たち
幸福の詠唱者たち
パラダイス夕張の配信は、世界中で視聴されるようになった。施設の管理者が試みに有償化を申し込んだところ、毎月数百万円を超える売上げがもたらされた。管理者はそれを着服していたが、やがて視聴者に暴かれ、強制労働者たちと分割することになった。
いつしかパラダイス夕張で砂を運ぶ者たちは、不思議な歌を口ずさむようになった。移民の誰かが故郷の歌を歌い、それを真似した者が歌詞もメロディも間違って歌い、それをまた間違って他の者が歌う。そしてどこの国の言葉でもない不思議な歌が作業中に歌われるようになっていった。それはまるでグレコリアン・チャントのように聴く者の心を清らかにした。
やがて、パラダイス夕張で砂を運ぶ者たちは、「幸福の詠唱者たち」と呼ばれるようになった。視聴者は増え続け、多国籍企業がスポンサーについて企業化することになった。「幸福の詠唱者たち」は夕張に広大な土地を得て農業を始めた。そして参加したいという者には、砂運びを一年間行わせ、その後、適した仕事を割り振ることにした。
かくして「幸福の詠唱者たち」は砂運び、農作業、農作物の加工など複数に増え、視聴者はさらに増加した。世界の各地で、「幸福の詠唱者たち」を自分の国でやりたいという者が現れ、聖地である夕張で修行して国も戻るようになった。数年経つと「幸福の詠唱者たち」は世界中に広がっていた。
世界各国の中でも日本での評価は、「落ちこぼれ」という低いままだったが、若者の多くは口に出さないものの「幸福の詠唱者たち」を支持するようになっていた。日本のほとんどの若者は貧困にあえいでおり、パラダイス夕張送りになる可能性があったためかもしれない。
月曜の昼下がり、あるビルの屋上のペントハウスでふたりの男がランチを取っていた。こざっぱりしたカジュアルなスーツをさりげなく着こなしている。ペントハウスから少し離れた場所にヘリポートがあり、待機中のヘリの横で数人がくつろいでいた。
「サムがうちのコンシューマー部門をバイアウトしたよ」
金髪の初老の男がつぶやく。
「へえ!? あいつが? 思い切ったもんだ。まだ新聞発表してないよな」
もうひとりのスキンヘッドの中年男がおどけた調子で応じるが、金髪は渋い顔だ。
「ああ、週末にやる。買収金額は1,200億円だ。誰がスポンサーかわかるか?」
「あいつの個人資産じゃないな。裏にいるのはどっかのファンドか?」
「パラダイス夕張だよ」
「は? それってお前のグループが資金提供してるとこじゃないか。どういうことだ?」
「うちがミャンマーの軍部につながる企業に資金援助しているのが気にくわないらしい。うちからの支援を今後断ると言い出した」
「ふーん。でも金はどっから手に入れたんだ? まさかお前がやったわけないよな」
「違う。オレは絶対にこんなセリフを吐く人間じゃなかったはずなんだが、そうしか言いようがない。金の問題じゃないだよ」
「おいおい。パラダイス夕張に感化されて、ヒューマニズムに目覚めたのか?」
「全然違う。リアルなんだよ。うちくらいの規模になると、たったひとりの従業員がダークウェブで手に入れたツールを社内ネットワークに仕込むだけで、ごっそりデータが漏洩してその流出を止めるために数百億円かかる」
「いや、それも金の問題だよ。サイバーセキュリティに金をかけた方が勝つ。それだけだろ?」
「違う。サイバー攻撃は、攻撃者絶対有利の原則がある。防御側は数百倍から数千倍のコストがかかる。相手が1億円かけてきたら、こっちは100億から1千億かけなきゃならない。仮想通貨が当たり前に使われるようなってから金額も桁違いになったし、取引が楽になりすぎた。数百億円のビットコインがデータの身代金に支払われる時代だ。オレたちが事業で稼いだ金がゲームのポイントみたいにほいほいやりとりされてるんだ。パラダイス夕張にはハッカーグループがいて、数千億だって、すぐに調達してくる。従業員に支持者がいたら簡単にシステムとデータをやられちまう。しかも世論はあいつらの味方だ」
「徹底的な監視をして抑え込めばいいんじゃないのか?」
「ハッキングは単なる例だ。金融資本主義ってのは金がゲームのチップのように流れてく仕組みだ。流れを変える方法があれば、金は簡単に手に入る。それがわかると世論は金でないものに向かう。だって結局、金もそっちに流れるんだからな」
「ふーん。ってことはオレの会社でもパラダイス夕張ににらまれるとヤバいわけ?」
「そうだ」
「信じらんねえけど、用心しよう」
「お前、まだわかってないな。砂を運んでたのはオレたちだったんだよ」
「は?」
「オレたちはあいつらが社会の底辺で絶望してたから、砂を運ばせて見世物にした。でもな。ほんとに砂を運んでたのはオレたちだったのさ。もうオレたちはあいつらに逆らえない。金も砂もいくら山のように積んでも腹の足しにならない一杯の水の方がマシだ」
「オレたちの持ってるものが砂で、あいつらの持ってるものが水だってのか?」
「そうだ。オレの息子は筋金入りのリアリストだ。そいつがラテンアメリカのパラダイス夕張を仕切ってる。パラダイス夕張を支援してきたお父さんを誇りに思ってるけど、その価値を理解できないのはとても残念だって言われたよ。これがリアルなんだ」
「あんな砂運ぶだけの、変な歌を歌ってる連中が世界を支配してるってのか? 頭を冷やせ」
その時、風が吹いた。
「やがて世界中が知ることになる、知らない間に世界が変わってたってことにな。見事なハッピーエンドを食らわされたぜ」
金髪の男は自嘲気味に笑うと、立ち上がり、ヘリに向かった。
了
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます